【祖師堂は遠かった】 
 回を重ねていくうちに足取りも軽くなり、行脚が楽しくなってきました。メンバーも増えて5名となりました。
この5人で佐渡まで行脚を続けたのです。
第三回 平成15年2月19日 「嵐山P」から秩父線「小前田駅」 約10km
第四回 平成15年3月5日 「小前田駅」から八高線「松久駅」 約8km
第五回 平成15年3月9日 「松久駅」から八高線「丹荘駅」  約10km
第六回 平成15年4月23日 「丹荘駅」から八高線「群馬藤岡駅」 約8km
平成26年9月1日
妙心寺教会
 前回寄った児玉には「玉蓮寺」、今回行く
藤岡には「天龍寺」というお寺があり、いず
れも大聖人がお寄りになったと言われてい
る所です。
 天龍寺に着くと、O上人が帰ってこられた
ところでした。挨拶しますと「すぐ側にお堂が
あり、そこは大聖人が実際に泊まられた場
所だよ。」と教えていただきました。
 「駅の向こうに出て、まっすぐ行くとすぐだ
よ」と言われたので、そこに行ってから昼食
にしようと決めて歩き出しました。
 ところが、行けども行けども祖師堂が見つ
からず、行き交う人に聞きながら午後3時
過ぎにようやく辿り着いたのが、「下栗須の
祖師堂」でした。大聖人の御像と満開の桜
に感激しました。
 皆お腹が空いて動けなくなったので、ここ
で行脚を終了しました。
「昼ご飯を食べよう」とお店を探しましたが見
つからず、夕方6時の遅いお昼となりました。

こんな事もあるので、行脚って面白いのです。
 帰ってから調べたところ「升田幸三名人」という方で、大変有名な棋士でした。「異端児」とも呼ばれ、「名人
に香車を引いて勝つ」などの沢山の逸話を持つ豪放磊落な人だったそうです。
 その方がお題目を唱えていたなんて・・・。
 行脚をしていたなんて・・・。
 お題目ってすごい。(^_^)v
【将棋名人と団扇太鼓】
第七回 平成15年5月7日 「群馬藤岡駅」から上信電鉄「根小屋駅」 約9km
第八回 平成15年5月22日 「根小屋駅」から信越本線「群馬八幡駅」 約9km


 群馬八幡駅で身なりを調えていると、駐輪場のおじさんは声をかけてきました。
「昔、君達みたいに太鼓叩きながら歩いていた男の人がいたんだよ。将棋のマスダ名人て知っているかい。」
と、おじさんは次のような話をしてくれました。
日蓮聖人を偲んで 私達の行脚の旅(2)
老尼のお話の部屋

 昭和の終わりの頃、髪を束ねて太鼓を叩
き、大声で「南無妙法蓮華経」と唱えながら
歩く人がいました。何でも将棋に挫折して
「もう一生将棋はしない」
と誓って引退したそうです。
 当時、この辺は外に縁台を置いて将棋を
指す人が多かったそうです。
 名人はその前を通るとどうしても将棋が
気になり、
「このヘボ!」
と叫んで自分で指してしまったのです。
指してから、「もう一生将棋はしない」と誓っ
た事に気付き、また歩き出します。
 ところがまた将棋をしている人たちに出
会うと、
「そうではない!」
とついつい割り込んでしまうのです。
 いつの間にか将棋を指している自分に気
付き、
「やはり自分は将棋を捨てる事が出来ない
のだ」
と悟り、再び将棋界に戻りました。
その後、再び活躍されたそうです。

おじさんは
「つい懐かしくなって話してしまったよ。へえ
行脚修行って言うんだ。知らなかったよ。」
とにっこりしました。