平成23年8月1日
妙心寺教会
仏教とは(7)  浄土真宗 臨済宗
老尼のお話の部屋
  【浄土真宗(本願寺派)
開祖 親鸞上人 承安3年(1173)~弘長2年(1262)   
  親鸞上人は「自分は僧ではなく、単なる俗人である」と、非僧非俗を宣言しました。僧侶としての妻帯を発表したのは、常陸の国(茨城)にいらっしゃるときです。 62歳で京都へ帰り、76歳で「浄土和讃」と「高僧和讃」を、85歳で「正像末和讃」を著し、90歳で亡くなりました。
本山 西本願寺
 娘の覚信尼が洛東大谷の地に親鸞の影像を安置する廟堂を建てたのが、この寺の始まりとされています。その廟堂は、蓮如上人の時代に比叡山の僧徒によって破壊され、本寺はその処を失い、130年近く各地を転々としました。
 現在の境内地は、織田信長との長い抗争の時代をくぐり抜けた顕如上人が、天正19年に豊臣秀吉から寄進されたものです。
  阿弥陀堂は、訪れる人を誰でも受け入れる「庶民のための信仰の場」-として建立されました。境内の南には華麗な彫刻をした「唐門」があり、絢爛な障壁画で飾られた書院は、桃山文化の遺風を伝えています。この「唐門」は、日光東照宮の原型とも言われ、東照宮の陽明門と同じく1日見ても飽きないとされ、「日暮の門」とも呼ばれています。
本尊 阿弥陀如来
経典 浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)
お勤め(勤行) 礼讃文、正信偈、念仏、回向等
【関山慧玄禅師】
《関山慧玄禅師の御言葉》
 「請う、其の本を務めよ」
 花園法皇の聖旨を体して仏法の興隆を実践された
慧玄禅師は、その最後の教えとしてこの言葉を残して、
行脚姿で立ったまま示寂されたそうです。
 この言葉の「本」とはお釈迦様のことです。慧玄禅師
は、釈尊の慈悲と智慧の心を忘れないように、また報
恩の心こそ大事であると語られたと思っております。
 行脚姿のまま、釈尊のもとへ旅立ったのでしょうね。
 「禅」とは、心の別名です。
一つの相にこだわらない「無相」。
一処にとどまらない「無住」。
一つの思いにこだわらない「無念」。
これらの心境を「禅定」と呼び、それは仏の心のことです。お釈迦様の尊崇し、その教えを心にいただき、禅の安心を求めます。
生かされている自分を知って感謝し、報恩の行を積むことを目的としています。
開祖 関山慧玄禅師 無相大師 延文5年(1363)寂 84歳
臨済宗では、お釈迦様の教えを直接受け継いだ迦葉尊者(マハーカシャバ:十大弟子の一人)から28代目にあたる菩提達磨(ボデイーダルマ)がインドから中国に伝えたという禅の修行法を座禅と言います。
 禅では師から弟子への伝達を重んじ、日本に入ってからは公案(禅語録)を用いた修行になりました。
 そして達磨大師から29代目に当たるのが、慧玄禅師です。花園法皇の庇護を受けて、禅の普及に努められ、妙心寺の開祖になられました。
 現在の修行の形態は、この慧玄禅師によって作られました。
本山 正法山妙心寺 (京都花園臨済宗大本山妙心寺)
建武4年、花園法皇が慧玄禅師に帰依し、自分の離室を禅寺として寄進されました。
臨済宗は宗派が13に分かれています。その中で1番大きな派で、末寺3400を数えています。
境内には室町時代に建立された「開山堂」をはじめ、経蔵、勅使門、その他の塔頭(建物)があり、46の寺院が点在しています。
本尊 釈迦牟尼仏
経典 般若心経、大悲咒、観音経
お勤め(勤行) 般若心経、回向
【唐門】
【経蔵】
【書院】
【御影堂】
《親鸞上人の御言葉》 「地獄は一定すみかぞかし。」  
 人はどこまでいっても悟りからほど遠い存在である。
 「いずれの行も、およびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」
【訳】
 どのような修行を積み、思念を積んでも悟りを体得できない身であるから、次生には地獄に堕ちるほかはない。
 阿弥陀仏の誓願はそうした人に向けられている。人々は自己の善によって、西方極楽浄土に往き生まれるわけで
はない。
 大いなる慈悲に基づく阿弥陀仏の生きとし生けるものに対する働きかけ、つまり「他力」によって西方極楽浄土に往
き生まれることができるのである。(佐藤正英:訳)

【春光院】
【三門】
【仏殿、法堂】
【大方丈】
 【臨済宗(妙心寺派)