妙心寺教会
始めの一歩を

平成20年1月1日

老尼のお話の部屋

明けまして、おめでとうございます。
 年も改まり、今年の私の目標は、と考えてをります。
日頃から頭にあることを言おうとすればするほど良い
言葉が見つからず「言葉、心に足らず」の思いに「自
分はまだ本当に言い切れる心になっていないのだ」と
反省してしまいます。

 そんな私が、今の心境で申し上げたいことは「魂を
一歩前進させよう」ということなのです。昔、修行の時
に、魂が目的に向かって立ち上がり、歩み出すことの
大変さを学びました。

 「始め四つ足、次に二本足、最後に三本足になるものは?」。どなたも知っている謎々で、答えは「人間」です。赤ちゃんは歩き出す前に、座ることを覚えます。その座り方を「えんこ」と言います。(辞書には「えんこ」とは座ること、車が動かなくなること、とあります)
 「えんこ」が出来ると「はいはい」になります。次に立ち上がれるようになります。「えんこ」もそうですが、立ち上がるまでには何度も転び、尻餅をついて、ようやく立つことが出来るのです。
それを見たときの親の喜びを思い出してください。立ち上がった子に「ここまでおいで」と手を差しのべます。子は、今日は一歩、明日は二歩、と転びながらも喜びの声をあげて親のもとに駆け寄ります。親は頬ずりして喜び抱きしめます。
 この親子の姿こそ私達の修行であり、その親の心こそ釈尊の心だと思うのです。
 今、大人になった私達はさしたる努力もしないで歩くことが出来ます。しかし、修行の場で魂が立ち上がり、歩き出すためには勇気が必要です。

 平成19年は「偽」の年でした。政治でも社会でも人としての心が失われ、またかと思うことが続出してをります。人としてこの世に命をいただくということは極めてまれであり、それぞれの役目を持って生まれてきたのです。その役目とは、お釈迦様のような心を持って生きることです。「最高の良心と誠心」をいつでもつかえ、差別する心がなく、感謝の念を持って生きることです。その心がけを持って生活した時に、各々の役目がわかり、生きる歓喜(よろこび)を知ることが出来るのです。
 年も改まった今、私は皆さんと一緒に「良心・誠心・感謝の生き方」を心の杖として深く悟り、おそれる心なく「始めの一歩」踏み出したいと願っています。