今回の碓井峠の行脚も同じでした。
「もうだめだ。私一人でもいいから帰ろう。」
「ふもとに戻れば、誰かいるはずだ。」
そんな私の心を見透かしたかのように、『通行止め』の立て札があり
ました。
『この先3キロのところで橋が流されて川が渡れない』と書かれてあり
ます。
「やった!止められる!橋が流されて川が渡れないのだから、今日
はもう終わりだ。」
と喜びました。
するとリーダーのKさんが、
「私が見に行ってきます。通れるようだったら太鼓を叩いて知らせる
ね。」
と言って出発しました。NさんとTさんも続いて出発しました。
私は太鼓やリュックまでもJさんに持ってもらい、歩く事もできずに道
にうずくまっていました。
「3キロも先にある橋があるかないか確認しに行くなんて、考えられ
ない。」
「そんな先まで歩いても、橋がなければ帰ってくるのに・・・。」
私ならば、確認などせずにすぐに戻ってしまったでしょう。
【初めての峠越え】
第九回 平成15年6月11日 「群馬八幡駅」から信越本線「安中駅」 約8km
安中駅の傍を通る旧道沿いに「実相寺」があります。
「こちらのI上人は歴史に詳しく、旧道のことをよくご存知ですよ。」
と天竜寺のO上人から教えていただいています。
「ぜひ、話を伺ってから碓井峠に行きなさいな。」
とのアドバイスをいただき、実相寺を訪れました。
I上人は大変喜んで下さり、「昔は碓井峠ではなく入山峠を歩い
たこと」・「入山峠の入り口には題目宝塔が建っていること」などを
話してくださいました。
平成26年10月1日
日蓮聖人を偲んで 私達の行脚の旅(3)
まさに、波瀾万丈の峠越えとなりました。
いつも中野先生が
「修行を始めると、それを妨げることが起きてくる。その時こそ
『信』を試されるのです。」
とおっしゃっていますが、私たちにとっては「まさにこの日がそ
うだったのだ」と思います。
人がまったく通らない山道です。
道を間違えて、やっと本道に戻れたと思ったら体調の悪い人
が出てくる。
「通行止め」の立て札、おまけに「熊に注意、しかも親子連
れ!」の立て看板まで出てきたのですから。(^O^)
『これでもか。これでも進むのか。』
と言われているようで、全員の心を揺さぶるのです。
「その時に『よし!』と心が決まるかどうか」という事なのですね。
「5人のうちの1人が欠けても、この峠を越えられなかったのだ。」
という思いが、喜びとなって溢れてきました。
私たち5人は、本当の行脚仲間になったのです。(^_^)v
しばらく座って待っていましたが、誰も戻ってきません。そこで、私も少しずつ歩くことにしました。その苦しさは、
半端ではありません。よろよろと歩いていくと聞こえてきたのです。太鼓の音です。太鼓の音が、次々と山の中を
谺(こだま)して来たのです。
私は急に元気が出てきて、さっきまでとは違い「ああ、申し訳ない」という気持ちでいっぱいになりました。
「Jさんに預けた太鼓やリュックは、自分で背負わなくてはいけないのだ」ということも、はっきりと頭の中に刻まれ
ました。
今思うと、この時、お釈迦様は私を試されたのでしょう。
毎回毎回「苦しい」と言って、太鼓やリュックを持ってもらう私に
「そんなことで、本当におまえは修行をしているのか?よく考えなさい!」
と言われたように思いました。
それから少しずつ歩いて、何とか皆に追いつくことができました。入山峠も、そこから先は楽に越えることができ
ました。扇平に着いた頃には霧がとても深く立ち込めて、私たちの白い行衣が霧と一体になり、神秘的に見えた
のかもしれません。
というのも、扇平に駐まっていた車の人がボールペンを口にくわえたまま唖然として、通り過ぎる私たちを見てい
たからです。誰も通らない扇平で、霧が立ち込めた林の中から白装束で太鼓を叩きながらお題目を唱えている五
人が出てきたのですから、驚くのも無理はありません。
そんな妙な可笑しさも加わって、元気が出てきました。一気に軽井沢まで行脚です。
この時、皆さんの温かい心、そして「絆」というものを感じました。以来、行脚修行の時に、途中で逃げたいとか帰
りたいとか思ったりすることは一度もありません。
「この人達の仲間になれて本当に良かった。これからもずっとついて行こう。」
と思えるようになったのも、この峠の出来事があったからです。
平成15年7月23日に行う予定の行脚が、雨のため7月30日に延び、
また再び雨となり8月20日に延びてしまいました。今日は天気も良く絶
好の行脚日和です。
横川の題目宝塔を拝ませていただき、そこから入山峠への古道に
入りました。山に入ると、すぐに道がわからなくなってしまいました。
山道の行く先々にお墓があります。お墓の中の人たちがお題目を
聴きたがっていて、その人たちにお題目を唱えさせられたように思え
るのです。
そうこうしているうちに道が判りやすくなってきて、再び唱えながら
の行脚が始まりました。私はこの頃から顔が熱くなり、胸が苦しくなっ
てきました。そのうちに吐き気を催すぐらいになり、もう我慢ができな
くなってしまいました。いわゆる熱中症です。水分が足りないと気づき、
慌てて水分を補給しましたが、前の晩から水分を控えていたのでいっ
こうに吐き気が止まりません。とても辛く苦しい時を過ごさなくてはな
りませんでした。
最近は行脚のたびごとに、苦しくて「もうだめだ!」という場面に遭う
ようになりました。
「私は何のために行脚修行に加わり、こんな苦しい思いまでして歩い
ているのだろう。」
「毎回毎回こう苦しくては本当に参ってしまう。」
「もう今回の行脚で終わりにしようか。」
「もう今日は途中で帰ってしまおうか。」
などと、逃げる事ばかりを考えていたのです。
その後、その宝塔まで車で案内してしてくださり 「峠越えの前に泊まった坂本宿のこと」・「安中旧道にある
『大聖人が爪で描かれた達磨の絵のある石』」等についても教えてくださり、こちらが恐縮するほど親切にして
下さいました。この時に教えていただいた入山峠への古道が、その後の私たちの行脚の転機となったのです。
第十回 平成15年6月15日 「安中駅」から信越本線「松井田駅」 約12km
第十一回 平成15年7月9日 「松井田駅」から信越本線「横川駅」 約10km
第十二回 平成15年8月6~7日 「軽井沢」から信越本線「小諸駅」 約23km
第十三回 平成15年8月10日 「横川駅」から信越本線「軽井沢駅」 約13km
初めての峠越えです。天候が定まらず、夏休み中でしたので先にそのあとの行脚(第十二回)を済ませ、いよ
いよ当日を迎えました。その時の様子を同行したメンバーが書いたものがあるので一部を抜粋します。