平成23年6月1日
妙心寺教会
仏教とは(5) 宗旨
老尼のお話の部屋
 宗旨とは、一宗の主旨、宗門の根幹の教義を言います。

 仏教信仰の根本は「悟ること、目覚めること」にあります。今日では仏教というと、葬式や法事という事にしか人
々の関心が向いていないようです。しかし、仏教は本来「人としての生き方」を説いているのです。

 元和1年(1615)江戸幕府から、「寺院法度」が発布されました。その法度の中に「宗門改め」と「寺請け制度」
があります。
 「寺請け制度」とは、寺が家族全員の身元保証を受け持つ制度で、現在でいえば役所の戸籍係のような役目を
寺が行ったのです。
 この法度により、人々は各宗門に属することになったのです。
 墓があるので、仏事のときは菩提寺に行きます。しかし、その菩提寺の宗旨を知っているのでしょうか。仏教そ
のものにもっと関心を持った仏教徒となることは、仏教国日本と呼ばれることに対しても、先祖様に対しても、残さ
れた私たちの責任でもあります。
 墓があるからといって、自分が本当に信じる宗派に行けない人。自分が信じる宗教を持ったからといって、先祖
の墓参りをしない人。これらは、本当に仏教を信じているとは言えないでしょう。
 
 仏教では、「法に依って、人に依らざれ。義に依って、語に依らざれ。智に依りて、識に依らざれ。了義経に依り
て、不了義経に依らざれ。」と説いています。「我流の解釈で悟ったと思わず、正しく経文を理解しなさい」ということ
ですが、まずは、正しい教法(今の世や自分に合った御経)を見つけることから、信仰が始まるのです。
 始めに、天台宗と真言宗について簡単にお話しいたします。
【金剛峯寺 主殿】
【弘法大師 空海上人】
 この世の生きとし生けるものすべては、宇宙の根源的な大生命である大日如来の現われで、金剛界・胎蔵界の
曼荼羅は、宇宙の秩序と生命を示す。
 口密(口に真言を唱え)、身密(手に印を結び)、意密(心を大日如来に馳せる)を行うことによって、大日如来の
世界に生きることができる。
 【真言宗】(高野山派)
開祖 弘法大師 空海上人
弘法大師は、延暦4年(804)に31歳で唐へ渡り、当時の密教の第一人者「青龍寺:恵果阿闍梨」に師事し、密教の極意を授けられました。帰国して大同元年(806)に、日本真言宗の開祖となりました。
また、大師は社会事業を志し、学校を建て、土木事業を行い、日本各地をめぐりました。他にも、優れた書家・文章の達人としても知られています。
本山 高野山 金剛峯寺
嵯峨天皇より、弘仁7年(816)に賜った高野山は、「八葉の峰」といわれる山々に囲まれ、本山を中心に、子院が軒を並べます。
 現在の建物は、昭和9年に再建されました。
 真言宗は多数の派があり、それぞれが本山を名乗っています。
本尊 大日如来
経典 大日経、金剛頂経等
お勤め(勤行) 開経偈、般若心経、光明真言経等
 その後、密教を取り入れたり、念仏なども
行われるようになり、「朝題目と夕念仏」(朝
に法華経を読み、夕べには阿弥陀経を読む)
と言われる幅広い経典が読まれるようになり
ました。

《伝教大師の御言葉》
「一隅を照らせば、これすなわち国の宝なり」
(山家学生式)
社会の中において、社会の一隅を照らすなら
ば、その人こそどんな宝にもまさる国の宝である。
開祖 高祖天台大師 智顗禅師(ちぎぜんじ)
宗祖 伝教大師 最澄上人
天台大師は、中国の随の時代(538~579)に法華経を中心とした天台宗を開きました。
中国に渡った日本の伝教大師(767~822)が、この教義を天台山で学び、延暦25年(806) に日本天台宗を開かれました。
本山 比叡山 延暦寺
世界文化遺産にも登録されているこの寺は、最澄上人が薬師如来を安置した小堂に始まります。中世には広大な寺領をもち、比叡山内の支院や宿坊が3000を超える大寺院でしたが、織田信長による焼打ちに遭い、ほとんどの堂宇が失われました。
その後、江戸時代から復興を遂げ、現在に至ります。
また「日本仏教の母たる山」とも言われ、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮等もこの山で学んでいます。
本尊 釈迦牟尼仏
経典 法華経、大日経、阿弥陀経等
お勤め(勤行) 開経偈、般若心経、妙法蓮華経、阿弥陀経
《弘法大師の御言葉》
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、
我が願いも尽きなん」(性霊集、補闕抄)
宇宙と人々と悟りがなくなってしまえば
私の願いも完了するけれど、この三つ
は無限だから、私の願いも永遠に続く
だろう。
【伝教大師 最澄上人】
【延暦寺 根本中堂】
 【天台宗】