平成25年12月1日
仏教とは(35) 法事
(1)法事とは
「法事」とはすべての仏教行事を言います。現在では故人の年回や追善供養
会を指すようになりました。しかし、元となる考え方には変わりはないのです。
「お経をあげる」という事は、故人に直接あげるのではなく、その道場(法事の
場所)にご本尊様においでいただき(勧請と言います)、そのご本尊様にお経を
お上げして、その功徳を故人に手向ける事なのです。
例えば、故人の写真や位牌の前でお経をあげていても、後ろには御来臨いた
だいた諸仏・諸尊がいらっしゃるのです。その諸仏・諸尊に向かって「お経の功
徳をどうか故人にお届けください」と祈るのが「回向」なのです。
A月忌(がっき)、月次(つきなみ)、月命日
法事で大切な事は、真心を込めてなさることです。
現在では、それを大勢の人集めや、豪華な酒宴、敷物等で示す形になっています。
それも、「故人の追善のための人々への布施」とも考えられますが、本来は家族や兄弟の家族が
揃って菩提寺に参り、お経をあげていただき、供養の誠を尽くすのが本義なのです。
忌日より少し早くなっても構いません。
家族全員が心静かに聴聞し、共に読誦し焼香する中で
「故人の供養しながら、実は自分たちも共に魂を養っているのだ。」
ということが感じられて、そこに回向供養する喜びを知るものなのです。
人と生まれて、誰でも一度は出会う事であろう「葬儀」について、長い間お話をいたしました。
まだまだお話はしきれませんが、このお話が少しでも皆様のお役に立てたなら有難いと思っております。
このお話を作るにあたり、菅野啓淳上人の「仏事のこころえ」、双葉社発行の「日蓮宗のお葬式」・「仏
教辞典」等を参考にさせていただきました。
時勢により、人により、様々な考えが生まれる現代です。
しかし、私たちが今あることに感謝し、先祖が残された風習をできる限り真心を持って行う時、真の幸せ
が訪れると信じております。
合掌
亡くなられてから初めての祥月命日、満一年を「一周忌」、その翌年を「三回忌」と言います。
「周」は満、「回」は数えと考えるとわかりやすいでしょう。
この三回忌で十王の裁きが終わるとされています。
亡くなられた年から起算して「七回忌」、「十三回忌」、「二十三回忌」、「二十七回忌」、「三十
三回忌」、「三十七回忌」、「四十三回忌」、「四十七回忌」、「五十回忌」となります。土地によっ
ては三十三回忌を「年忌どめ」と言って、供養を終わる所もあります。
また、「五十回忌」を「五十遠忌」と呼び、その後は五十年ごとに法事を営む所もあります。
「年忌」という供養のあり方は、日本独特の祖先崇拝や生死観から行われ、始められたのです。
D年回忌
人が亡くなった日から49日の間、七日を一区切りとして法
事を行います。すると、七回に区切られます。その区切りの日
には「十王」と呼ばれる裁判官が故人の生前の行いをあらゆる
角度から調べられ、それによって「本尊にお会いできるか(浄
土に生まれる)、地獄に落ちるか」が決められるとされていま
す。
しかし、それを決めるのは裁判王ではなく、故人の生前の行
いによると言えるでしょう。
また、残された者の七日毎の供養によって個人が浄土に生
まれるかどうか決まるとも言われています。そのため、七日毎
の供養は大事な法事なのです。
最近では「骨あげ」の時に、初七日の法事や他の忌日の法
事まで済ませたりして、中陰中の法事も行われなくなったりし
ています。せめて家族だけでも集まり、お経を上げていただくこ
とを考えたいものです。
中陰が終わり、当面の忌明けとなって身も心も一寸休まれた所で行う法事が「百ヶ日忌」です。
中陰の間で七人の裁判王の裁きが終わります。百ヶ日では第八の王の裁判となります。
中陰から百ヶ日忌までの法事については、土地によって差があります。それぞれの長い風
習によって行われていますが、法事に対する心は大切に守っていきたいものです。
B中陰、中有、中蘊(ちゅううん)
C百ヶ日
亡くなられた人の毎月めぐってくる命日。月忌には墓参をしたり、菩提寺さんにおいでいただき、お経を上
げていただいたりします。
(2)法事の種類
@祥月命日
人が亡くなられた月日を言います。毎年その日がめぐってきます。