SCENE1



 にぎやかな繁華街をぬけ、暗い小道をぬけるとその場所はあった。
 静かな場所である。
 静寂は、その言葉の意味とは正反対に絶対的な支配者のようにその場所に存在し、無言の圧力を投げかけてくる。それに重なるように小道から流れてくる湿気をたっぷりと含んだ空気は、その場に存在する闇に溶け込み空間をさらに沈鬱なものした。
 普通の感覚の持ち主であれば、その空間に嫌悪感を感じ、その場に留まろうなどと考えないであろう。 だが、その場所にあるそれは、人の注意を引くには十分過ぎた。 富というものの結晶である巨大な豪邸。そして、趣味を疑いたくなるような派手な装飾は、暗い小道の先で異様な明るさを放っている。
 初めてその建物を目の当たりにした人の中には、その建物にどんな派手好き、またはどんな愉快な人が住んでいるのだろうかと些細な興味にかられ立ち止まる者も少なくなかった。だが、その行為は長くは続かない。まず、豪邸の正面に位置する巨大な扉に目が行くことになるだろう。表面に複雑でありながら繊細なパターンが描かれている扉は、扉と言うにはあまりに壮大であり、むしろ芸術品と言ったほうがしっくりとくる。
 そして、その豪華な外観をあっけにとられ眺めていると、ふとあるものに気がつくだろう。
 それは、その豪華な扉の両脇に立っている男達の存在。そして、男達のいでたちから、ある推測をする。
 ここは楽しい場所ではないのかもしれないと。
 その推測は、男達の手に握られた速射機能を備えた銃と、耳元についている小さな通信機を見た時点で確信へと変わる。
 良識のある人間ならばその時点で、何事もなかったかのように立ち去る。だが、世の中には好奇心が押さえきれない人がいる。そういった人は、次に男達の刺すような視線に補足される。まるで一流のスナイパーが、スコープで目標を捉えるときのそれに似ている。その視線を感じてその場から立ち去らなかった人は、今までいなかった。
 その場から立ち去るとき、人は気づく。その建物の外見とは正反対に、それを囲む巨大な氷のようにそびえ立つ壁の存在に。それは、そこに誰も入れないように、また誰も逃げられないようにするために存在する。 そして、ある結論を得る。そこは、決して立ち寄ってはならない場所であると。  



 金属をこすり合わせた鈍い音が、静かな空間内をゆっくりと流れる。
 それはあまりに突然のことであった。そして、その音を合図として、場の緊張は一気に高まった。
 二人いる見張りの一人が、暗い小道にゆっくりと近づく対象を確認したのだった。小道には、ある仕掛けが存在した。小道から近づく対象を、いちはやく発見できるように、小さなライトが足元に設置されているのだ。見張り達は、近づくものが何であるのかを認識するために、じっと目を細めた。  
「とまれ!」  
 1人が叫ぶように言った。  
「ゆっくりと近づくんだ。変な真似はするな」  
 それは、一旦立ち止まると両手をあげ、敵意は無いということを示し、やがてゆっくりと歩き出した。
 男達の持つ銃は、完全にその人物を捉えていた。
 足元に設置されたライトは、その人物の足元から上半身にかけて徐々にうつしだしてく。程よく色あせた革製のロングブーツ、艶やかさをこうこうと放つ真っ白なコート、そして……  
「女か?」  
 ライトの光がその人物の顔をうつしだすと、もう1人が銃を下ろしながら言った。  
 暗い小道には、小柄の女が立っていた。  
 フードの隙間から垣間見えている薄茶色い髪と、白い肌や小さな口、すらりとした輪郭からすると、結構な器量であると判断できる。年齢はまだ幼いようにもみえるし、見方によっては大人ぽくもみえる。少し大きめコートのために体のラインが、想像できないのが残念であると男の一人は思った。  
「話は聞いている。あまりに遅いので、しびれをきらしていたところだ。さ、いそいでくれ」  
 男はせかすような口調で言うと、その豪華に装飾された扉の脇にある小さな操作パネルを慣れた手つきで操作する。数秒後、かちりという金属音と共に重い扉は開いた。  

 

