平成23年9月1日
妙心寺教会
仏教とは(8)  曹洞宗
老尼のお話の部屋
【道元禅師】
  【曹洞宗】
開祖 道元禅師 正治2年~建長5年(1200~1253) 54歳   
  3歳にて父を、8歳で母を失う。13歳で比叡山横川で出家。
 修行したが日本の仏教に満足せず、中国の「天童山景徳寺」において「如浄禅師」に師事し修行。嘉禄元年(1231:26歳)に日本に帰国。鎌倉、建仁寺に住して「普勧座禅儀(ふかんざぜんぎ)」を著し、座禅の普及に努めた。
 寛喜3年(1231:32歳)に「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」を撰述、その後は越前国志比庄に住し、寛元4年(1246:47歳)、大仏寺を改称し「永平寺」と号した。
道元禅師が中国から持ち帰ったものは経典や仏像ではなく、「只管打座(しかんだざ)」という「ひたすら座禅をすることによって自己を自覚する」という修行であった。
本山 永平寺 総持寺
 永平寺は越前国志比庄の波多野義重の援助を受けて創建。
 山門には「日本曹洞第一道場」の額がある。後円融天皇が書かれた勅額である。この山門は間口9間、奥行き5間の二重層からなり、左右の柱には「求道心のある者のみ通ることを許す」という意味の言葉が記されている。
 新しく雲水になろうとする入門者たちは、山門の前に立ち、上山の許可を求めて声をからして叫び続ける。
 総持寺は15万坪の広大な寺域を有する。永平寺と並ぶ曹洞宗布教の中心地となっており、1万6千ヶ寺を超える末寺を持つ。
本尊 釈迦牟尼仏
経典 妙法蓮華経、華厳経、般若経
お勤め(勤行) 開経偈、般若心経、修証義等
《道元禅師の御言葉》 「只管打座(しかんだざ)」 正法眼蔵  

 「座禅に打ち込むことによって、釈尊の悟りと一体となることがで
きる」という道元禅の核心となる教え。悟りを求めて座禅するので
はなく、一切のこだわりを捨てて、ひたすら座ることを説いた。

 中世における曹洞宗の布教方法の特徴は、その土地固有の信
仰と融合し、雨乞いや除災などの祈祷儀礼を媒体とした所にある。
それ故、稲荷神や天狗と仲が良い。
 例えば、豊川稲荷も曹洞宗寺院であり、大雄山最勝寺の天狗
も曹洞禅僧の侍者(付き人)であるという。道元の教えに基づいた
厳しい座禅修行で培った功徳や力は、そのような神々との協力関
係のもとで発揮され、多くの人々の精神生活の支えとなっていった
のである。         (駒沢大学教授:石井清純)