「恩送り」という言葉があることを、初めて知りました。倉本氏と同時代に生きた私は納得し、頷くのです。

 教会に小さな菜園ができて数年になりました。教会の菜園は、主に副担任が管理しています。荒れ地なので、
土がまだできていません。しかしわずかばかりの収穫もあり、皆を喜ばせてくれました。そして、自分で栽培した
野菜はたとえ不出来であっても大切に扱います。
 「やはり、安藤氏が提唱された『自然の循環の中で万人が自ら農耕に携わること』は、人にとって大切なことを
教えているのだ。」
と思いました。

を下げ、何個かの芋と交換してもらったあの飢餓の時代を経験した者にとっては、何かが狂ってしまった気がし
てならない。
 食うことによって我々は生きている。その食料は自然が創る。自然と農民の労力が創る。ITも金融も食料は作
れない。にもかかわらず、人はその恩恵を忘れている。
 「恩送り」という言葉がある。恩返しではなく恩送りである。恩返しは当座の謝礼だが、恩送りは未来永劫に対
し、その恩を返していく行為を言う。だから江戸期の知の巨人安藤昌益は、自然の循環の中で万人が自ら農耕
に携わることを厳しく唱えた。
 政治家、実業家、科学者を目指すものはいても、3Kと言われる農業後継者がどんどん減っているという悲しい
現実。
 この国の人々は恩送りという、そもそも生命の継続のルールを、どこかに置き忘れてきたように思われる。
            倉本聰 「林中無策」より
【林中無策】
 富良野に移って間もない頃。近所の農家さんにいただいた南瓜(かぼちゃ)があまりにもおいしかったものだから、電話をかけてお礼を言った。
「こんなうまいカボチャは久しぶりに食べました。」
と。
するとその農家のじっちゃんが、
「そんなことを言われたのは何年ぶりだろう。」
とつぶやき、それから突然涙声になって、
「ありがとう、ありがとう。」
と逆に言われた。ショックだった。
 戦中戦後のあの飢えの時代、食とは腹の問題だった。背中と腹がくっつきそうになるのを何とか埋めてくれる胃袋の問題だった。だが今、食は胃袋から舌の問題に移り、「うまい!」と感謝される対象は板前や料理屋の店主にかわり、そもそもの食料生産者は感謝の対象から外されている気がする。
 一食何千円何万円もする都会の料理屋は、その基になる第一次生産者にそれだけの対価を払っているのだろうか。消費者の支払う高額の金は、その何割が本来の生産者に渡っているのだろう?高価な着物を風呂敷に包んで必死に頭

平成28年9月1日
妙心寺教会
老尼のお話の部屋
恩送り (1)