never more


「でも、わたくしは女王候補なのです…」

「…ああ、判ってたよ、そんなこと。最初からな」

────── この日、わたくしの初めての恋が、終わった。



心地よい朝の光を浴び、ロザリアは、もう幾度と無く訪れた森の中で一歩一歩確かめるように大地を踏みしめ、愛しそうに目を細めて湖を眺めていた。
水面に映ったまだ少し白んだ空は、今まで見てきたそれと何一つ変わらない。

「もう明日で、この景色ともお別れなのね」

明日は、戴冠式。
それは、女王試験の終わりを告げる。
そして、その頭に冠を載せるのは自分ではなく ────

「………っ!」

悔しさと、やるせなさで、瞳の奥から熱いものが込み上げて、溢れた。
アンジェリークとは最初こそ差を付けて優位に立っていたものの、後半になってからは信じられない程に追い上げられ、そして追い越された。
彼女の事は大切な親友だと思っている。自分か、彼女か、どちらが女王になってもおかしくないと最近は思い始めていたのも事実。
でも、真夜中の空を襲ったおびただしい数の流星が昼間のように地上を照らしたあの夜。
新しい女王が、自分の敗北が、決定されたあの夜。
父が、母が、乳母が、友達が、自分を応援してくれた皆が、……そして彼が、頭をよぎって、離れなくて。
ロザリアは、飛空都市に来て、その日初めて涙を零した。
…その日からは、もう何度泣いたかも判らないくらいなのだけれど。

「泣くなんて、みっともないわ…」

自分の力が至らなかった、ただそれだけのこと。
彼との別れの日にさえ、泣かずにいられたのに。
この道を選んだのは、他の誰でもない。自分自身なのだから。
後悔は、していない。

……でも

辛くて。
皆の期待に応えられなかった自分が許せなくて。
気持ちに応えられなかった後もなお、自分を応援してくれた彼に申し訳なくて。
女王になることが運命なんて、使命だなんて、ただの思い上がりでしかなかった。

……ごめんなさい

わたくし、女王には、なれませんでした。
何が、いけなかったのですか?
何が、足りなかったのですか?
何が……

「…う…………っ」

溢れた感情は収まらず、後から後から流れ落ちていく。
どんなに泣いても、涙は枯れないものなのね。
そんなことを冷静に考えている自分がいて、ほんの少し笑う。

「よう」

急に、背後から声をかけられた。
絶対に聞き間違えることの無い、その声は。

(うそ)

ロザリアは女王が決まったあの日から、極力、人に会わないようにしていた。
幸い、新女王陛下は戴冠式の準備で忙しく、一度も顔をあわせていなかった。
誰かに会えば、笑わなければならないから。
笑って、彼女への祝福の言葉を言わなければならないから。
優しい言葉を掛けられたら、泣いてしまいそうだから。
そんな姿は絶対に見られたくは無かった。その上同情なんてされたらプライドはズタズタだ。
……もう既にボロボロなのだけれど。
だから今日だって人のいない早朝に出て来たというのに。
何故、何故よりによって

