平成26年4月1日
撃鼓行脚頭陀行(4) 浄蓮の修行Ⅲ
【妙昌寺行脚修行中の思い出(2)】
(8)絶対の信
渡辺上人から
「妙昌寺に来る度に、教箋を10枚持ってきて回向しなさい。
その時に、道端の家々を一軒も飛ばさずに全て回るのです
よ。」
と言われたことがありました。
これはきつい修行でした。
明覚の駅は小さな駅ですが、街中に入ると郵便局や役場も
あるのです。でも、言われた通りに郵便局や役場の窓口にも
教箋を置き、回向をしました。
ある家では教箋を渡すと
「いくら払えばいいんだい。」
と言われて
「有難うございます。お志を頂けばよろしいのです。」
と答えたこともあります。
人の気配はあるのに、回向しても出てきて下さらないことも
あります。
御布施として十円玉を出した方が、それを百円玉に替えて下
さったこともあります。御布施としてお米を下さる方、野菜を下さ
る方もいました。
様々な出来事に出会うと
「何もこんな事をしなくても食べていけるのに。」
と言うけしからん思いが湧いてきたこともありました。
しかし、渡辺上人は私にとって絶対の方です。ですから、仰せの通りの修行ができたのです。
「絶対の信」は、人を強く育ててくれるのです。
昭和43年(1968)の頃は、中野から転居して東久留米の公務員宿舎に住んでいました。寒中に妙昌寺での
修行がない日は、近くを行脚して歩きました。
ここでも色々な思い出があります。創価学会や立正佼成会の人とも会いました。キリスト教の牧師さんと出会っ
たのもこの頃です。
行脚修行では、寒い冬よりも暑い夏の方が体力を消耗するようです。冬は休むことなく歩けるのですが、夏は
そういうわけにはいきません。
ある時、知人に
「あらまあ、中野さん。どうしたの、その顔。」
と言われて鏡を見たら、顔の真ん中だけが三角形に黒くなっています。頭巾に覆われていない顔の真ん中だけ
が、三角形に日焼けしていたのです。
行脚修行を通して、沢山の体験をしました。それらの体験が唱題修行と共に私の魂を育ててくれ、現在の修行
の礎となっているのだと感謝しております。
【師渡辺錬定上人が認めて下さった太
鼓です。撥には「牛歩遅々 千里も近
し法の道」とあります。】