「私は茨城の武士の娘です。18歳の時に母と別れました。その後、継母が来たのですが私が盲目で動けないので邪魔にされていたのです。私は辛いので『早く死ぬように』と毎日毎日拝んでいたのです。すると、『お前は、観音様を背負ってお題目を唱えながら八十八ヶ所の観音様をお参りすれば、必ず目が見えるようになるからそうしなさい。』と、亡くなった母の声が聞こえてきたのです。そこで私は観音様に『子安観音』と名付け、それを背中に背負って出かけたのです。有難い事に、日ならずして目が見えるようになりました。『まだ八十八ヶ所は巡りきっていないけれど、まずは家に帰って目が見えるようになった事を話し、それからまた出かけよう。』と考え、この中山道を急いで上ってきたのです。この吹上の地まで来た時は、もう日が暮れかけていました。『早く次の宿場まで行かねば。』と急いでいると、お婆さんに声をかけられました。」
「姉さん、これからどこに行くの。」
「宿のある次の宿場まで行こうと思っています。」
と言うと
「次の宿場までは、まだ三里もあるよ。今夜は私の所へ泊めてやるから、明日の朝に発てば良いよ。」
と言ってくれたので、私は
「親切な方だ。」
と思って、ついて行ったのです。

 ところが、その家は盗賊の家だったのです。私はそこで観音様を盗られ、財布も盗られ、その上、操まで汚されてしまったのです。
「私も武士の娘、この上は死のう。」
と覚悟した時に、盗賊たちに打ち殺されてしまったのです。

「私は口惜しくて口惜しくて、それから今までこの土地に来た人々を悩ませているのですが、誰も気づいてはくれませんでした。幸いに、今日は話をする事ができたのです。どうぞ私を助けてくれて地蔵様として祀ってくれれば、すぐにでも娘の目を治します。」
と語ったので、山中さんが
「それでは、この先生に供養してもらいます。」
と答えたら、霊は去ったそうです。

 霊が去ると、旦那と内儀さんが
「今、六十六部の人が出て『地蔵様として祀って助けてくれれば、すぐにでも治す。』と言ったんです。先生、本当に治してくれるんですね。」
と言うので、
「それは霊が言ったんで、私が言ったのではないのですよ。その娘の霊が言ったのです。初めての事で霊も迷っていると思うから、一週間も御経を上げて供養してみましょう。娘さん、あなたも本当に唱えるかい。そうすれば私も本気で供養するから。」
「御仏壇に向かってお父さん達と一緒にお題目を唱え、六十六部の人の供養ができるか。」
と聞いたのです。すると娘さんが
「はい、唱えます。」
と言うので、
「では、一週間たったらまた来るから。」
と言って家に帰りました。
 「『どんな訳で妙徳地蔵尊を祀り、どんなご利益があったのですか。』と聞かれるのですよ。」
「なあに、娘がいて8ヶ月間も目が見えなくなっていたんですが、お題目の功徳で目が開き、今では嫁に行っていま
すよ。」
としか話していなかったのですが、今日はその由来を話しますよ。 


ある日のこと、信者の金子さんが来て
「先生、俺の知り合いの家の娘が急に目が見えなくなって『仕方がないから按摩になれ。』と親に言われたけど、娘は『按摩になるのは嫌だ。』と泣いているんだよ。そこで両親に聞くと『あらゆる医者にもかかり、色々と信心しても治らないんだよ。』と言うのさ。だから『俺の知っている長野(行田市)の先生の信心をしてみなよ。』と言ってきたから、先生、一緒に来てくださいな。」
と言うのです。私は
「そう言われても、直ぐに直ぐと言う訳にはいかないよ。」
と言ったのですが、あまりにも熱心に頼むので
「ちょうど今日は堤根の鷲巣さんの家に行くことになっているから、その後で良かったら行くよ。」
と答えました。そして山中さんという家に行ったのです。

 家に入ると「方位おかし」があることが判ったので、供え物を用意してもらい御経を上げました。
そして、その御経が終わると同時に霊がのりうつったのです。今まで、外に出た時はそんな事はなかったのですよ。しかも、その霊が語りだしたのです。
「あなたは去年の正月の5日に物置の炭俵に手を入れたら『ぐにゃっ』としたものがあって驚いたでしょう。それは蛇が俵の中でとぐろを巻いていたのでしたね。そしてあなたは『早く出して殺してしまえ。』と言いましたよね。すると内儀さんが『殺すなんて嫌だよ。』と言って線香と水と塩を持ってきて『早く身を隠しておくれ。そうでないと殺されちゃうから。』と言ってくれたので、身を隠すことができました。その時にあなたは『この蛇は片眼だ。』と言いましたが、私は両方とも目が見えなかったのですよ。その蛇が私なのです。」

「今まで話ができなかったのが、今日はようやく話ができる日が来ました。私は六十六部です。六十六部になった話を聞いてください。そしてどうか私を救ってください。」

【六十六部】 六部とも言い、一種の巡礼。法華経一部を一部ずつ六十六ヶ所の霊場に納めながら諸国をめぐる行脚僧。

【少し昔の妙徳地蔵尊】
【六十六部の出で立ち】
平成27年12月1日
妙心寺教会
敬母心蓮院日祥大法尼を偲んで(6)
老尼のお話の部屋
【綺麗に祀られています】

【妙徳地蔵尊祭祀(1)】 

 この地蔵尊は鴻巣市吹上本町のNTTと高崎線踏切の間に祭祀されており、町内の方や崇拝者の方が参詣されています。
 現在は、地蔵尊建立の後継者がお護りしており、当教会も寒修行や行脚修行の際は参詣して法味を言上しております。
 この「妙徳地蔵尊」の建立についてのテープが残っていて、それを浄蓮が何度も繰り返し聞いてまとめました。
その日の事は、私も覚えています。母は
「福江、今日山中さんという家に行ったのだけれど、霊が出て来て『私を救ってください。地蔵様に祀ってくれ。』と言うのだけれど、本当にあの娘の目が見えるようになるのかねえ。私も一生懸命祈願するけど、こんな事は初めてだよ。」
と話したのです。母も、初めての家での出来事で、あまりにも早急な話なので、きっと心配だったのだと思いました。


 心配だったので、中日(一週間の真ん中の日)になってから
山中さんの家に行ったんですよ。
家に入ると、すぐにお勝手がありました。たまげた事に、あの
娘さんが洗い物をしているんです。家に上がると
「先生、あの晩から娘の目が見えるようになったんです。初めは『鴨居に掲げてある天皇陛下の写真が見える。』と言うんです。『そんな筈はないだろう。』と言うと、娘は『本当に見えるんだよ。あの時計の針も見える。』といって時間を言ったんです。」
と両親が口を揃えて言ったのです。
「そうかい、それは良かった。」
と私も言いました。お題目の功徳なんですよね。

※福江は浄蓮の旧名。文中に出てくる方の名前は、全て仮名です。
【優しげなお顔です】
【現在の妙徳地蔵尊】