 豪華に装飾された門をくぐりぬけた先で、女を待ち受けていたのは、たくさんの人口植物達であった。足元の石畳は、はるか向こうへと伸びており、まるで緑の空間に吸い込まれていく煙のようだった。  
 壁の内側は、ちょっとした森といえた。
 どこからともなく流れてくる風は、プラスチックで出来た葉をゆらし、森全体をざわめかす。それは、聖なる森に踏み入る侵入者の存在を知らせる合図のようにも感じられた。
 女は、森の奥へと続いている石畳の上を歩いた。一歩踏み出すごとに生じるコツ、コツという音が、聖なる静寂を破り遠くへと響いていく。  
 女は、数歩進んだところで立ち止まった。そして、革製のロングブーツから足を半分出すと、しっくりくる位置に足を置きなおし、紐をきつく結んだ。履きなれていない靴は、普段は接することのない足の柔らかい部分に耐え難い痛みをもたらした。
 女は、その行為により痛みが和らいだのを確認すると、再び石畳の上を歩き出した。女は知らなかったが、歩行により生じるその音には、ある役割が存在した。それは音という物理現象を利用したトラップといえよう。
 石畳の上を十数歩進んだところで、木々の間からゆっくりと近づく足音。しっとりとした雨のように地面を踏むその音は、決して人間の歩行により生じる音ではなかった。その音は最初は一つのものであったが、やがて多くのものへと変わっていった。最初に、その音が聞こえた時点で女は何の足音であるのか大方分かっていた。聞かされていた通りだ。女はそう呟いた。
 遺伝子改造されている護衛犬。  
 ボルゾイという大型の狩猟犬をベースにした護衛犬であり、この世界の護衛犬としては最高級で最高の能力を持っているといわれている。攻撃力、機動力、瞬発力、スタミナ、知性のどれをとっても一級の能力を持ち、さらに餌さえ与えていれば十数年は生き続ける。そして、何よりも有効な点は、人間と違って給与が必要ないところだ。一匹の値段は、人間一人を一ヶ月雇う値段の5倍はするが、半年も使えば元が取れる。そのような理由から、遺伝子改造犬を護衛として飼っている人間は少なくなかった。
 護衛犬たちは、体勢を低くしながら女を取り囲むようにゆっくりと近づいてくる。そして、約3mまで近づき女に鋭い眼光を向ける。しかし、その数秒後に一瞬で興味を失ったかのように犬達は、その場で散っていった。犬達は、その女を襲うように命令されていないからだった。
 数十分後、女は目的地である屋敷の前までたどり着いた。  
 遠くからでも確認できた派手な装飾物は、客を迎えてくれるかのように、ピンクや蛍光の黄色といった、やたら刺激的な光をこうこうと放っていた。  
 遊園地。  
 女の頭の中に、その言葉が一瞬浮かんだ。  だが、女にはこの場所が、遊園地のような楽しい場所ではないことは百も承知だった。
 屋敷の入り口までくると、今度は初老の男が女をむかえた。初老の男は、木製の扉の横に立ち、軽く会釈した。男の整った身なりと同様に、一片の不備のない動作だった。
「どうぞ、こちらへ」  
 初老の男は、表情を変えずに丁重な口調で女を招き入れた。落ち度を見つけることが不可能なくらいの完璧な接客だった。しかし、その完璧な男の態度は、かえって女を不快にした。女はこみ上げてくる不快感を閉じ込め、何も言わずに初老の男の後に続いた。  
 屋敷の中は外の様子と異なり、落ち着いた雰囲気であった。ワインレッドの絨毯は、一歩踏むごとに足の裏にふくよかな感触を残し、壁に規則正しく並んでいる美しい絵画は、窓のない廊下を華やかに演出する。貴族のパーティーに招かれた女。第三者の目からは、そのシーンはそのようにうつるかもしれない。だが、実際にはそこに貴族という言葉から連想される華やかという言葉はなければ、誇りという言葉もない。
 移動の途中、二人の間に言葉が交わされることはなかった。それは必要の無いことだからである。いや、意味のないと言ったほうが適切だろう。2度とあうことのない人間と話すことに、意味など存在しないと女は思っていた。一方、老人は後ろを歩く女と同じ境遇の者を、自分の仕えてきた十数年で、それこそ何百人と案内してきた。後ろを歩く女がどんなに美しかろうと、特別な興味が生じるわけはなかった。  
 やがて、この屋敷で最も豪華な扉の前へやって来た。初老の男は、扉の横で軽く頭を下げ、片手でその扉を開けると、女を中へと招き入れる。  
 部屋に入ると、女はまず最初に、鼻をくすぐるような甘い匂いを感じた。それに重なって女は、体の一部に微妙な変化が起きたことを、はっきりと感じた。一言でいうなら快楽という言葉になるだろう。  
