Moonlight step

 

10話

5章 月の夜の出来事III

 

 

「どこかへ、行こうよ・・・」

男と少女は金色に輝く絨毯に座り込み、一つのコートに包まり時が来るのを待っていた。

さっきまでとめどなく涙を流し、肩を震わせていたしょうじょはいつの間にか男腕の中で穏やかな笑みをたたえている。

「どこかへ、行こう」

少女はもう一度、男に言う。

しかし、男はそれに答えなかった。

「ごめんなさい」

少女は男の身体に力強く抱きつく。

少女は分かっていた、この先に何があるのか。

「どこにも行けないんだよね」

少女の思いがきらきらと光る白い粒子になって乾いた大地に降り注ぐ。

 

男は人の気配を感じた。

 

「さあ・・・もう、わかれる時間だよ。君にはまだ、未来がある・・・君にはやることがまだある・・・そうだろう?今は、悲しいだろう、苦しいだろうけど・・・復讐や、過去ばかりに囚われてはだめだ・・・生きて」

男は自分のコートを少女の狭い肩に掛け立ち上がり、愁いのこもった目で小さく微笑む。

「コートのポケットに・・・わたしの大事な物が入っている。わたしの両親の写真と住所だ・・・。わたしの義父は顧問弁護士をしている・・・君をきっと守ってくれるだろう・・・」

「おじさん・・・」

「伝えてくれ・・・わたしは貴方達を愛していなかったわけじゃないと・・・過去に囚われた亡者と成り果てた哀れな少年に無償の愛を注いでくれて・・・ありがとうと・・・」

男はそういうと踵を返す。

 

風に流されてきた風に柔らかく、だが存在の強い月の光が遮られ、街灯ひとつない草原が暗闇に支配された。

 

容疑者を追う二人の刑事は闇の中で、聞こえてくる声に耳をそばだてる。間違いなく、自分達の知っている声。

若い刑事は、自分の仲間だった声の他に、鈴の音に似た澄んだ子供の声に気づいた。

「子供の・・・声がします」

「なんだって?奴は人質まで連れているのか?」

中年の刑事は気を揉んだが、もう一人の刑事は落ち着いた様子で淡々と語る。

「大丈夫です。先輩は人質をとるような卑怯者ではありませんから。それにあの人がまだ犯人だとは決まっていません。嫌疑をかけられているだけです」

 

黒い雲に目隠しをされた金色の月は下界で起きている、小さな物語を見るのを邪魔され不機嫌になっていた。

ちっぽけな人間のドラマだが、クライマックスが間近に迫っているのを、黒くて嫌味な連中が邪魔をされるのはとても侵害である。

雲は風を呼んだ。

 

男の背中が遠くなる。少女は始めて“孤独”を感じた。

「おじさん!待って、お願い・・・わたしを独りにしないで!!」

男は背中越しで叫ぶ少女の声を聞いて、力強く抱き締めたいという衝動に駆られた。

しかし、男は振り向かなかった。

彼は持って生まれた研ぎ澄まされた神経と感で反射的に動く。

彼の利き腕は、間違いなく冷たくなったグロックをホルスターから抜いていた。

「先輩ですね」

男にとって聞きなれた声が耳に飛び込む。

「あぁ」

ためらいがち若い刑事は言葉を続ける。

「今、子供の声がしていましたが・・・」

「いた・・・が、家に帰った」

中年の刑事が口を挟む。

「まさか人質を殺したんじゃないだろうな?あれだけの人数を殺したんだから子供の一人や二人わけないだろう」

「かもしれない」

男は静かに答えた。

「何故あんなことをした?お前にとって、利益があるのか?」

「魔がさした」

「な、何を!あなたはあんなことをする人じゃない!!」

若い刑事が男と警部の間に入り込んだ。

「まあいい・・・。やったんだな?後は署で話を聞こうじゃないか」

警部補が男に銃を向けながら、手錠を取り出す。

闇に響く銃声。

警部補の足元に壊れた手錠が落ちた。

「お、おまえ・・・抵抗したな?」

「警部補!撃たないでください!」

若い刑事は警部補を制し、自ら信頼する人間にグロックの銃口を向けた。

「先輩!抵抗したら撃ちます!お願いです。ぼくにあなたを撃たせないで下さい」

男は青臭い刑事を一瞥すると踵を返した。

「撃てるなら、撃つがいい・・・」

「な・・・」

ポツ・・・

冷たい雨が刑事の手を濡らす。

冷たい空気が男が撃った弾をうけた刑事の傷が痛み出してきていた。

そして、さらに追い討ちをかけるように雨が傷口を濡らす。

 

