【妙徳地蔵尊祭祀(2)】 

 娘さんの目が見えるようになったことを聞いて、親戚や近所の人が山中さんの家に来たそうです。そして
「これは大した事だ。早速に地蔵様を祀ろう。」
という事になったんですが、
「地蔵様を祀るって、どうしたらよいのだろう。」
という話になり、菩提寺と懇意にしている方丈さんに相談に行くと、その方法や順序を教えてくれました。その上で
「こういう事は、祀った由来を書いておかなければならない。」
と言って、山中さんの話を聞いて由来を書いてくれたのです。
一同が相談した結果、 11月18日に地蔵様を祀ることになりました。
その日は六部の命日だったからです。

 私は地蔵様ができたかどうか心配になり、石屋さんに見に行きました。
石屋へ行くと、職人さんが一斉に話し出したのです。
「先生聞いてくださいよ。俺たち3人で彫り上がった地蔵尊を見ながらお茶を飲んでいたんだよ。すると娘さんが入ってきて『吹上の山中さんに祀られる地蔵尊はこれですか。まあ本当に良く出来ました。本当に良く出来ました。』と言って蜜柑を供えたんだ。俺たちはその娘さんがあまりに美しかったのでゾーッとしたんだ。そして何処へ行ったんだろうと思って道路まで追いかけたんだが、もう姿は見えなかったよ。」
と言ったので、その後で六部を呼び出して聞いてみたら
「はい、確かにそれは私です。」
と答えたのです。
その話を聞いた職人さん達は
「これは有難い事なんだ。俺たちはこのお地蔵様が栄えるように賽銭箱を納めるよ。」
と言ったのです。だからあの賽銭箱は石屋さんが納めてくれたんですよ。

 祀り込みの日は昭和21年11月18日でしたね。あの日は、花火も上がり露天商も出て大賑わいだったのは皆さんも覚えていますよね。
 法要は、菩提寺と八ツ林のお上人に来てもらったんです。私はその前に勧請し、お経を唱えました。また、お上人と一緒に法要を行いました。
 すると、八ツ林のお上人が
「あんたの身体に六部が出て、この地蔵様が出来たんですか。」
と聞くので
「そうです。」
と言うと
「あんたの身体に、この六十六部が出たようですが、それはお釈迦様のお計らいで六十六部があなたの身体を借りて物語り、それで娘が救われ地蔵様が出来たんですよ。これはみんなお釈迦様の教えであり、お釈迦様のお告げですよ。」
と念を押して言ったのです。それで、私も考えました。
「なるほどなあ、お釈迦様のお指図で娘が発言し、ここに地蔵尊が生まれたのかなあ。お上人が話してくれたのだから、お釈迦様が守って下さったのだろう。」
と思ったのです。
お上人に
「有難うございました。これからもよろしくお願いします。」
と挨拶をしたら、お上人は
「こっちこそよろしくだよ。頑張ってください。」
と言ってくれました。

 その後、祝いの席に出て皆さんにも話しました。
「ですから、皆さんも信じて参詣してください。」
と言って家へ帰ったんですよ。

 私も「霊が出て一度で娘の目が開いた」という事は初めてなのです。不思議なことだと思っています。お釈迦様が守ってくれたんですよね。皆お題目のおかげなんですよ。長くなったけど、これが吹上の地蔵尊のお話なんです。


現在、地蔵尊に置かれてある由来書は、後継者が建立した碑です。

(登場人物は全て仮名です。)

【地蔵尊の由来書】
【台座の文字 1】
平成28年1月1日
妙心寺教会
敬母心蓮院日祥大法尼を偲んで(7)
老尼のお話の部屋


【高崎線のそばにあります】
【台座の文字 2】
【法味を言上しました】