 部屋の四隅に置いてある花瓶のような小さなガラス容器の中では、小さな炎が揺らいでいた。女にとって、そのようなガラス容器は見慣れたもので、それがそのような甘い匂いの源であった。心よりも先に肉体が反応を示してしまう。女にとってそれは何よりも屈辱的なことだった。  
 女は、その脳がとけてしまいそうな匂いにたじろぎながらもゆっくり進んだ。部屋は薄暗く想像以上に狭い部屋であった。部屋の中ほどまで来ると、真中に大きなベッドの存在に気づく。屋敷の外見と同じように派手で艶かしいそのベッドに対して女は、さらなる嫌悪感を感じた。ベッドは使用法を変えるだけで、なぜこうも外見が変わってしまうのだろうと思った。  
「いま、お見えになります。お待ちください」  
 唖然としている女の後ろから、初老の男は落ち着いた口調でそう言うと、静かに部屋をでていった。  
 ときがさほど経つことなく、豪快に扉をあける音がした。そこから、身長が低く小太りな男が現れた。男はピカピカと輝く趣味の悪い上着を脱いで、それを部屋の端に投げる。そして、ベッドに座り込んでいる女をみると、含むような気味の悪い笑いをする。それはその男のささやかな願望が、かなったことを表していた。男は思った。  
 注文どおりだ。  
 先ほどまで別室でぴりぴりしていた男だったが、今は微塵も感じられない。業者に相場以上の金をわたそうという考えさえも生じていた。そして、女の横顔をみると胸の奥からの激しい血流が、一気に頭の先まで駆け上がっていくような感覚を得た。  
「さんざん待たせおって、どうなるかわかってんのか?まぁ、その分満足させてくれれば、金は相場どうり払うがな。お前の心意気しだいでは、ふやしてもいいんだぞ」  
 男は嫌な含み笑いをしながら、女の横に座り込む。そして、女の肩にごつごつとした手をまわす。
「さぁ、こっちを向いてくれ。どんな顔をしている」  
 しかし、女は男の顔と逆の方向を向いた。明らかに男を拒否する動作だった。そして、女のその動作は、男の欲望をさらに刺激することへとつながった。  
「はずかしがることはないだろう?ここまで来ておいて」  
 そう言い終わるより先に、男はむりやり女の上におおいかぶさった。そして、女の服の下へと素早く手を滑り込ませると、女の小さな体を自分の方へと引き寄せた。  
 その瞬間、壁に赤い曲線が描かれる。  
 それはあまりに突然の事で、男は自分の身に何が起きたのがわからなかった。ただ、腹の辺りにちょっとした痺れを感じただけであった。  
 だが、女の手に握られていた鈍い光を放つ物が、視界に入るとそこにあるものは違った。  
 そこにあるのは、全身を駆け巡る激しい痛み。
 男は、力いっぱい叫んだ。突然恐怖と対面したときの人間の動作としては、当たり前の動作だった。だが、男は口の中に違和感を感じた。  
 ベッドのシーツだった。  
 そして、ベッドシーツは男の叫びが音として漏れることを防いだ。  
 壁についた血と女のその表情を見たとき、初めて何が起きたかわかった。  
 暗殺。  
 男の頭に、その言葉が思い浮かんだ。だが、あまりに遅すぎた。  
 女は、仰向けになって、もがいている男の腹部を力の限り蹴り飛ばすと、男の横に座り込むのと同時に、コートの袖に隠していたナイフを取り出す。そして、頭の腕まで振りかぶると、力いっぱいそれを振り下ろした。  
 が、男は横に転がりその一撃をなんとかよけた。すると、その衝撃で刃の部分が、折れてどこかへ飛んでいってしまった。それを見た男は、そのボールのように膨れ上がった腹を横に揺すり、女を跳ね飛ばす。今頃になって、荒波のように押し寄せてきた激痛に耐えながらも、視線の方向へと駆け出す。  
 しかし、女はそれを見逃さなかった。女は態勢の整っていない男の首をつかむと、そのまま壁めがけて投げ飛ばした。男は、顔面から壁に突っ込むことになる。倒れた男の上に馬乗りになるように座りこんだ女は、何回も何回も男の顔を殴りつづけた。  
 やがて、男が動かなくなると、女は男の返り血を浴びて、体は真っ赤に染まっていた。窓からのぞいた月によって、照らされた女の素顔は、半分血に染まり、その目つきは獣のように鋭かった。  
 女は息を切らせながら、凍りつくような視線を男の肉に注いだ。  
「私は生き残る。生き残る……だから……しかたなかった」  
 やがて、女は自分についた血をすべて拭き取り、事がすんだかのように、屋敷をあとにした。このことが第三者の目にとまるのは、女が屋敷をあとにして2時間以上も後のことであった。



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