平成26年3月1日
撃鼓行脚頭陀行(3) 浄蓮の修行Ⅱ
【妙昌寺行脚修行中の思い出(1)】
(1)子供たち
夏の日のことでした。あまりに暑いので神社で一休みしていると、
小学校低学年ぐらいの子供たちが近寄ってきました。
「なんで太鼓を叩いて歩いているの。」
「そうね。これは、この太鼓の音が聞こえるところの人たちが、欲張っ
たり喧嘩をしたりしないように叩いて歩いているのよ。」
「ふーん。そうなんだ。」
立ち上がった私の後を、3~4人の子供たちが一緒にお題目を唱
えながらついて来ました。とても嬉しかったのですが、帰り道を心配
して返しました。
(6)菩薩様
青い空に、幻灯のように絵が浮かんできました。
田舎の一本道です。
「何だろう。」
と見ながら歩きました。
絵がはっきりと見えてきます。それは龍の背の上に蓮華台があり、その蓮華台に菩薩様のお姿があるのです。
歩く私と一緒に、絵も歩いてくださいます。
わずか何分かの出来事でしょう。
遠くに森の見える場所に来た時に、その姿は見えなくなってしまいました。
(7)小父さん
同じくらいの時刻に、私が行脚で通るのを待っていてくれる小父さんがいます。
最近は行脚の途中に呼び止められて、家に寄ることが増えてきました。
「稲荷様を拝んでください。」
とか
「今日は誰それの命日だから。」
などと頼まれるのです。
そのような事があると、普段よりも時間がかかる場合があります。そんな時にその小父さんは
「今日は遅かったね。」
と言って、お茶の接待をしてくださるのです。
【誕生寺で師渡辺錬定上人と】
(4)商店街
嵐山町の商店街を通って、光照寺へ向かいます。どういう訳か、バ
キュームカーが前をふさいでいて進めないことが何度かありました。
おそらく、巡
回する時間なのでしょう。
何回か行脚をしていると、お店の前の道を掃いて下さる方が出て
きました。
「太鼓の音が聞こえるので掃除してくださるのだ」と思っております。
(5)中学生
当時の八高線は蒸気機関車でした。本数が少ないので、自然に駅
に行く時間が決まります。ちょうど、中学生の下校時間なのでしょう。
自転車に乗った中学生の一団に良く会いました。
行脚をしている私に会うと、生徒たちは手を振って
「頑張ってね。」
と声をかけてくれるようになりました。
(2)お婆さん
初めて教箋を持って回向をしたのは、出来上がった教箋を渡辺上人
に見ていただいて妙昌寺からの帰途でした。
都幾川にかかっている「つきた橋」という大きな橋を渡ろうとしました。
ところが目の前にお婆さんがいて、追い越すことができません。
【大聖人清澄山入山の5月12日に 清澄から誕生寺まで行脚で参詣】
橋のたもとにはお店があります。お婆さんはその前で止まってしまいました。渡辺上人からは
「一軒だけは、必ず回向をするように」
と言われています。
お店を見ると、幸いなことに戸が閉まり、カーテンが引いてあります。
「そうだ、ここで初めての回向をすれば良いのだ。別に人はいなくても良いのだから。」
と思って回向を始めました。
すると、何という事でしょう。お店の戸が開いて、人が出てきたのです。
その途端に、頭が真っ白になって回向文を忘れてしまいました。もう、お題目だけです。震える手で教箋
を渡して店を出ました。何分もかかっていません。それなのに、広い一本道にはあのお婆さんの姿がない
のです。
あのお婆さんは一体誰だったのでしょうか。
(3)牛と一緒に
妙昌寺を出るのが遅れて、夕方近くになってしまいました。
いつものように行脚してていると、道端の牛舎から大きな牛が出てきて、私の後をついてくるのです。
「夕方になったので、牛も散歩をするのだなあ。」
と思っていました。牛の鼻息を感じながら、牛と一緒に100メートルぐらい歩いていたでしょう。
人の気配に振り返ると、後ろから男の人が息せき切ってかけてくるのです。
「大丈夫でしたか。」
と私に声をかけてから、牛を連れて帰りました。
去っていく男の人と牛に礼拝をしてから、また歩き出しました。
【清澄山大杉の前で記念撮影】