シャーロック・ホームズ・長編

緋色の研究
 シャーロック・ホームズの初登場作。ちなみに記念すべき第一作は、英国ではあまり流行らず、『四つの署名』の発表までは、今のような名声を得てはいませんでした。
 ここでワトソンは、のちに非常に有名になるホームズの知識分類を披露しますが、ホームズはワトソンが考えている以上に知識が豊富であったため、信用に足る分類とはいえません。とはいえ、あったばかりのワトソンにとっては、ホームズは下記表のような人物だったのです。
 ホームズは聖バーソロミュー病院でおかしな実験をする男であり、大学でも傑出した才能を認められるものの変人で通っており、ワトソンを一目みただけでアフガニスタン帰りの軍医だと見抜きます。二人の劇的な出会いは、研究室でホームズが血液の実験をしている時でした。

文学の知識 皆無
哲学の知識 皆無
天文学の知識 皆無
政治上の知識 微量
植物学の知識 不定。ベラドンナ、阿片、その他一般毒物には通暁すれども、園芸に関しては全く無知。
地質学の知識 実践的知識はあれども知るべきのみ。一見して各種の土壌を識別。散歩後ズボンの跳泥を余に示して、その色沢と密度とよりロンドン市内いかなる方面にて付きたるものなるかを指摘したることあり。
科学の知識 深遠。
解剖学の知識 精確なれども組織的ならず。
通俗文学の知識 該博なり。今世紀行われたる恐るべき犯罪は全て知悉するもののごとし。
ヴァイオリンを巧みに奏す。

棒術、拳闘および剣術の達人。

イギリス法律の実践的知識探し。
 ホームズと暮らす前のワトソンは、軍医として行っていたアフガン戦争からから戻って、年金で目的もないその日暮らしをしているような状態でした。お金も尽きてきて、同居人を探していたのです。
 さて、共同生活を始めた二人は、ロンドンのベーカー街221-Bで暮らしはじめます。
 下宿にはたびたび、スコットランド・ヤードのレストレードがよくやって来るだけでなく、ホームズの依頼人もやってきますが、当初、ワトソンはホームズが探偵であることを知らず、彼らをホームズの知り合いなのだと思っていました。しかしある日、人物をみればその人のことがすぐ分かると書かれた新聞のコラムに意義を唱えたところ、それがホームズの書いたものだと分かり、そこから最初の出会いでワトソンがどのような人物であるかを当てた時の種明かしと共に、探偵業をしていることを知ります。
 さて、事件はレストレードの同僚であるグレグスンが持ち込みます。
 四十三、四歳の男が、ワトソンには憎悪にも見える表情をして空家で殺されていたのですが、死体のあった家の壁には血文字で「RACHE」(ラッヘ。ドイツ語で復讐の意味)と書かれていました。
 のちに男がアメリカ人のドレッパであると判明します。
 さらに事件は、ドレッパの秘書スタンガスンが殺されるに至りますが、ホームズは真実に到達します。
 物語は二部構成になっていて、二部では犯人の動機が丹念に描かれます。
 シャーロック・ホームズがはじめて世に出た作品ですが、発表当初はドイルの自信とはうらはらに、あまり評判にならずに終わってしまった物語でもあります。
四つの署名
 この物語ではホームズが冒頭から、コカインを注射しています。ワトソンは日に三度もその様子を見ることを、あまり気持ちのいいこととは思っていませんがなかなか注意する気にもならず、しかしこの冒頭で、コカイン使用の悪癖をたしなめます。しかしホームズは意に介すこともなく、ワトソンが著した「緋色の研究」の批判をする始末です。この会話の中で、ホームズも「各種煙草の灰の鑑別について」をはじめとする本を著していることが出てきます。ワトソンの亡くなった兄についても、ホームズの推理で明らかになります。
 さて、「四つの署名」はワトソンの妻となる女性、メアリ・モースタンが持ち込む事件です。
 メアリの父親はインドの連隊で士官を務めていましたが、メアリ自身は幼い内にイギリスに返されていて、しかしすでに母親は亡くなっており、寄宿学校で十七まで過ごしていました。
 依頼に来た日から十年ほど昔、連隊長になっていたメアリの父親は、一年間の賜暇を貰ってイギリスに帰り、メアリに電報を打ってきたのでしたが、会いに行くと、前日に出かけたきり戻らぬとのことで、その後行方は分からぬままになっています。
 さて、さらにそれから四年後、依頼からは六年程前に、メアリ・モースタンの住所が知りたいという新聞広告を目にします。その頃に家庭教師として勤め始めた家の夫人に勧められ、自分も広告を出して住所を知らせたメアリの元に、その日のうちに小さなボール箱が届きます。中には大きく美しい真珠が一粒入っていましたが、手紙などの類は一切ありませんでした。しかしそれ以来、同じ日になると同じ品が、メアリの元に届けられるようになります。
 メアリが依頼に来たのは、依頼に来た日の朝、「警官以外の友人を二人伴ってもいい」という条件で、「今夕七時、ライシアム座そとの左より三本目の円柱」のところまで来れば、メアリは「正義の補償」が受けられるというような内容の手紙を受け取ったからでした。