 

(寒い・・・)

闇に消えた男の影を目で追いながら佇む少女の上にも雨が降りそそぎはじめていた。

この冷く降りしきる雨が悲しみをすべて洗い流してくれるのを、少女は、待っているようであった。

「明日になったら元気になるから・・・」

男がかけてくれたコートに包まり少女は何度もその言葉を繰り返す。

 

銃声

 

少女は聞きなれないその音に身を縮めた。

「おじさん?!」

 

「何をしてるんだ!逃げられるぞ!」

警部補は刑事を押し遣り、走り去る影を撃ち抜く。

「おまえが、とろとろとやっているから逃げられるんだ!さっさと撃てばよかったものを!!」

刑事は上司の叱咤も聞かずに走り出していた。

 

 

少女は2度目の銃声を聞いた。今度はさっきよりもはっきりと聞こえ、しかも人の叫び声も聞こえる。

雨のベールの向こう側で二つの影が向かい合っていた。

 

 

「どうして、逃げるふりをしてまで・・・撃たれようとするのですか?」

「追いついたのは、足が速いからだろう?」

「怪我をしているぼくにそんなものはない・・・」

はき捨てるように言う刑事に男は大声で笑う。

「な、なにがそんなに可笑しいんですか?」

「すまん・・・。ただ、あまりにもお前が仕事熱心なもので・・・そのくせ、すぐ感情に流されて、まるで子供のようだ」

刑事は照準をもと刑事の眉間に合わせる。

「ふざけないでください!ぼくだって・・・」

「撃てるのか?」

刑事は口角をあげて笑って見せた。

「できます。だけど、あなたはまだ容疑者だ・・・犯人じゃない。だから、殺すわけにはいかないんだ」

男は刑事を満足げに見つめたその刹那、銃声とともに男は背中に衝撃を感じながらも振り向きざま、彼も引き金を引く。

 

二つの影が同時に暗闇に崩れた。

 

刑事は倒れた男に走りより、抱きかかえた。

「だ、大丈夫ですか?!」

刑事は男がいつの間にか雨がやみ、再び月明かりが照らし始めた方を示す方に視線を向ける。

その方向には、おそらく自分のもと上司だった男と、月明かりに浮んだ少女の姿があった。

「あの子・・・を頼む・・・」

男は静かに目を閉じた。

刑事は静かに、まだ暖かい男の身体を雨で濡れた枯れ草に横たえ、動くことを忘れてしまったカラクリ人形のように動かない少女の方へ歩みよるのであった。

刑事と少女の目が合う。

少女の両目から止め処なく流れ落ちる雨?いいや、涙が少女の頬を伝い、大地に流れ落ちてゆく。

刑事は両腕を広げる。

少女は地球に引かれて落ちてくる隕石のように、刑事の腕の中へ身体を委ねた。

 

いつのまにか、白み始めた空にぼんやりとした月が、はぐれ雲のように浮んでいる。

草原には、雨に濡れ金色に輝く草が静かに広がっていた。

月は、深いため息をつく。なぜなら、月は長い人生の中で数少ない楽しみのうちの1つを、あの醜い黒い雨雲に邪魔されたからだ。

あの、人間達の結末は、雲が去った時にすでに終わっていた。

だが、月はそんなこと直ぐに忘れてしまうだろう。なぜなら、地球には多種多様な民族が存在し、飽くことのない人間ドラマには事欠かないからである。

 

 

月の夜の出来事III おわり

 

 

Moonlight Step

 

自分の生まれたお屋敷のように大きな家ではないが、赤い屋根の小さな家はとても、暖かみがあるように感じられる。

少女は、玄関の前まで行くと呼び鈴を押すのを躊躇った。

そして、もう一度、家を見上げる。

「おじさん・・・大人になるまで、おじさんのおとうさんとおかあさんと一緒に住むことになりました。あの時、おじさんに会わなかったら・・・」

少女の両目から大粒の涙が溢れてくる。

「ありがとう・・・」

見上げた青空に、白い月が薄っすらと佇んでいた。

 

 

Moonlight Step   end