赤い星が落ちた日II
~le myosotis 勿忘草~
the Spring Equinox3
(春分)
バンクーバー国際空港から、ダウンタウンへと車で30分ほどで入る。しかし、前日に起きた、イングリッシュ・ベイに落ちた隕石の事件で、ダウンタウンからノース・バンクーバーに向かうライオンズ・ゲイト・ブリッジは、多くの野次馬たちの車で混み合っていた。
「もう・・・隕石が落ちたぐらいで、こんなに混むなんて」
ため息をついた詩織に雅が聞く。
「隕石って・・・僕らが飛行機に乗る前に落ちたってやつですよね?」
「そう・・・確かに、見て」
橋の中央に差しかかっていた詩織のバンから見えるイングリッシュ・ベイから大きな岩のようなものが見えている。その隕石の近くにいくつかの巡視船らしき船が、小さな生き物のように蠢いていた。
「あの岩みたいなのが隕石の一部分よ」
岩のようなもと例えはいるものの、鈍色をしたそれは薄っすらと赤みをさしているようにも感じられた。
「なんか・・・気持ち悪い」
エマが言う。
「さっき、見たときよりも色が・・・」
エマの表情が固くなる。
「え?」
詩織の隣の助手席に座っていた志季がバックミラーに映ったエマに聞き返す。
「さっきより?ってどういうこと?」
「赤く!きゃ!!」
エマの言葉よりも先に隕石から燃えるような閃光が放たれ、バンの中の全員が身体をびくりとさせた。
「あれは!」
貴緒は言葉と同時に、バンの後部座席のスライド式のドアを開け飛び出す。
「ばか!貴緒!」
志季も貴緒の後を追うように車から出る。
青い空に、隕石から放たれた強い光がいくつも飛び交う。
二人は橋の上でそれを見上げた。
「マリタが地上に降りてきたときと同じ光だ」
志季は無意識でその言葉を唇から漏らしていた。
「二人とも!早く車に乗って!!高波がきてる!!」
叫ぶ詩織の言葉よりも巨人のような高波は、隕石の周りにいた船をすでに呑み込んでいたのである。
隕石は橋から10キロも離れていないところに落ちている。渋滞した橋の中央にいる車が波よりも早く岸に辿りつくのはとても不可能であった。
そして、車から出ていた少年達も。
「志季、戻ろう!」
貴緒は志季の右腕を強く掴んだが、志季は高波のさらに上で飛び交う光に心を奪われていた。
「志季!」
貴緒は志季の身体を強く抱きしめた。波が二人を飲み込む前に。
「志季!!」
詩織は弟が高波に飲み込まれる瞬間、自分の目を疑った。いいや、詩織だけではない、橋の上の車に乗っていた人々、そして高波を目の当たりにした人々のすべてが、目の前で起きた現実を直視することが出来ないであろう。
「た、高波は??」
フロントガラスから見える景色に詩織は叫ぶ。
「これ、何よ?」
エマと雅も車のガラス越しから見える景色を見渡す。
「な、波は?これって・・・波じゃないの?」
「フォグ?」
詩織はミルクの壜の中で溺れているような視界に目を凝らした。
「志季と貴緒君は?」
「おれ、探してきます!」
ドアに手を伸ばしたのを制したのは、隣に座っていたエマだった。
「落ち着いて。今、扉を開けたらどうなるか、想像もつかないのよ」
エマはそう言うと足元に置いてあった懐中電灯を、白くなった視界に照らした。
「だめだわ・・・何も見えない」
エマは懐中電灯を持たない片方の手を詩織の肩にのせて、運転席のヘッドレストに額をつけると、今までに体験をしたことのない恐怖と不安で泣き出す。
「ママや・・・パパは大丈夫かしら・・・」
詩織は肩の上にのせられたエマの手の甲に自分の手の平を重ねた。
「大丈夫よ。わたしたちがこうして無事なんだから」
だが、そう言う詩織自身も痛いぐらい心臓が高鳴っていた。
「詩織さん。ここで、じっとしていても始まらない。もし、この扉を開けた瞬間、この白い霧みたいなものが生物兵器かなんかで・・・死ぬようなことがあっても、なくても、このままじゃあ埒が明かない。どっちにしても何もしないまま、この霧が晴れないでこの狭い車で野垂れ死にってのも、俺、嫌ですから」
雅は気が短い少年だった。
「ほら、浦島太郎のような事だってあるかもしれないですから」
「扉を開けたら・・・実は何百年も経っていたりってこと?」
こんな時にあっけらかんとしている雅の態度に詩織は微笑んで見せた。その微笑がとても上手く出来たとは思えないが、雅の言う通りかもしれないと詩織は思った。