Moonlight step
4話
寒い夜の出来事4
「さあ。御指名どおり、私が来たんだ。素直に質問に答えてもらおう」
刑事は母親によく似た女が、ありえない、あってはいけない事実から逃げようと、目の前にいる麻薬を所持していた罪人を正面から見据えたその時だった。
扉からノックの音。
「残念ね・・・もっとお話したかったのに、彼が腕利きの弁護士を私の為によんでくれたみたいね。刑事さん」
「いや〜、参った。あの女、まだ十代だったとはね。巷じゃ、芥子のシンデレラなんて言われているらしいぞ」
両足を埃と灰だらけの机の上にのせて、重そうな腹を突き出し仰け反り返っている警部補が日に焼けた顔に下品な笑いを浮かべて言う。
「ナニをしてシンデレラになったのやらだ」
「芥子のシンデレラってどういう意味なんですか」
若い刑事の一人が聞くと、自分の話に食いついてきた若い刑事に警部補は自慢げに話し出した。
「あれな。もともと銀行の頭取の娘だったらしいが、何年か前に銀行の金を使い込んでいた父親が自殺し、その妻も後を追った。路頭に迷っているあの女を拾ったのが、この辺じゃあ、ナンバー・ワンの麻薬王の一人息子だったんだよ。奈落の底から救い出した男が麻薬王の王子。だから芥子のシンデレラなんて呼ばれているんだろうよ。しっかし、コジャレた名前じゃないか」
刑事は自分の耳を疑った。
養父母に妹の居場所を突き止めようとして無理矢理聞きだそうと困らせたことがあった。
「大丈夫。妹ならお金をいっぱい持っている銀行の人のところへもらわれているから」
あの時、彼らはまだ子供だった男にそう言っていたのである。
「そんな・・・馬鹿な。あれが?」
「先輩。顔色が悪いですよ」
彼は心配そうにしている後輩の刑事の方に手をかけて、大丈夫だと首を横に振って見せる。
「そういえば、確か奴等はリッチにクィーンズホテルでパーティなんて言っていたな」
警部補の言葉に男は踵を返すと自分のコートを掴み、オフィスから出て行った。
少年は妹から大事なものを奪ってしまった。
それゆえに、妹を不幸にしてしまった罪の意識から一生、彼女を守り通そうと心に誓っていた。
しかし、彼は妹を手放してしまったのである。
本当に妹を幸福にしたいと願うなら妹と離れ離れになり、それぞれを養い肉親の情よりも熱い愛情を注いでくれる場所へ行くのが最善の方法だと大人たちに説得させられ、それを信じたのは少年、彼自身であった。
確かに二人は幸福な生活を送っていたが、彼の守るべきはずであった妹の人生は養父の自殺から裕福で幸福な生活を失い、麻薬と犯罪者の渦に巻き込まれていたのである。
そのために妹はあの女のように美しい外見とは裏腹に醜い心を持ってしまったのであった。
それもすべて妹を手放した自分のせいなのだ。
彼は何かに憑かれたように妹の元へ向かう。
誰かが彼女を助けなければならない、助けるのは、助けられるのは自分だけだと彼はそう信じていた。
クィーンズホテル。
この街で一番の規模と高さを誇り無意味な装飾に飾り立てられたホテルである。
そのホテルの最上階にホテルを経営する麻薬王の一人息子が住んでいる。
一介の刑事がその息子の婚約者である少女と出会うのは不可能に近かったが、幸いなことにホテルでは経営者の父親の誕生日パーティが開かれておりロビーには大勢の客でごったがえしていたのだ。
おそらく大広間のパーティー会場に潜り込めれば妹に出会えると刑事は確信していた。
白い肩が露になった光沢のある真っ赤なドレスを着た美しい少女がシャンパンの入ったグラスを持って大広間の端に置かれているクッションのよいソファーに身体を埋めくつろいでいる。
彼女こそが麻薬王の息子の婚約者であった。
刑事はほろ酔い気分の人間をかわして少女の隣に腰を下ろした。
「やあ。おじょうさん」
その声に驚き少女のアルコールの入ったほんのり赤く色づきはじめていた白い顔が一瞬にして蒼くなった。
「あ、あなたは・・・」
「綺麗な君にもう一度逢いたくてね」
少女は持っていたグラスを足元に置くと男の片腕に自分の腕を絡ませ耳元で囁く。
「お願い。ここには大勢の人がいるのよ。あの時のことはもう終わっているじゃない・・・。私と一緒にここから出て・・・」
少女は可憐な身のこなしで不器用そうな男をエスコートして大広間から出て行った。
少女は小走りでエレベーターに飛び乗った。
「最上階まで」
少女は男の腕から離れて、怪訝そうに見つめるエレベーター・ボーイを一瞥する。
最上階に着いたという合図の音が狭い箱の中で響く。
「さあ。降りて」
男は少女に促されるまま白い毛の深い絨毯の敷き詰められたフロアーの一番奥にある部屋の前まで行く。
少女は扉の前まで行くと黒いハンドバックから自分の部屋の鍵を取り出すと男を部屋へ招きいれた。
「私が馬鹿だったわ。あなたみたいな刑事に買収が出来るぐらいお金があるなんて言うなんて・・・」
刑事は一瞬、少女が何を言っているか理解できなかった。
「く・・・」
刑事は笑い始めた。
「な、なによ!」
少女は少し後ずさりした。
「私が君を強請ると思ったのかい?」
笑う男に少女は身体を強張らせる。
「違うよ。私はただ・・・君を助けるために来ただけだ」
「わ、私を助けに・・・?」
ようやく笑うのをやめた男が静かに頷く。
「君がわたしの妹だからだよ」
「は・・・?」
呆気にとられた少女が今度は笑うことになる。
「ばっかじゃないの?私に刑事の兄ですって?しかも刑事の?ばか言わないでよ!私は芥子のシンデレラとまで言われているのよ!刑事の兄なんているわけないじゃない!」
先ほどまであれほど大人びて見えた赤いドレスの女が取り乱したとたんに幼気な少女に戻った。