平成27年5月1日
妙心寺教会
日蓮聖人を偲んで 私達の行脚の旅(10)
老尼のお話の部屋
【ついに佐渡へ】 

第三十七回  平成18年10月6.7日 信越本線「礼拝駅」から寺泊「法福寺」  約25km

 今回は、K上人が車を出してくださいました。台風の予報が出ていたので心強かったです。
 刈羽原発で事故があり、原発場を避けて「礼拝駅」から行脚を始めました。途中雨風が激しくなったので車に乗り、宿泊地の出雲崎へ向かいました。この町は佐渡金山の荷揚げ港で、流刑中に亡くなった方々はこの地で弔ったそうです。代官所・獄門跡があり、当時は沢山の人たちが辛い思いをしたのでしょう。
 街の中央には、いろいろな宗派のお寺が集まった一角があります。そこから少し離れた山の中腹に「良寛上人記念館」が建っています。里へ下りてきては子供達と遊ばれたという、あの良寛上人の住居跡です。自筆の写経が数多く展示され、中でも「法華経とそれに関する書」には、注釈などがびっしりと書き込まれていました。他宗の方ですがあの良寛上人も「法華経」に一番興味を持たれていた事がうかがわれて、嬉しくなりました。

 

 ようやく佐渡です。大聖人が歩かれた道に近い所を通ろうと考え、前日に寺泊で一泊し、7日の朝、船で佐渡の赤泊港へ向かいました。
 まずは本行寺、大聖人が佐渡で初めて一泊された所です。本行寺に入ると丁度お上人がいらしていて
「佐渡へは両津港や小木港などの大きな港から来られるので、この寺まで足を伸ばす方は少ないのですよ。」
と、大変歓迎してくださいました。
しかも
「道が分かりにくいですから。」
と車で案内してくださり、「小倉峠の宝塔」や「真浦の御堂」等、普通では行けない場所にもお参りする事ができました。
 妙経寺では、大聖人が書かれた「中興入道消息」にある「北風吹けば、南海の魚族其の風に当たりて大海の苦しみを離れ、東風来れば西山の鳥・鹿、其の風を身に触れて畜生道を免れて」との御言葉を肌で感じました。
 また、塚原の行脚では中野先生もご一緒してくださり、皆が心一つに感激しました。





「佐渡は広かった。まだまだ歩きたい場所が沢山ある。」
これが実感です。
「機会を作って再び佐渡にチャレンジ。」
皆がそう考えています。

2日目は、「行脚をして雨が降ると車で移動、小雨になるとまた歩く」を繰り返して午後に寺泊港に着きました。
この地で大聖人が「寺泊御書」というお手紙をお書きになり、その時に使われた水を汲んだ「硯水の井戸」は、
今も澄んだ水をたたえていました。
第三十八回  平成19年8月7~10日 佐渡