平成27年8月1日
敬母心蓮院日祥大法尼を偲んで(2)
【病院で】
母と二人でレントゲン写真を見てから、人に話せない秘密を持ったような感じで、心を残しながら帰宅しました。
そして、一週間後に母の病院に行ったのです。
母は、見舞いに来た信者さんのMさんと話をしていました。
「ああ、しばらくだったねMさん。家の者は皆元気かい。あんたが私に会って信仰に入った時の事を話してみてよ。
福江(浄蓮の旧名)も聞いているから。」
「先生、良く覚えていますよ。忘れられない事ですから。」
と言って、Mさんは話し始めました。
Mさんの次男が熱病にかかり、医者に行っても熱が下がらず医者も匙を投げた事。
最後の頼みと思って、母のところへ祈祷を頼みに来た事。
「先生は次男の枕元に来て一生懸命お題目を唱え、拭き取りをしてくださったのです。」
拭き取りというのは修法の一つで、半紙にお題目と呪字を書き、病人の体を浄める方法です。
「そうしたら、その晩から熱が下がったのです。先生は次男の命の親です。それから私もお題目を唱えるようにな
ったんです。今は、あの子は成人して東京にいます。今度きっと連れて来ます。」
と言うような話でした。
他の信者さんが来ても、同じように信仰に入った時の事を聞いていました。
今思うと「もし自分がいなくなっても、初心の心を忘れずにお題目を唱えて欲しい」と考えていたのでしょう。
男の人は三尺褌になるように作ってもらう。私は皆さん
が下の病気にならないように、一生懸命に胞衣を祈念するから。」
と言い、晒(さらし)が手に入ると胞衣を縫ってもらい、それを御宝前に供えていたのです。
今でも、その腰巻きにした胞衣を持っております。長い年月を経て、晒はもう茶色になっています。
まだ使ったことはありませんが、母の祈りを感じて大切にしまってあります。
頭にかぶっている布が胞衣です
【母の葬儀】
【胞衣(えな)かぶり】
もう一つありました。
それは見舞い客が来ると
「あのね、私への見舞いは晒(さらし)にしておくれ。後は何もいらないよ。」
と言うのです。
母から聞いた話では
「人は死んでも生まれ変わるので、早く生まれ変われるように胞衣をかぶる風習があるんだよ。」
胞衣というのは、胎児を包む膜や胎盤の総称です。
「私の葬式の時には、皆に胞衣かぶりをしてもらいたいのよ。皆から貰った晒(さらし)で胞衣を作って貯め
ておく。女の人は後で腰巻きになるように作るのだよ。