平成28年8月1日
恩人信解院大義日要法師 (3)
(8)別れの日
平成9年3月1日、祈願日の事です。その日、法師は篤信者のKさんと対座修行になりました。
対座したKさんは
「あの時の法師の唱題ほど心に響き、胸にしみた事はありませんでした。」
と何度も語っています。
振り返ると、この日が法師が道場で唱題した最後の日なのです。
ご家族の話によると、
「体調が悪く熱もあったのですが、取引先の人との約束があって無理をして出かけたのです。」
との事でした。ようやくの思いで帰宅したので、すぐに病院に行ったのですが、回復することはありませんでした。
私も知らせを受けてすぐに病院に行ったのですが、その時はもう昏睡状態でした。声をかけると、わずかですが口を動かして対応します。家族の方が
「先生となら話をしていますね。」
と言ったのを思えております。
法師との生前の思い出話は、限りなくあります。
この恩人と別れて19年になりますが、修行の後などに法師の話が良く出ます。
その時、私は法師が眼前にいるように感じ
「うん、そうだったよね・・・。」
と二人で頷き合うのです。
(9)法の継承
忘れられない事があります。
法師は私に
「唱題していると、何度も『宛転于地(えんでんうぢ:悶えて地に転がって悩む事。寿量品の一句。)』が示されるのです。その時は何の事か解らなかったのですが、女房と別れる前でした。今考えると、『女房がいなくなる』という前触れだったのですね。」
また、奥様が亡くなられた後には
「我滅度後 後五百歳中 広宣流布 於閻浮堤 無令断絶(我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮堤に広宣流布して断絶せしむる事なかれ。薬王菩薩本事品の一句。)と示されたのです。先生、これは『この法華経を弘める事が私の役目である』と示されたのですね。」
と言いました。
ある時は
「先生、菩提寺に外に置く香炉を寄付したよ。」
と言うので、その香炉を見に行きました。見ると香炉の正面に「一天四海 皆帰妙法」と大きく金文字で書いてあるのです。
「あれっ。」
と驚いてしまいました。
この菩提寺は日蓮宗ではないのです。
「大義さん、凄い。でも、あの香炉を使ってもらえるかしら・・・。」
と言いました。やはり、その後に香炉はいつの間にか片付けられていました。法師の一途の信心がそうさせたのだと思っています。
法師は、平成3年4月3日に清澄山で度牒を受けて僧籍に入りました。でも、残念な事に平成9年3月31日に妙寂してしまったのです。
しかし、法師の信念は子供たちに受け継がれています。T花園を継いだT氏は、現在この教会の総代として法
の護持に尽くしておられ、妻のHさんはT花園を手伝い、お子さんを育てながら私の弟子となり、修行に精進しています。
また、法師の娘のYさんは私の娘となり、この教会になくてはならぬ人です。修行でも、運営面でも、娘としても大切な人となっています。
残念ながら、法師は私を残して妙寂してしまいました。しかし、修行の中で経文で示された通りに、法師の信念は継承されているのです。法師は今もここに生きて、私を守り、法を弘めている事を強く感じています。
時に笑い、時に泣き、時に怒り合った法師は、今もこの場におります。
法師に心から感謝の念を捧げ、この稿を終わらせていただきます。
合掌
【現在のT花園】
【法要に参席される法師】
【遺品として寄贈していただいた国訳一切経】
【現在のT花園】