50年以上前の出来事です。唱題修行で妙昌寺に宿泊した日でした。その日は、朝から静かな雨が降っていました。
 朝食を済ませて部屋の片付けをしていると、師匠から声がかかりました。師匠の所へ伺うと、
「これをお前にあげるよ。」
と仰って、差し出して下さったのです。それは鎌倉彫の小さな手鏡で、裏には「来還(らいげん)」と彫ってありました。
 二つに折られた添え書きの表には
「在在諸仏の土に、常に師と倶に生ず(幾たび生まれ変わっても、最初の師と共に生まれ、諸仏の法を聞く)」
とありました。
裏には
「この鏡は地涌題目奉唱の開祖『覚証院大元日龍聖人』の一七回忌当たり、鎌倉彫り師鈴木光岳夫妻が広宣流布大願の一助として、同信各位の信心受持を願って寄進した」
と記されていました。
 添え書きを開くと「来還の義」として、日蓮大聖人御遺文の「観心本尊鈔」の一節がありました。
その要旨は
「地涌の菩薩は、末法の始めにこの世に出現し、法華経を弘めると約束している。今こそがその時である。」
というものです。

 今、改めて手に取ってみると、手製の鏡入れはすり切れ、添え書きの文字も定かではありません。しかし、この「来還の姫鏡」は、当時と変わらずに私を映し出しているのです。
 
 「齢91歳を迎えて、自分は開祖・恩師・先師の方々の
志をどこまで貫く事が出来たのだろう。」
と思うと、恥じ入るばかりです。

 恩師円中院日典上人は、この4月に第五十回忌を迎えます。何の御恩返しも出来ないままですが、今より新たな心を持って地涌題目奉唱の流布に精進し、この地にお題目を遺す事を誓いました。



平成31年3月1日
妙心寺教会
老尼のお話の部屋
姫鏡