Moonlight step
7話
3章 月の夜の出来事 II
月は甘い蜂蜜の色をして輝いていた。
真冬の澄んだ夜空に浮ぶ月は眩しすぎるぐらいに眩しく、暗いはずの夜を明るく照らしている。
「これ、ありがとう」
乾いた草の上に座り込んでいる男の脇に少女が腰をおろして、男にコートをわたす。
「おじさん、寒くないの?」
男は少女の頭を撫でるとまあるい月が見上げた。
「おじさん。月、好き?」
「きみは?」
少女は大きく頷くとそのまま金色の絨毯にひっくり返り優しく降り注ぐ月の光に頬を染めた。
「きれいだよね。それに暖かそうだから好き」
月がその言葉に満足気に頷いたように見えた。
「おじさんは?」
「・・・きれいだね。今、知ったよ。私が君ぐらいの時は、生きていくことだけで精一杯で、月がこの青い空にあることでさえ忘れていたよ」
男は月を見上げた。
一瞬、月が微笑みかけたように見えた。
月は人間ほど感情的ではなく干渉的にもならない。
そして、人間が思うほど月は優しくもない。
ただ、自分の眼下に広がる下界で起こる出来事を客観的に見聞きしているのだ。
どんなに人々がつきの美しさを褒めたたえ、輝きを心の拠り所にしようとも月はただ黙って浮んでいるだけなのである。
一方通行の思い。
いつも男は妹という遠くで明るく光る月を追っていた。
<パトカー全車に告ぐ。容疑者のシルバーのフォードのセダンが国道10号線沿いに乗り捨てある情報・・・>
覆面パトカーの前で一人の若い刑事が黒いコートの袖を冷たい風にはためかせながら、白い息を葉金柄無線の音に聞き入っていた。
「おい!ラッキーだ。俺達が一番近いところにいるぞ。早く乗れ」
パトカーの運転席からもう一人の中年ででっぷりとした刑事とは言うにはあまりふさわしくない男が顔を出して、もと同僚に怪我を負わされた相棒に言う。
「おまえを撃った奴がこの近くにいるんだ。早く車に乗れ!」
若い刑事は言われるがままに車の助手席に腰をおろし、窓から流れる夜の風景を眺めた。
月が自分達を見ているようだ。
彼はそう感じた。
「さっきの情報からするとこの先にあるのは町外れの草原地帯だ」
警部補は嬉しそうに言葉を続ける。
「何もない草原か。奴の死に場所にはもってこいだとは思わないか?相棒」
その時、月の光に浮んだ醜い歪んだ笑い顔と上司の言った言葉に若い刑事は気づかなかった。
車の窓ガラスに頭を押し付けていた助手席の若い刑事今日、起こった出来事のように、追いついては追い抜き、追いかけてもとどくことのないハイウェイの両脇に規則正しく並ぶ外灯の光を目で追いかけていた。
そして、真実を捕らえようとしても捕らえられない相手のことを。
それに、彼には今日起きた出来事が嘘のように思えてならなかったのである。
新人研修を終えてから今日まで一緒に組んでいた署内の英雄的存在であり、限りない信頼を抱いていた人間に彼は撃たれ、そしてその人間は今、巨大ホテルを爆破させた容疑者として追われていることが信じられなかった。
しかし、彼の信頼していた人間が標的にしたのは、自分ではなく、あの出世ばかりを考えている強欲な男であった。
考えてみればあの時、自ら銃弾の的なったというのに、何を今更、あの人を恨むのは筋違いではないか。
それよりも、警部補だ。
警部補はあの人にわざと発砲させるように仕向けていたように思える。
「あ、あれだ!」
運転席の上司が声をあげた。
国道沿いに広がる草原に横付けするように彼の車が夜露に濡れていた。
若い刑事は眉根を細めて持ち主によく似た穏やかなラインを描く車に歩み寄る。
「おいおい・・・もう、そんなとこにはいるはずないだろう?」
そう言いながら警部補は懐からスタームルガーの9ミリオートを取り出すと、ふらふらと枯れた草を踏みながら歩いてゆく若い警官を見て驚く。
「おい・・・何考えているんだ?また撃たれたいのか?」
警部補は誰に言うでもなくぼやいた。