平成25年1月1日
妙心寺教会
仏教とは(24) 葬儀
老尼のお話の部屋
(3)遺体
 「末期の水」が済むと看護士が死後の処置をし、遺体を清めて死化粧をしてくれます。
その後、霊安室などに運ばれます。死後の処置が済むまで遺族は病室の外で待つの
です。
 この間に、死亡の連絡や遺体を自宅へ運ぶ手配をしなければなりません。
 遺体の搬送は、病院と提携している葬儀社に頼むか、自分で他の葬儀社に依頼する
ことになります。この時に後の葬儀についてトラブルが起きることも考えられるので、「ま
ずは自宅までの搬送」と確約することが良いでしょう。
 自宅で息を引き取った場合は、まず、かかりつけの医師に至急来てもらいます。かかり
つけの医師がいない場合は、近所の医師か警察を通して警察医を呼びます。医師が検
死して死亡の確認が済むまでは、遺体を動かしてはなりません。

  人間としてこの世に生を受けた私たちが、一度は体験することの一つに葬儀があります。今月からは、この「葬儀」
について順を追ってお話しいたします。

 
(1)危篤
   現在では家族の危篤については、病院から連絡を受けることが多くな りました。危篤が知らされたら、時間にか
かわらず電話で家人や会わせたい人に知らせることです。健康な時から知らせる人のリストを作っておくことが望ま
しいです。
 
【電話のかけ方 (心を落ち着けてかけましょう)】
@病院からの場合。
・慌てずにまず自分の名前を言う。
・危篤者について話す。
・病院名、病室、連絡先を伝える。
A自宅からの場合
・家の近くにある目標となる建物を言う。
・救急車などで病院に行く場合は、病院名と住所を知らせる。
(2)臨終
  医者から臨終を告げられたら、見守っている人たちで「末期の水」を取ります。行う順序は「血のつながりの縁の
深い人から」というのが一般的です。

【「末期の水」の起源】
 今から二千五百年前、お釈迦様は80年の御生涯を終られました。臨終の間近にお釈迦様は侍者の阿難尊者に
「水が飲みたい」と仰りました。
 阿難尊者は近くの狗孫河(ヒラナャバティ)に行きましたが、そこには沢山の馬車があり、泥水でとても飲めません。
 尊者は「今、上流に人をやって汲みに行かせましたから、しばらくお待ちください」と申し上げますが、あまりにも時間
がかかりすぎます。その間にお釈迦様は三度も「水が飲みたい」と仰ります。その様子を見た雪山 (ヒマラヤ)の鬼神が
八種類の浄水を捧げ、お釈迦様に飲んでいただきました。(菅野啓淳著:仏事のこころえ)
 この仏話から、臨終間際や死亡直後に捧げる水を「末期の水」と言うのです。