「…ゼフェル様」

急いで涙を拭って、振り返る。
そんなことをしても、泣いていたのはバレバレなのだが、そうせずにはいられなかった。

「おはようございます。まさかゼフェル様がこんな時間に起きてらっしゃるなんて驚きましたわ」

冗談交じりの言葉を掛けて、笑顔を作る。
この笑顔は全くの嘘というわけでもない。彼に会えるのは嬉しいことだから。
…ただ今は、少し痛いけれど。

ゼフェルは少し頬を赤らめながらムッとしたような顔をして

「…おめーが昼間ずっといねーからだろ。探しても見付からねーしよ」

そう。ロザリアはなるべく人目につかないようにしていた。足音や話し声が聞こえたら反射的に隠れたり、その場を離れたりして。

「わたくしの為に…早起きして下さったのですか?」

「そんなんじゃねーよっ。たまたま起きちまっただけだ」

更に顔を赤くして怒ったようにゼフェルは答えた。

「あら、それでは先程の言葉と矛盾していますわよ。ふふふっ」

「何、笑ってんだよっ」

「だって…すみません、ふふふふっ」

それでも笑っているロザリアの肩をゼフェルが掴み、瞳を覗き込んだ。

「っ?!」

ロザリアの顔が熱くなる。
こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてで。

「…怒って…いらっしゃいますか?女王になれなかったこと…」

一度は止まっていた涙が、またロザリアの瞳を濡らし始めた。
瞬間、ロザリアはゼフェルの胸に抱き寄せられた。

「あ、ああのっ…?!」

「…泣けよ」

「え…?」

「我慢しねーで、思いっきり泣けよ」

ゼフェルの表情を窺うことは出来なかったが、その声がとても優しいことは判った。

「…怒ってはいらっしゃらないのですか?」

「バーカ、何でオレが怒んだよ」

「ば…」

バカって…

「おめーは全力で頑張ったんだろ。これ以上出せねーって位、力を出し切ったんだろ?後悔してねーんだよな」

「…そうですわ」

でも、それだけじゃ駄目なのです。
それだけじゃ、足りないのです。

「なら、それでいいじゃねーか。そうだろ?」

「………」

有難うございますゼフェル様。
わたくしを許して下さって、お優しい言葉までかけて下さって。
でも…でも……!

「でも!!」

ロザリアは力いっぱいゼフェルを押しのけた。

「どうしてですか?!わたくしはゼフェル様のお気持ちを踏みにじって、女王の道を選んで!…どんなに努力したって結果が出せなければ何の意味も…!!許される資格なんて、わたくしには無いのですわ!!」

頬を伝うのは、先程とは違った意味を持つ涙。
ほとんど叫び声に近いロザリアの声が、しんとした早朝の森に響いた。

「…ばっかやろう!!何でそーなんだよ!おめーはマジメ過ぎんだよっ!」

ゼフェルの声も、負けじと響く。

とうに断ち切ったはずの想いが、ロザリアの中でまた膨らみ始めていて。
本当は、甘えたい。許されたい。受け入れてもらいたい。

「わたくし、帰りますわ。…明日の準備がありますから」

「おい、待てよ!」

ゼフェルの制止を振り切って、ロザリアは寮の自分の部屋に逃げ込んだ。
鍵を掛け、カーテンを閉め、ベッドで布団を被る。
…我ながら、なんて惨めな姿なのだろう。
明日からは、泣くことも出来ない。笑顔で戴冠式を済ませ、笑顔で実家に帰らなくてはならないのだから。

だから…今だけは泣いたっていいでしょう……?



*



「本日、今を以って女王試験を終了する」

謁見の間で、アンジェリークの戴冠式が行われた。
それは女王試験の結果発表も兼ねていて、ロザリアも参加している。
発表などしなくとも、今や飛空都市中で新たな女王を知らぬ者はいないのだが。

「おめでとうアンジェ、いいえ女王陛下」

「ロザリア…有難う」

久しぶりに親友の顔を見たら、何の抵抗も無く心から祝福することが出来た。
アンジェリークが嬉しそうな顔をしていると、自分も何だか嬉しくなってくる。

そうね、あんたの治める宇宙で暮らすのも、悪くないかもしれないわね。

「…陛下、ロザリア、…あのっ…!」

それまで嬉しそうに笑っていたアンジェリークが、急に意を決したように声を上げた。

「あ、あの」

「どうなさったのですか?新女王陛下」

ディアが、やわらかな微笑みでアンジェリークに訊ねる。
その笑顔で緊張がほぐれたのか、アンジェリークは一歩前に出、はっきりと告げた。

「ロザリアを、女王補佐官にしたいんです!」

…え?

「ロザリアならきっとディア様のような素晴らしい補佐官になると思います。それに、大事な親友だから一緒にいたいんです…お願いします!」

(わたくしが、補佐官に?)

ロザリアの中に、「補佐官になる」という選択肢は存在していなかった。
勝利と敗北、つまり女王か帰郷しか無かったのだ。

(それは許されることなの?)

ディアを見ていれば、女王補佐官が女王にとって、また宇宙にとっても、とても重要な役割を果たしていることはよく判る。だが、そんな大役が務まるのだろうか。

「オレからも頼む!」

不意に、背後から投げかけられた声。

「ゼフェル様…?」

「オレも、こいつだったら出来ると思うぜ、じゃねー、思います!」

ロザリアが驚き戸惑い、声を出せずにいると、女王陛下が口を開いた。

「ロザリアの資質と、その実力は補佐官になるに充分な力量である。ロザリア、アンジェリークとゼフェルの申し出を受けるか?」

「わたくしは…」

わたくしが、補佐官になれる?
陛下は、わたくしの力を認めて下さっているの?
アンジェや、ゼフェル様も…?
──────── こんなわたくしに、まだ期待してくださるのですね。

