Moonlight step
9話
4章 冬の月 2
電話のベルが鳴り響く。
それは、少女の両親がパーティに出発してその数時間後の事であった。
「うそよ!うそ!うそ!うそ!」
少女は自分の父親の弟にあたる男である叔父に向かって叫ぶ。
「嘘や冗談でこんなことは言わないよ」
「でも、でも、いくら爆発したからって・・・あれだけ大きなホテルだもの!そこにいた人たちがみんな死ぬなんてことないでしょう?」
叔父の腕にしがみつく少女の目は真実を捕らえようと大きく見開かれていた。
「詳しいことはよく聞いていないが地下からパーティの開かれていた3階はまではほぼ跡形も無く吹きとんだそうだ・・・」
「パ・・・パパとママがそこにいたとは限らないでしょう?」
少女は決して目を合わせて話そうとはしない叔父に苛立ちと怒りをおぼえた。
「証拠も無いのに決め付けないでよ!」
叔父は姪の叫びに気をのまれて近くにいた自分の妻の方に助けを求めたが、妻の目は冷たく“それはあなたの血の繋がった姪でしょう”と語っているだけであった。
あまりにも叔父の態度がよそよそしかったために少女は叔父の腕から離れる。
「わたし、ホテルへ行って確認をしてくる!」
少女は、いつも両親と3人で食後のお茶の時間を過ごしていた暖炉のある部屋から出て行った。
「あなた・・・ついていったほうがいいんじゃないの?今後の為にも」
ようやく開いた妻の言葉は、夫である男でさえも背筋が冷たくなるのを感じたが、男は妻のその言葉の意味を理解できた。
「そう・・・今後のためにね。可愛い姪には優しくしなくては」
男は急いで姪の後を追って部屋から飛び出した。
玄関まで行くと二人のお手伝いと、年老いた運転手に囲まれて少女がコートを羽織っていたところだった。
男はそこへ駆け寄ると、小さい姪の肩を軽く叩く。
「私も一緒に行こう」
少女は潤んだ目で、父親に似た叔父の顔を見上げ小さく頷いた。
「ありがとう、叔父さん」
男は姪の肩を抱き車に乗り込む。
ちょうどその時、車のラジオからホテルでの爆発事件の最新情報が流れていた。
<警察の調べによると、クィーンズホテルで起きた爆発の原因は何者かが爆弾を仕掛けた事が判明・・・>
「消してくれ」
運転手にそう言うと男は空の赤くなっている方を凝視している姪の頭を指でやさしく撫でた。
「・・・気配りの無い奴だな・・・」
小声で悪態をつく男、彼もまた少女と同じように燃え上がるホテルの炎が赤く染めている空を見上げるのであった。
彼の頭の中には多額の借金と兄の遺産の事が壊れたレコードプレイヤーのように何度も何度もリピートしていた。
彼は兄と二人兄弟であった。
若い頃に彼は父親の厳しい教育について行けず、ある日、家を飛び出してしまう。
彼はその後、生きている父親とは会うことが無かった。
父の死後、父親の遺産を目当てに2度と帰るまいと思っていた故郷に再び戻ってくるのだが、父親は全ての遺産を兄に委ねていたことを知る。
遺産目当てに家に帰って来たのも知らずに、兄は弟を家に向かい入れ、父の残した遺産の一つである牧場の共同経営者とするのであった。
彼は牧場を経営するための資金を、賭け事や妻や自分の贅沢な嗜好につぎ込んでしまうのである。
もちろん、彼自身もその資金でまともな仕事をしようとは思ってもいなかったのであった。
そして、とうとうその生活を重ねていくうちに多額の借金をしてしまった。
そう、その借金の返済日が今月の最後の日だったのだ。
(まさか本当にやるとはね)
ちょうど、1週間前の事であった。
二人の男が飲み屋から出てくるのを待っていたかのように、彼の両腕を掴み人気の無い路地へと連れ込こんだ。
「今月末までに金を返せるのか?」
気障な帽子を被った一人が男の胸倉を掴みながら言う。
「まさか、あんなお屋敷に住んでいて金がないなんていうんじゃないだろうな?」
顔に傷のある、いかにも借金の取立を仕事にしているといった風貌の男が、彼の目の前でナイフを光らせて見せる。
「・・・金はあるさ。いくらでもな・・・。だがなあ・・・。家の金庫の前には、石頭で真面目しか取り得の無い男が一人いて俺に金を触らせてくれないんだよ・・・」
彼は苦しさ紛れに冗談を吐く。
「あの、お上品な兄貴か?ここいらの牧場は、お前の兄貴のものなんだよな」
帽子男が耳障りな声で笑いながら、彼の怯えて蒼褪めた顔にナイフを這わす。
「奴が死ねば、あの土地や財産はお前のものになるんじゃないか?」
「そ、そんなことは・・・」
「うちのボスがこの辺の土地を買い占めたいって言っているんだがね。お前の兄がなかなか・・・いい返事をくれなくてね。どうだ?協力する気はないか?」
彼は恐怖で気障な帽子男から目を逸らした。
「きょ、協力?」
傷の男が頷くと、ハンチングが薄い唇をぺらぺらと動かし始める。
「殺してやるってことさ。奴さえ死ねば財産と土地はあんたのものになる。あんたはその土地をうちのボスに売って借金を返してくれればいいんだよ」
「は・・・ははは。それは、い、いい考えだとは思うが・・・兄には娘が一人と、とびきり頭の良い女が妻なんだよ・・・」
傷の男が怯える男の口にナイフを差し込み、黙らせる。
「そんなの簡単だよ・・・一緒に殺せばいいんだからな。いいか、黙って聞きな。来週、クィーンズホテルで、それは豪勢なパーティが催される。俺達はそこに爆弾を仕掛けることになっているんだよ。ちょっと、ばっかしボスの目障りな小僧を懲らしめてやろうと思ってな」
足元でじゃれつく野良猫を抱きあげながらハンチングは察しの悪い男を一瞥する。
「あんたの兄貴にこのパーティの招待状を送る。あんたは手を汚さずに全てのものが手に入るわけさ。なあに、招待状なんか上手く手に入る・・・」
傷の男がナイフを血の気を失った唇から取り出すと、切っ先を男の鼻先に突きつけて楽しそうに話す。
「俺達が殺すのは、ボスの息子さ。ボスは何度かあいつに殺されそうなったんだ。可哀相な人だよ。愛する息子に命を狙われるなんてな」
口元を歪めて笑う二人の男がぼやけた。
少女が両親と再会できたのは、街の総合病院の地下であった。
「子供が遺体の確認だなんて・・・あまり気が進みませんが」
白衣を着た女が少女の方に目をくれながら言う。
緊張した面持ちの少女の目の前に並ぶ白い布の群れ、その下に何百もの死体が横たわっていた。
そう、ホテルで爆発に巻き込まれた被害者達。
白衣の女はその中の一つをゆっくりと開いたのであった。
「あ・・・」
開かれた布の下から二つの死体が姿を現した。
皮膚の出ている部分は焼きただれ、衣服は焦げて皮膚と一体化してしまっているように見える。