Moonlight step
11話
4章 冬の月 3
2体の屍は両手で堅く結ばれていた。
少女は黙ったままそれを見つめている。微動だにせずに。いいや、動くどころか息をすることも忘れてしまっているかのように伺えた。
看護婦はそれに気付き慌ててシーツを二つの身体にかけた。
「もう・・・いいですよね」
看護婦のその言葉に少女の叔父が返事をする。
「あああ・・・なんてことだ。こんなに幼い子を残して」
動くことを忘れた電気仕掛けの人形のように佇む少女の両肩に、手をかけて白衣の女は優しく言う。
「さあ。ここは、よくないわ」
しかし、少女の身体は根が生えたように動かなくなっていた。
「おじょうさん・・・」
少女は死んだように動かない。
「行きましょう」
瞬きもせずにただ白いシーツの盛り上がりを見つめているだけの少女に、痺れを切らした叔父が少女の細い手首を掴んだ。
「いいかげんにしないか!こんなとこにいつまでもいたって、二人は生き返らないんだ!死んだ者はかえってこないんだ!」
少女は男が発した言葉に目を見開く。
その言葉が呪縛を解く言葉のように、少女の身体は震え出し、見開かれた両方の目から涙が溢れ出したのである。
「あからさまに・・・相手は子供です」
白衣の女が少女の叔父に向かって叫んだ。
「いいや!これは真実だ!変えられない!あんたは、もう、いい!この子は俺が面倒をみるんだから、俺が俺のやり方で連れて行く!」
男は姪の腕を無理矢理掴むと死体安置室から出て行った。
「な・・・なんて人なのかしら・・・」
白衣の女は一人残された部屋でぽつりと呟く。
男は姪を車に乗せ、屋敷まで飛ばした。
そして、少女を部屋に閉じ込めたのだ。
少女を部屋に閉じ込めた後、男は妻がくつろいでいる居間へ行き、妻の座っているソファーにどっかと腰をおろす。
真っ赤な口紅、真っ赤なマニキュアの女は、男に黙ってオリーブやチーズののったクラッカーの皿を渡し、琥珀色のアルコールを2つのクリスタル製のタンブラーに注ぐ。
「やったじゃないの。お祝いしよう」
女は甘ったるい酒の匂いのする唇を男の唇に重ねた。
「喜ぶのはまだ早い・・・」
男は先に飲んでいた女を不機嫌そうに一瞥すると、一気にアルコールを自分の体内に納めた。
「どうせ、子供のことでしょう?あんなの大丈夫よ。でもさぁ、結構、あいつ、自分の部屋で遺産の計算でもしているかもよ〜。だって、あんたと血の繋がった姪だもの。あんたに負けず劣らず冷血かもぉ〜」
タンブラーの酒を飲み干した女の顔は醜く笑う。
「・・・俺は馬鹿な約束を奴らと交わしたんだ・・・」
男は酒の入った壜を掴みそれを口に運ぶ。
「兄貴たちを殺す代わりに、土地を奴らに無条件で手渡す約束をしたんだ。いいか・・・兄貴達が死んだ時点で、俺達の農場はもう他人のものなんだよ」
酒で血色のよくなっていた女の顔が白くなる。
「そ、それ本当なの?」
「あ〜そうだ!人殺しの代償は・・・」
男の動きが緩慢になる。
「あにきたちを、ころすかわりって・・・どういうこと・・・?」
男は自分の背中の方から聞こえる声に背筋を凍らした。
「ころすかわりって?」
男は声のする方へ顔を向けた。
「ころしたの?」
居間の扉に少女が佇んでいる。
「お、お前・・・」
「パパとママを殺したの?」
震える少女の声。
「こ、殺したんじゃない!殺してもらったんだよ。だが、そんな証拠はどこにもないぞ」
開き直る男と酔いが回って緩んだままの女の醜い赤鬼たちの顔を交互に見た。
「こ・・・ここは・・・パパとママの大事な思い出が詰まった部屋なのに・・・。あ、あなた達、みたいな人がいる場所じゃない!」
少女は小さな顔を両手で覆う。
「ひ・・・ひどい、ひどい、ひどい」
この居間は少女が生まれた時から、親子三人で過ごした部屋なのだ。その部屋を、醜い心の人間に汚がされたと思うと少女は気が狂いそうだった。
「どうしてここにいられるの?大事な思い出まで殺しちゃうの?ひどいよ!出て行ってよ!」
男は肩をすくめ、ソファーから立ち上がると少女にゆっくりと歩みよってきた。
殺される
少女はそう思った。
が、少女はこん身の力を込めて大地を踏みしめる。
少女は怖くなかった。
なぜなら、少女は愛する二人の燃え尽きた姿を見たとき、少女の心はすでに灰になっていたからである。
失うものは何も無い。
「駄々をこねるなよ。おちびさん。どんなに虚勢を張ったっておまえの親は帰ってこやしないんだから。そんなに、パパやママが欲しけりゃ、俺達がなってやるよ・・・ただし、金を払ってくれればのことだ」
死への恐怖よりも、むしろと両親を殺した鬼畜に触れられたくない、少女は後退った。
男の腕が少女の肩を捉えようとする。
「お前も死ねばよかったんだよ。そうすりゃ・・・保険金は俺のものだ。金さえあれば、農場なんかいらないんだよ。こんな田舎ともおさらばだ。お前さえいなければな!」
醜い男の影が少女の小さな身体を捕らえた。
「いや!!!」
熟れた南瓜を落としたような音。
青銅のオブジェを手にした少女の前で祈るように膝を床につく男。
それは映画のスローモーションのように見えた。
男は膝をつくとそのまま前のめりに倒れた。
血。
少女の足元に血が広がる。
その血は倒れた男と、青銅から流れていた。
「ぎゃ〜!!あんたぁ!何してんのよ!」
屋敷中に響き渡る女の悲鳴は、まるで首を絞められた七面鳥の断末魔。
やがて使用人たちがここへやって来るだろう。
しかし、少女は慌てる様子もなく青銅のオブジェをもとあった場所にもどした。
「ちょと!あんた!」
女が少女にしがみつく。
「人殺し!!」
女の鋭い赤い爪が少女の首に食い込む。
しかし、その手は直ぐに緩み、女は少女の前に倒れこむ。
「お嬢様!」
血に染まった青銅のオブジェを持った年老いた運転手がそこにいた。
「お嬢様・・・大丈夫でしたか?」
少女を気遣う運転手の背後から男が不気味な笑いをたたえて襲い掛かる。
「じじぃ、よくもぉ!」
「お嬢様!速く逃げてください!」
「でも・・・」
「いいから!」
男に羽交い絞めされている運転手に促されて少女は走り出す。
少女はデニムのオーバーオールとタートルのセーターのまま寒い冬の夜に飛び出した。
オーバーオールの胸のポケットに数枚の紙幣と医者の処方箋の紙が入っていた。
運転手が妻の為に買う睡眠薬の処方箋である。睡眠薬を買う店が狭い路地裏にありパーキングメータも近くにないという理由で、少女が自分から進んで学校の送り迎えの際に、車から降り薬局に買いに行くのが日課になっていた。
少女は迷わず24時間営業の薬局で、睡眠薬を手に入れた。