平成26年6月1日
妙心寺教会
撃鼓行脚頭陀行(6) 浄蓮の修行Ⅴ
老尼のお話の部屋


(3)堀に落ちる

 ある年の正月、縁あって千葉から見えたOさん
と小﨑沼に行脚しました。
 ところが、その帰り道に急に大雪となり、二人
揃って田んぼの脇の小さな堀に落ちてしまった
のです。
 何とか家に帰りつき、体を温めようとストーブに
近寄りました。しかし、それは駄目でした。痛いだ
けです。
 まずはぬるま湯に手を浸し、その後からお風呂
に入って体を温めるのが一番であることを知りま
した。
 
(6)太鼓の音
 ある年、小寒中は群馬の本城寺の朝の寒修行に参加することにしました。本城寺へ行くのに
は、吹上駅から高崎駅で乗り換え、富岡駅で降ります。
 本城寺の朝の寒修行に間に合うためには、高崎線の一番列車に乗らなければなりません。
バスやタクシーは無いので、吹上駅まで歩きます。朝4時には起き、真っ暗な中を一人で歩きま
した。富岡駅で降り、行脚で本城寺まで行きます。
 寺に近づくと、先輩のO氏のお母様が大太鼓を叩いているのが聞こえてきます。
 修行を済ませ、奥様から美味しい味噌汁をいただき、また駅まで行脚で帰ります。
 帰途には陽も高くなっているので、吹上の街を行脚して帰ると半日が過ぎるのです。

 その年の大寒中は、姉が母の跡を継いだ教会に朝修行に通いました。姉の教会は5時半から
朝修行が始まります。行脚で1時間ほどの道のりです。
 私が着くと、そこの信者さんたちから
「あれ?先生一人なんですか。大勢の人が叩いてこちらに来るように聞こえるのですよ。」
と不思議そうに話しかけられるのです。
 何度行っても、同じように話しかけられました。
 姉の教会は町外れにあるので、家は多くはありません。私は田んぼ道を歩いてくるのです。
 なぜ大勢で叩いているように聞こえるのか、現在でも不思議なままです。

(5)吉見町
 次第に会員が増えてきました。
 行田から6km程離れたところに吉見町があり
ます。この吉見町のWさんは、一番初めに教会
の信徒になりました。そして、吉見町には寒修行
に出かけるようになりました。このWさんの御縁
で、吉見町の十軒位の方々と知り合いになった
のです。
 それからは、年に一度、寒修行と年始の挨拶
も兼ねて吉見町で行脚をしました。
 この縁は、現在でも続いています。もう40年
間も毎年続いている修行は、Wさんの変わらぬ
信心の深さ故と感謝しております。

【七面山で朝日を浴びて】
 この若者は、「時には凶暴になり、裸で包丁を振り
回す」と聞いていたので、後をついてくるのがとても
怖かったのも確かです。
 無事に教会に着いたので、その若者の家の人に
迎えに来てもらいました。
 その後も、何度かふらりと教会に来ました。その家
の方が探して電話を寄越すので、こちらから連絡し
て迎えに来てもらいました。
 彼の母親から祈願を頼まれましたが、祈願の後、
病院に入ることを勧めました。
 「今は快復して勤めに出ている」と、Kさんから聞い
ています。
【行田の行脚修行の思い出(2)】
(4)若者
 ある時、昔の母の信者だったKさんの家に行脚で寄りました。するとKさんが
「親戚で困っている人がいるので、是非寄ってください。」
と言って、その家まで案内してくれました。
 その家の庭に入った途端に、若い男の人が凄い勢いで飛び出してきたのです。
 何と言ったのかは自分でも覚えていませんが、大きな声で一声、声が出ました。すると、その若
者は土間に土下座して謝るのです。回向を済ませ、若者も落ち着いたので帰ろうとすると
「一緒について行く。」
と言うのです。
 若者は、私の後をついてきました。初めての土地ですから帰り道がわかりません。すると、教会
へ来たこともないその若者が
「そこを右。」
とか
「真っ直ぐ。」
とか言って、道を教えるのです。そして、田んぼ道を歩きながら大声で
「さあ、みんな俺について来い。皆来いよ。俺についてくればみんな助かるんだ。」
と叫ぶのです。
【水難死された方への供養尊像の前で】
(7)右手と左手
次男の勤め先は、吹上の街中でした。自宅から出
勤するので、それに合わせて車に乗せてもらい、吹
上の街で下ろしてもらって街中を行脚しました。寒
中の午前中を行脚修行にあてます。
 寒い中で撥を持ち、太鼓を叩いているので、右手
は冷たくならないのです。 困るのは左手です。太鼓
を持つ手が凍ってしまい、持ち直そうにも指が動か
なくなるのです。
 そんな時は、左手の指を1本ずつ右手で離し、こ
すって温めるのです。「凍るような寒さの中では指
が動かなくなるのだ」と知ったのも、この寒修行が
あったからです。
【野仏にも供養の法味を言上します】
【佐渡 妙宣寺にて】