 依頼を引き受けてもらい帰宅するメアリを見送るワトソンは、すぐにでもラブレターを書きだしたくなる程に、メアリを好きになってしまいました。とはいえホームズは、ワトソンがすぐに捕らえられたメアリの魅力的な様子などには関係なく、事件解決に走ります。ホームズは、メアリの父親がイギリスへ帰った折に顔を合わせに行った可能性のあるショルトー少佐が、メアリに真珠が送られ始めた同時期に亡くなっていることを突き止めます。
 夜、メアリと共にライシアム座に向い、三人は迎えの馬車に乗せられてショルトー少佐の息子、サディアスが寝込む家に連れて行かれます。サディアスには双子の兄、バーソロミューがいますが、兄の反対を押し切ってメアリを呼び出したのだと言います。
  ショルトー少佐は死の間際、息子たちにある告白をしていました。
 メアリの父と共に莫大な財宝を見つけておりショルトーが持ち帰っていましたが、メアリの父親は帰国した折に分け前を貰うためにショルトーのもとを訪れていました。その時に意見の相違があり、興奮をしたメアリの父親は持病の心臓で倒れ、宝物を収めていた箱に頭をぶつけて死んでしまったというのです。その死を隠してしまったショルトーですが、死の間際になって告白したのです。
 しかし、モースタンの娘であるメアリにも財宝を上げて欲しいと隠し場所を告げようとした時に、ショルトーは亡くなってしまいました。その翌日、何者かによって、ショルトーの胸には「四つの署名」と書かれた紙が置かれていました。
 双子の兄弟は父の残した宝を無事に発見し、サディアスはメアリにすぐにでも財産を分けるつもりでしたが、兄のバーソロミューが渋り、結局、せめてもの償いとしてメアリには毎年真珠を一粒ずつ送ることとなったのです。
 しかし弟は、メアリに全ての事情を話そうと手紙を書きました。事情が全て話された後、全員でバーソロミューの住む屋敷へと向いますが、 なんと兄は殺されていました。
 そこにはやはり、「四つの署名」と書かれた紙が置かれていました。
 ホームズは捜査に乗りだし犯人を探り当てます。そうして、「緋色の研究」同様、犯行の行われた背景も語られます。
バスカヴィル家の犬
 シャーロック・ホームズがライヘンバッハの滝で死んだことになっていた時期に、それ以前に起こった物語として8年ぶりに書かれた物語です。ちなみに小説の献辞に、「親しきロビンソン君  この小説の思いつきは、君から聞いた西部イングランド地方の伝説にはじまる。細かい点で援助を受けたことと共に、ここに謝意を表する。 A.コナン.ドイル」と書かれています。
 さて、事件を持ち込んだモーティマー博士は、ホームズとワトソンが留守をしていた夜にやってきて、名前などが刻まれたステッキを忘れていったのですが、冒頭は、朝、ステッキから「持ち主はどのような人物か?」ホームズがワトソンに問うところから始まります。ワトソンなりに答えを導き出し、ホームズもそれを賞賛するかのようなことを言うのですが、実は・・・というような場面です。
 案の定、ワトソンの答えではなくホームズの出した解答どおりといえる人物、ジェームズ・モーティマーが事件を依頼するためにやってきます。彼はまだ若い医者ですが結婚のためロンドンの病院を辞めて、田舎に開業しています。
 ちなみに医師であるモーティマーは、ホームズの頭蓋骨に大きな興味を示します。
 モーティマーの話しは、まるで御伽噺でした。17世紀に書かれた西部イングランドに伝わるバスカヴィルという名家にまつわる伝説で、当時の当主だったヒューゴー・モーティマーが、気に入った地主の娘を暴漢と一緒にかどわかし、そこから命がけで逃げ出した娘を悪どく追い回したのだが、最終的に沼沢地に追い込まれた娘も死んだが、ヒューゴーも大きな犬の化け物に喉笛を噛み切られて死んだのだ、というものです。そうしてヒューゴーの犯した罪のせいで、バスカヴィルの当主は呪われる、というのです。
 この物語を代々のバスカヴィル家の当主は恐れていますが、話を聞いたホームズは、御伽噺の研究家にしか面白くのない話しだと、あくびさえします。しかし、モーティマーの持ち込んだ話には、まだ続きがありました。
 現当主だったチャールズ・バスカヴィルが、沼地付近で心臓の発作で亡くなったのですが、公表されている事実だけではなく、実はその死体の側には大きな犬の足跡が残っていたこと、伝説を恐れていたチャールズが沼沢地付近を暗い時間に歩くはずがないということを聞き、ホームズは興味を抱きます。
 チャールズのあとを継がせるために、カナダで農業をしていたのを呼び寄せた子息のヘンリーを、モーティマーはロンドンまで迎えに来たのでしたが、一体、どの用に対処するべきか、ホームズに聞きに来たのでした。ホームズは、モーティマーがヘンリーを迎えに行く翌朝までに充分考えておくと約束します。約束どおり、ワトソンに出掛けていて貰うことと、その時に煙草を部屋へ届けさせるように注文して欲しいことを頼み、ワトソンが出掛けている間に大量の煙草とコーヒーを消費して、考えをまとめます。
