妙心寺教会
仏教とは(2)
老尼のお話の部屋
平成23年3月1日
 「阿羅漢」とは全ての迷いを断じて修行が完成し、学ぶべきことが無くなり、世の人の供養を受けるべき位に至
った者を言います。
 この五人の比丘は、お釈迦様が出家なされたとき、父の浄飯王が、供として付けられた方々です。この五人が
、お釈迦様の一番初めの弟子となったのです。

鹿野苑では、3カ月の間に56人の弟子を得て、ここにお釈迦様の教団が成立しました。そして弟子たちを各地
の布教伝道に当たらせました。また、ご自身も伝道の旅に出かけられたのです。

 お釈迦様の教えの根本は、
「人が安穏に生活するためには、次のことを心がけて生きなさい。」
とお話ししてくださっていると、私は捉えています。
【慈悲の心を持つ】 
 物事に対して慎(いか)らないで、慈しみ育てる。
【人は平等である】 
 差別をしない。人の立場によって差をつけない。
【苦の根元を知る】 
 煩悩(迷い)や欲心があるから、苦しむのである。全てにおいて、執着を離れる。

原始仏典といわれる「スッタニパータ」の一節を紹介致します。

「無量の慈しみの心」
 一切の生きとし生けるものは幸福であれ。安穏であれ。何人も他人を欺いてならない。たとえどこにあっても、
他人を軽んじてはならない。他人に苦痛を与えることを望んではならない。
 あたかも、母が己が独り子を命をかけて護るように、一切の生きとし生けるものに対しても無量の慈しみの心を
起こすべし。 (セイロンに伝えられたパーリ語経典の一節)


「御入滅」
 お釈迦様は、成道をなされてから御入滅までの45年間、諸国を伝道なされました。
 その偉大な人格に接し、尊い教えを受けた者たちは、弟子となり、また外護者(げごしゃ:在家の信者)になり
ました。外護者は競って「精舎園林」を建立し、弘教の拠点として寄進しました。
 教団は発展し、弟子も千二百余人となったのです。
 そこで戒律(波羅提木叉:ハラダイモクシャ)を定め、雨期には雨安居(ウアンゴ)と称して外出を禁じ、弟子たち
に座禅(瞑想)を修学させました。

御入滅の前年、「王舎城(おおしゃ城)」から「舎衛城(しゃえい城)」への伝道に旅立たれました。その途中、鍛
冶屋のチュナンダが供養した食物にあたり、病気になりました。
 しかし、病を押して「狗尸那掲羅(くしながら)」に入り、城外の沙羅樹の林に行き、大木が2本

 参考文献
日本宗教事典(村上重良)  仏教の教え(奈良康明)  仏事のこころえ(菅野啓淳)
仏教聖典(仏教伝道協会)  日蓮宗仏事行事集(石川教張)   日蓮宗事典
日蓮宗讀本  信行道場読本  三宝絵  あべこべ感覚  仏典の成立等

 御遺骸は天冠廟に安置され、荼毘の後、仏舎利は「摩掲陀(マカダ)」、「迦毘羅(カビラ)」等の8ヶ国に分けられ
、各々仏塔を建立し奉安供養されました。
 菩提樹の下で悟りを得られたお釈迦様は、鹿野苑に向かわれ、かつて一緒に修行した友にお話をなされました。
 これを「初転法論」と言います。
 お話の内容は「四諦(したい)」と「八正道(はっしょうどう)」についてです。
「四諦」
(1)苦: 人は生まれたときから生老病死の苦を背負っている。
(2)集: 人は根本的に欲望、煩悩(まよい)がある。そのために苦しむのである。
(3)滅: 全ての執着を離れ、自由の境地を得なければ、それらの苦しみや悩みから離れる事は
    出来ない。
(4)道: その境地に至るまでの修行法である「八正道」を説かれました。

「八正道」とは、次の八つの修行です。
(1)正見: 四諦の道理を、現実に合わせて見る。
(2)正思惟: 四諦の道理を、良く考える。
(3)正語:妄語をせず、正しい言葉を遣う。
(4)正業:殺生等をせず、正しい行いをする。
(5)正命:身・口・意から生ずる心を清浄にし、正しい生活を行う。
(6)正精進:仏道の修行に励む。
(7)正念:邪念を払い、正しい道の生活を常に念ずる。
(8)正定:心を清浄に保ち、事に当たって動揺しない。
 これを聞いた友の五人の比丘は悟りを得て「阿羅漢」になりました。
並び立つ間に着くと、阿難尊者に
「北首せしめよ。」
と仰って床をのべさせて、
「自らに帰依し、自らを灯明とすべし。」
と教化なされ
「我が滅後は、教法と戒律を師とすべし。」
と遺言され、2月15日夜半に入滅なされました。
 時に、仏寿80歳でした。