修行をしていると、不思議な事が起こります。「幻聴」や「幻視」という言葉で片付ける事もできるのでしょうが、私が実際に体験した事を知っていただきたいと思います。

(1)自分だけに聞こえる声
 何となく、誰かに呼ばれたような気がします。読経中に聞こえる事が多いです。例えば
「私は○○です。どうか家の者に話してください。」
これは、「浮かぶ」と言います。 胸の中で話を聞く感じです。
 Aさんに依頼され、病気平癒の祈願をしたとき
「私はこの家の◎代前の家族で、Bと言います。若いうちに家を飛び出し、そのまま亡くなりました。家人は何も知りませんが、菩提寺に行って調べてもらえば判ります。」
と言う声が聞こえるのです。
家の人に調べてもらったら、墓誌には記載されずに過去帳にその名前があったそうです。
 
(2)耳元で囁くように声が聞こえる
 読経中に人の気配を感じます。この場合は故人とは限りません。依頼者に伝えてほしい事の場合が多いのです。 
 Cさんは会社の運営がうまくいかず、その打開策を知りたいということでした。すると耳元で
「これ以上続けても無駄である。今のうちに会社は閉めた方が良い。長引くと負債は増えるばかりである。」と声が聞こえてきたので、それを伝えました。
 その後、Cさんから
「今は大変楽になり、主人と仲良く暮らしております。」
という電話がありました。

(3)数人が同じ声を聞く
 唱題修行中の場合が多いのですが、皆の耳に知らない声でお題目が聞こえてくるのです。美しい女の人の声と、男の人の声と思われる荘厳な声が聞こえてきます。修行後に皆で話し合ったのですが「どう考えてみても、この中にいる人の声ではない」という結論になりました。

(4)風景や人物が画像や映像として見える
 D氏が、家を新しく建て替えたいとの相談に見えました。読経中に
「今年は新築はやめた方が良い。」
との声が聞こえてきます。そのまま唱えていると、お地蔵様の姿が映りました。
読経後、D氏に
「お宅に地蔵様が祀られていますか。こんな顔の方です。」
と絵に描いて聞きました。
「今住んでる所は空き屋敷だったので、この土地の地先祖様として祀ってあります。私の家に来た事もないのになぜ分かったのですか。」
とD氏が驚きました。
「では、お地蔵様にお参りすることを忘れずに。周りの草も刈って綺麗にして下さい。」
と話しました。
 その後、D氏が
「やはり家を建替えなくて良かったです。お袋が亡くなりました。建築中だったらば満足の出来る弔いも出せなかったでしょう。」
と挨拶に見えました。

 その他、香りや匂いに関することなど思いがけない経験は数え切れないほどありました。



 今の科学では証明されていないお話を縷々と述べたのには、二つの訳があります。
 一つは「法師功徳品」によると「法華経を信じ、受持・読誦すると六根(目・耳・鼻・舌・身・心)が清浄になり、その功徳をいただくことができる」と説かれた文があることです。
 もう一つは、「このような方便を以て法華経の流布に努める事も大切である」と思ったからです。そして、読経中の体験などから「修法も御供養も、詮ずれば方便だ」と思うのです。

 現在の私は、法華経寿量品に説かれた
「毎(つね)に自ら是の念を作(な)す。何を以てか衆生をして無上道に入り速(すみや)かに仏身を成就することを得せしめんと。」との教えに従い、師匠から学んだ「唱題修行」というお題目を唱える修行に励んでおります。この修行は「自他の成仏を願うとともに自分の心の状態をよく観て知る」ということをもっぱらとし、心を磨く修行なのです。

 昔、この地「行田」を訪れた先師O上人は
「成る程、『行田(ぎょうだ)』は『行田(ぎょうでん)』だね。行によってこの田を耕し、種を蒔く事ができるかな。頑張りなさいよ。」
と言われました。
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。 もし死なば、多くの実を結ぶべし。」
その時も近づいているのですね。



平成29年9月1日
妙心寺教会
老尼のお話の部屋
六根清浄