平成26年5月1日
撃鼓行脚頭陀行(5) 浄蓮の修行Ⅳ
昭和47年、故郷の行田の地に家を建て、
亡夫と共に転居いたしました。市街からは遠
く離れ、交通の便も悪く、知人もありません。
しかし、唱題修行や行脚修行の場としては
他人に迷惑をかけることはないので、仏の
与えてくださった修行道場であると有難く思
いました。
亡夫から一部屋を私の「修行の部屋」とし
て与えてもらい、一人で修行を始めました。
私の願いは「『地涌発唱』と言われるお題
目を皆さんに知ってもらい、唱えていただき
たい」、その一念しかありません。
【昭和50年1月12日 得度式】
【行田の修行】
朝の5時半に太鼓を叩き、朝勤を済ませます。
朝食の後は、近所を行脚で回りました。その頃に、上人方のお力添えと亡き母のお陰もあって、
僧侶の資格を与えられました。そして、昭和50年に「妙心教会」を設立することができたのです。
渡辺上人から「浄蓮」の修行名をいただいたのが昭和43年、それから7年の歳月が流れていま
した。
昭和46年4月に妙昌寺を離れた私は、渡辺上人遷化の時にお会いした田村上人の元で修行
させていただくことをお願いしました。その後は、増村上人にご縁をいただき指導を受けました。
増村上人は、昭和58年4月4日に遷化されました。その時、私はもう55歳になっていました。
それ以来、特別に指導をいただけるお上人にはお会いできず、一人で妙心教会を守り、現在に
至っています。
(2)浄化
行田の隣町の吹上の街を行脚すると、「うるさい!」と怒鳴られたり、酔っ払いに絡まれたりした
こともありました。犬にも吠えられます。
しかし、その地を何度か行脚すると、不思議に穏やかになるのです。
浄化されていくのでしょう。
【行田の行脚修行の思い出(1)】
(1)小﨑沼への行脚
行田に越してきてからの何年かは、妙昌寺の時と同じく一人での行脚修行を行いました。
「お前に縁があるから、お守りしなさい」と、亡姉「清蓮院日真法尼」から渡された「法徳お咲大
明神」を守護神として祭祀いたしました。その「法徳お咲大明神」が入水されたと言われる「小﨑
沼」が、5kmほど離れたところにあります。
その小﨑沼に回向し、土地の浄化をすることを目標として、月に何度か近くの村々を行脚したの
です。
ですから当時の法務の電話依頼では、「もしもし、中野浄蓮さんですか」ではなく、「もしもし、お
咲さんですか」と呼ばれていたのも、懐かしい思い出の一つです。