節分を迎え、「春近し」と言いたいところですが、2月は「如月(きさらぎ)」とも言います。「着更着」とも言われ、「着物を更に重ねる寒い月」なのです。2月は更に健康に留意されて、春を迎えてくださる事を願っております。

 寒修行は、節分になると終わります。「修行」は仏教語です。その意味は「仏道を求めて実践する事、またその努力をする事」で、仏法をおさめて善行を積む事です。
 日本では特に寒中の30日間に様々な修行に励む風習が昔から伝わっていて、これを「寒修行」と呼んでいます。当教会では、寒中に唱題修行と撃鼓行脚頭陀行を集中的に行っています。
 また、「寒稽古」という風習もあります。「稽古」とは「学問・技術・武術等を学び考える事」であり、寒中に朝早くから行う稽古を「寒稽古」と呼んでいます。



 昭和12年に支那事件が勃発し、一般の国民の間にも戦争の気配が感じられるようになりました。そして、昭和1
4年に私は女学校に入学しました。
 女学校では、寒に入ると始業前に「寒稽古」をするのです。武術の稽古なのですが剣道とは違い、木刀の素振り
100回が課せられました。
 指導してくださった先生は戸谷先生という方で、白い鉢巻きをきりりと結び、白の上着に紫の袴でした。その凛々
しい姿に私たち女生徒は憧れました。先生の声に合わせて素振りをし、手にマメを作りながらひたすら頑張ったの
です。また、授業時間を割いて薙刀の時間があったのも覚えています。

 戦争は広がり、いつの間にか稽古もなくなりました。防空演習や被服省からの軍服の縫製が主になり、授業もあ
りませんでした。
 そして、昭和16年12月8日に大東亜戦争が始まったのです。学校での日課は、校庭に祀られている天照大神
の前に整列して「大戦の御詔勅」を唱えることが始まりでした。その後は、勤労奉仕で会社に通う人と軍服の縫製
に取り掛かる人に分かれての日々が続いたのです。

 修行と稽古の違いについて書き始めたのですが、いつのまにか「寒稽古の思い出」になってしまいました。
 現在でも、寒修行は仏教者等の中で撃鼓行脚や水行・読経等の様々な形で行われています。また、寒稽古で
は、寒の入りになるとテレビ等で子供たちが寒さに負けずに頑張っている様子が放映されているのを見ると嬉しく
なるのです。

平成30年2月1日
妙心寺教会
老尼のお話の部屋
寒修行と寒稽古