平成27年7月1日
妙心寺教会
敬母心蓮院日祥大法尼を偲んで(1)
【はじめに】 
 私の敬愛する母「心蓮院日祥大法尼」は、去る昭和41年8月12日に世寿80歳にて遷化いたしました。今年平成27年8月12日に、第50回忌を迎えます。
 このたび、学も無く地位も無い母が信徒二百名を教化し、お題目の布教に一生を捧げたお話を致したいと思い立ちました。少しの間、話をお聞きくださいますようお願い致します。
老尼のお話の部屋

 昭和41年1月15日の事です。当時埼玉県内の数ヶ寺の寺院で身延山から布教隊を招聘致しました。その折に、法尼は一夜の宿の供養を申し出たのです。
 宿泊の当日は、日中雨が降り続きました。しかし、法尼はこの事を見越していたかのように、布教隊全員の方々の白衣を用意していたのです。そして、その白衣が早速役に立ったのです。
 隊長の日高白象上人は大変に感動されました。この御縁がその後の私の仏縁に繋がる事になるとは、当時の私にはまだ思いもよらぬ事でした。

 写真をお借りして部屋に戻ると、母は早速に説明を求めてきました。
 部屋の奥の襖がガラスになっているところがあり、私はそこへ写真を掲げました。 二人きりです。仕方なく医師の
言った通りに説明を致しました。

 「髪の毛が逆立つ」という言葉があります。本当にそうなのです。母の白髪まじりの鬢の毛が一斉に逆立ちました
。そして、この世のものとは思われぬ怖い顔になったのです。何秒か経って
「ああ、そうか。」
と言った時には、もう普通の顔に戻っていました。

 それからの母は、その頃はまだ手に入りにくいテープレコーダーを買ってほしいと言うのです。
姉と二人でお金を出し合い、ようやく買うことが出来ました。小さな蜜柑箱ぐらいの大きさです。「ソニー」の製品であ
ったことを覚えています。
 そして、見舞いに来る信徒たちに「母とお題目と会った時の話」をテープに録音するのでした。
また、役員が来ると教会についての話を録音するのでした。
 私が行った時に、母は自分の生涯を語り始めました。
 その時に録音したテープは、母の遷化後に姉の妙真尼がUさんに頼んでカセットテープにダビングしてありました。
そして、母の33回忌の時にビデオに編集いたしました。 そのビデオテープを基にして、次回からお話させていただ
きます。
 その後、母は体調を崩し入退院を繰り返しておりました。
 ある日のこと、私が母の見舞いに参りますと
「お前が行けば、先日私が撮ってもらったレントゲン写真を病院の先生が貸してくれるから、行って借りてきておくれ。」
と言うのです。
 レントゲン写真を外へ持ち出す事はあまりないと聞いていましたが、私が母からの伝言を話すと、すぐに貸してくれました。そして写真の説明をしてくれたのです。
「この胃の写真で判るように、白く箸のように見える所があるでしょう。この白い所だけが食物を通しているのです。これが詰まると食物が入らなくなり、やがて死を迎えるのです。」
【日高白象上人】
【身延山布教隊】
【心蓮院日祥大法尼】