 当日、モーティマーがヘンリーを伴って、ベーカー街にやってきます。
 その朝、ヘンリーは新聞活字をつなぎ合わせた「生命を惜しむの理性があらば、沼沢地に近づくなかれ」という警告文のようなものを受け取っていました。さらに、買ったばかりの靴が片方盗まれるというおかしな事件も起こっていました。脅迫文に使われた活字が昨日の「タイムズ」から切り取られたことを見破ったホームズは、誰かがヘンリーの行動を見張っていると確信します。ベーカー街からホテルに戻った二人を、ワトソンと共に追い、ヘンリーを尾行する怪しい男を見つけますが、この時は見失ってしまいます。
 ホームズは、十四歳のホームズを尊敬する少年を使って、切抜きのある「タイムズ」を探させます。そんなこんなの用事を済ませ、ホテルへ訪ねて行きますが、なんとそこでは、またもヘンリーが、今度は履き古した靴の片方を盗まれて怒っているところでした。
 さて、地元へ帰るヘンリーに、多忙なホームズは付いていくことが叶わず、ワトソンがお供することとなります。ホームズはワトソンに、事実を全て報告して欲しいということなどを指示します。
 この物語では、物語の後半までホームズは再登場しません。
 例によって、ホームズの登場を待ちわびるワトソンの前へ、ちょっとキザに現れたホームズは、事件を解決へと導くのでした。
 尚、この物語だけが、長編で二部構成をとってはいません。
恐怖の谷
 ホームズ・シリーズ最後の長編。
 モリアティ教授の影も落とされるこの事件、ホームズがワトソンの話の腰を折る場面から始まります。ワトソンが珍しく声に出して抗議しますが、ホームズは取り合いもせずに来ていた手紙を調べています。差出人は「ポーロック」と呼ばれる人物で、モリアティの側にいる人物ながら、ホームズの情報屋的役割も担っているようです。
 もう一通来なければ解きようのない暗号になっている、バールストン、ダグラス、という言葉しか分からぬ手紙を手に、ワトソンへポーロックについて説明しているところへ第二の手紙が来ますが、すでに事が起こり手遅れであり、最初の暗号は焼き捨てて欲しいと書かれていました。しかしホームズは自力で暗号の鍵を探し出し、書かれた文章を読み解きます。
 読み解いて喜んでいるところへ、アレック・マクドナルド警部がやって来て、バールストン荘という荘園の主人、ダグラスが惨殺されたと伝えます。ちなみにこの展開についてワトソンは、「じつに劇的な瞬間だったが、そのためにこそホームズは生きているようなものだった。」と言っています。事件を聞いたワトソンは、「ぞっとした」けれども、ホームズはただ、「注目に値することだ」とだけ言います。
 この会見中、事件にモリアティ教授が関っているというホームズの見解を、マクドナルド警部は軽く扱おうとし、警視庁ではモリアティのこととなるとホームズは少し気違いじみていると言われている、という話をします。
 事件の発見者はセシル・バーカーという、ほとんど家族の一員ともいえるダグラスとその妻と親しい友人でした。バーカーが屋敷に逗留している時に起こったのです。ダグラスはアメリカ人らしい、ということ、バーカーはイギリス人らしいが、ダグラスとであったのはアメリカだった、ということが分かっています。
 さて、マクドナルド警部とバールストン荘へ出かけた二人は、まだ保存されていたダグラスの惨死体のある現場を見ます。ダグラスは銃身を切り取った散弾連発銃の、引き金二つをハリガネで固定して威力を増したもので打ち抜かれ、まるで鉄道事故の死体のような有様で頭部も潰れています。
 ダグラスの側には、「V.V.341」と書かれた紙切れが落ちており、金の結婚指輪が抜き取られていました。窓は開いており、窓枠には血が付いています。
 その左前腕の中ほどには、丸の中に三角を描いた奇妙なマークが、刺青ではなくなぜか焼印で押されていましたが、これはバーカーにもダグラスの執事にも、見覚えのあるものでした。
 ホームズがダグラス事件の解決を導き出したところで、第一章が終わります。
 第二章は、アメリカの炭鉱で起こった事件が描かれ、かの有名なピンカートン探偵社の探偵も登場、これもひとつのミステリーとして楽しめる構成となっています。ドイルは、アイルランド系テロ組織、モリー・マガイアズの実際の事件から、「恐怖の谷」の構想を得ていますが、その事件にもピンカートン探偵社が絡んでいます。
 最後にまた、ダグラス事件の顛末が描かれます。
 スッキリとしない事件の終わりは、モリアティが関っているせいではありましょうが、この「恐怖の谷」、モリアティとの対決以前の話しとして出て来るものではありますが、モリアティと対決する「最後の事件」でワトソンがモリアティの名前を知らないという矛盾や、アメリカでの事件を描いた第二部に設定された年代のせいで、事件の黒幕のはずのモリアティがすでに死んでいる年代にダグラス事件が起きたこととなってしまう矛盾などから、研究者がいろいろと、本来起こった年代を考えているようです。