平成29年12月1日
妙心寺教会
老尼のお話の部屋
私の信心

 私の信心の土壌は、小さい時からの寒修行で育まれました。
 小学校に上がる前から、亡き母心蓮院日祥大法尼に言われて、寒に入ると夕方に提灯を持って蓮華寺に行き、蓮華寺のお上人や信者の人と一緒に行田の街を廻りました。
 家では朝5時半のサイレンを合図に信者の人が来るので、一緒にお題目を唱えさせられました。その頃の私は
「どうしてこんな事をしなければならないのか。」
といつも思っていました。
 学校へ行くようになると、登校前に姉たちと一緒に掃除をしてから、朝勤行をする母の後ろに並んで一緒にお題目を唱えなければ、学校に行く事は許されませんでした。まだ小さかった私は経本が読めず、皆が唱える開経偈・方便品・自我偈を聞いて覚えたのです。姉たちと一緒に唱えた朝勤行は、私が嫁ぐ日まで続きました。

 母は口癖と思われるくらいに
「私たちは仏飯をいただいている。」
と言っていました。その頃はその意味が良く分かりませんでしたが
「今、私たちがこうしていられるのは法華経・釈迦牟尼仏の教えを広める事により、釈迦牟尼仏に布施された品々をいただいて生活しているのだ。だから、感謝の心を忘れないように。」
と言っていたのでしょう
 小学校の高学年になった頃は、結社の行事である「お会式」や「守護神祭」の時には、信者さんと一緒に花作りをしたり、流し灯籠を作る手伝いをしたりしました。しかし本心では
「何故このような事をしなければならないか。」
と不満に思っていたのです。
 
 女学校を卒業して勤めるようになった私は、いくらか世間の有り様を知るようになりました。そして、母の生き方と世間の考え方を比べるようになり、母を敬愛する心が起きてきたのです。

 私は数え年の20歳で、母に言われて中野家に嫁ぎました。その時の母の心配りには「有難い」というより他に言葉がありません。戦後間もなくの物の無い時代だったというのに、どこから工面してきたのか嫁入り道具の箪笥や鏡台、美しい寝具一式、そして何枚もの着物も揃えてくれました。また、結婚してからは義母・夫・子供たちに対しても細やかな心配りをしてくれたのです。
 このような母の姿を知って
「私は愛されている。」
と思いました。そして、母が夜も眠らずに布教していた姿を思い出し、初めて
「母の手伝いをしたい。」
と考えるようになったのです。手伝っているうちに少しずつ「信仰」というものを知り、それが「信心」につながっていきました。
 振り返ってみると、私の信心は母の愛を知ってから始まったのです。母の深い愛情によって私の信心の心が芽生えたのです。

 昭和23年に国税局に査察課が新設され、夫は査察官になりました。勤め先は東京です。しかし、行田から東京へ通うためには吹上駅から電車に乗らねばなりません。そして当時は、始発のバスに乗っても出勤時刻に間に合わなかったのです。
 そこで夫は夜明け前の暗い内から歩いて駅に通いましたが、続ける事はできません。やむなく浦和の公務員宿舎に転居しました。しかし、義母は転居を好まず一人行田に残りました。

 行田に母の手伝いに行くと義母と会う事もできるので、行田に行くことを心がけました。
 また、母も月に一度は浦和に来て、我が家の形ばかりの御宝前に法味を言上してくれました。「公務員の安月給」と言われた時代です。義母への仕送りがあり、三人の育ち盛りの子供を抱えて苦しい生活が続きました。苦しい家計の中からほんの僅かですが母に布施をすると
「布施なき経は受け難しと言うからね。」
と言ってそれを受け取り、
「子供たちに。」
とそれに倍増する小遣いを渡してくれました。もちろん生活費の支援だったのです。

 行田に母の手伝いに行ったある日、東松山市の妙昌寺御住職の渡辺錬定上人にお会いしました。この渡辺上人にお会いした事により、それからの人生が大きく変わっていったのです。
 渡辺上人は
「中野さん、妙昌寺では『唱題修行』と言ってお題目をお唱えする会があるから、一度来てみないか。」
と仰り、修行日を教えてくださいました。しかし、修行は夜に行うので家族4人を置いて寺に一泊しなければなりません。でも、どうしても修行に行きたいので夫に頼みました。そして、昭和38年の末に、初めて一人で夜の妙昌寺に伺ったのです。
 東松山市と言っても街から遠く離れ、駅から車で15分くらいかかる所です。寺の周りは真っ暗で何も見えず、山の中にでも入ったように心細く思いました。
 寺に着き、本堂に案内されて唱題修行が始まりました。唱えていると胸が歓喜で高鳴り、体は震え、平伏していました。

 帰宅した私は
「何としてでも、この修行を続けたい。」
と思い、夫に頼み込んで二人で妙昌寺を訪れ、お上人から修行の許可を得ました。そして、1ヶ月に3晩家族を残して寺に泊まっての修行が始まったのです。
 その後は、お上人の教えを守り撃鼓行脚頭陀行も続けて、修行に励みました。

「信」→真実。まこと。説かれている理に従うこと。
「信仰」→説かれている教えに対して信伏・随従し、渇仰の心を抱くこと。
「信心」→仏の教えを疑わない清らかな心。信仰して一身を任せること。帰命。

 私の信心は、妙昌寺でお唱えしたお題目の一声、恩師渡辺錬定上人にご指導をいただき修行を続けてきた事によって生まれたのです。
 信の心は、深くて終わりはないと思います。
 ただ一筋に師の教えを信じての今日です。
 この信の心は永遠に続くものと考えております。