妙 縁
平成18年8月
「撃鼓行脚頭陀行」という修行があります。世間の人々の煩悩を払い心を浄め、法を弘めるための修行です。尺3と言う直径39cmの「打扇太鼓」を叩きお題目を唱え街を歩きます。
私の弟子信徒女性5名が日蓮大聖人佐渡御流罪の足跡を辿って行脚修行を始めたのは、「平成14年10月23日」の事でした。佐渡への行脚修行については私の母妙祥尼と共に私も念じてをりましたが機会に恵まれず三代目に於いて今実現しようとしてをります。
大聖人の足跡を辿る行脚修行はこの7月26日、27日に新潟県寺泊を目指すことになりました。私も篤信の方と2人、車ですが参加することが出来ました。
さて、皆さんは「偶然」という言葉をつかわれることがありませんか、私は師匠から「世の中に偶然ということはない。物事は必然である」と言われてをりました。自分達は知らないから偶然と言うので、それを「妙」と言う、「妙」とは不可思議のことなりと教えられました。
今回の行脚修行では、いくつかの「妙縁」と思われる事が起こりましたその中の一つをお話しします。
7月27日夜来の雨があがり私共は海岸べりの道を「寺泊」に向っていました。その内弟子の一人が「先日、O上人がお話になった「善勝寺」はこの辺にあるのでは」と言い出しました。O上人が「今は住職はいないが由緒ある寺で総代の一人が鍵を持っている。中に入って御経をお唱えすれば喜んでくれると思う、本当に行くようだったら、細かいことを教えましょう」と話された寺です、しかし、お話を伺うこともなく今日になってしまいました。そこで私達はそのお寺に参詣しようという事になりました。
「道の駅」に車を止めて国道を渡りました。正面はくさむらで脇に細い道があります。その道を行くと山側にそって格子戸の古風の家が並んだ昔の街道を思わせる道に出ました。さてどこで聞いたら「善勝寺」がわかるかと思案してをりますと、すぐ傍の軒先で年配の男性が女の人と立話をしてをります。ひよっと上を見ると。格子戸の上の軒下に「お題目」の入った御札がはってあります。この家で聞けばよいと感じ、立話の老人に寺を訪ねました。なんとその方が寺の総代で鍵を預かってゐる方だったのです。訳をお話しますと「私は今外出先から帰って来た所で隣の小母さんに呼びとめられ話をしていました。もし少しでも時間がずれていたら貴女方にお逢い出来なかった」と言われ喜んで鍵を取りに帰られ一寸険しい山道を上って寺に案内して下さいました。
御経をお唱えした後には寺の由緒や寺宝について話をして下さり、又過疎化の為檀家が減ってきています、私は一生懸命この寺を護ってゐるのです、今日は本当に不思議に思います有難うございましたと言われ、私達もお茶をいただき山の上の涼風に心を和ませ浄められました。
もし一寸でも時間がずれていたなら確かに今日の事はありません。これこそ「妙縁」「佛縁」であると皆さんと話し合いました。
このお話に目をふれた方々が「妙縁」に結ばれ華開くことを願ってをります。
合掌