「…皆様が、わたくしの力を必要として下さるのなら喜んで」

「ロザリア!」

「っきゃ」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、アンジェリークはロザリアに抱きついた。

「嬉しい!ずっと一緒に頑張ろうね!」

「ちょっと、皆が見てるじゃない、アンジェ…」

赤くなって慌てるロザリアを見て、ゼフェルが笑う。

「クッ、まあこれからも頑張れよな」

昨日の事などまるで無かったかのように、ゼフェルは優しい笑顔を見せた。
…今度は自分が、皆の手伝いをする番だ。

「はい。頑張りますわ!」

この日、新たな女王陛下と、その補佐官が新宇宙に誕生した。



*



翌日
ロザリアは補佐官の服に身を包み、散歩がてら、自分がこの先しばらくは過ごすであろう聖地を見て回っている。

(今日から本格的にわたくしが補佐官になったのだわ…)

…筈だったのだが、自らの新たな役割に闘志を燃やす彼女には、周りの景色はほとんど見えていないようであった。

「今度こそ立派にやり遂げて、皆の期待に応えてみせるわ!」

ロザリアは語尾を強め、ガッツポーズを作った。そしてそのまま気合を入れる為なのか、パンチやキックを宙に向かって放つ。幼い頃から護身用として習っていたのか、それは立派に「護身術」として通用しそうなものであった。だが名家の令嬢、それももと女王候補であり、現女王補佐官のこんな「はしたない」姿は滅多に見られるものでは無いだろう。もちろん回りには誰もいなかった筈で、彼女に人に見せる気は無かったと思うが。

「…何してんだよ、おめー」

「やっ、ゼフェル様!」

油断大敵。
一体いつから見られていたのかと、ロザリアの顔に血が昇る

「おめーってお嬢のクセに、ほんっとパワフルだよな。気合入れてる補佐官なんて滅多に見れねーぜ」

と、ゼフェルは本当に可笑しそうに笑った。

「…他の方達には、内緒にして下さいね」

「ん?ああ。わかったよ」

そう答えながら、尚もゼフェルは可笑しそうに笑う。
自分はそんなに滑稽だっただろうか?ロザリアはほんの少し憤慨する。

「もう、いつまで笑ってらっしゃるのですかっ?」

「ククッ、ああ、わりーわりー」

やっと笑いの収まったゼフェルに、ロザリアが訊ねる。

「ゼフェル様も、お散歩ですか?」

「おめー…今の、散歩だったのか?」

確かに、「気合」を見て散歩してるなどと思う者はいないだろう。

「そ、その話はもうよろしいじゃありませんか!」

「わかったわかった、怒んなって」

本来ならば、今頃は家族のもとへ帰っていた筈なのに、ここでまた彼とこうしているなんて不思議な気分だ。
あの時、アンジェリークが言ってくれなければ「補佐官」という選択肢さえ知らなかった。
そしてゼフェルに推薦してもらわなければ、決心がつかなかったかもしれない。

「ゼフェル様、昨日は有難うございました。補佐官に推薦していただいて…」

「あ?ああ。別に礼を言われるこっちゃねーよ」

ゼフェルは笑うことをやめ、少し目を逸らして答えた。

「おめーなら出来ると思ったからそうしたんだ。つまりは、おめーの実力だろ」

「そうでしょうか?そう言って頂けると、とても嬉しいですわ」

ゼフェルに認めてもらえることは、他の誰に認めてもらうより嬉しい。
ロザリアが嬉しさを噛み締めていると、ゼフェルが逸らしていた目を向けた。

「…なあ」

「は、はい?」

真剣な眼差しに、ロザリアの胸の鼓動が少し大きくなる。

「あっ…」

ゼフェルはロザリアの手を取り、視線を逸らさず、口を開いた。

「その…オレのおめーに対する気持ちは、あの時から変わってねー。オレは、今でも…おめーが、その」

非常に歯切れの悪い台詞であったが、彼の言わんとすることは充分にロザリアに伝わった。

今でも、わたくしのことを…?本当に……?

「ゼフェル様…わたくしは、あなたよりも女王の道を選んだのに?」

「一昨日もそんなこと言ってたけどよ、オレは、おめーのそーゆートコが気に入ってんだぜ?逃げずに目標に向かって突き進んでくトコがよ」

ちっと真っ直ぐ過ぎるけどな、と苦笑するゼフェルの顔を、ロザリアは見ることが出来なかった。
ロザリアの視界は既に、涙でぼやけていて。

「…女王に…なれなかった……のに?」

「女王になっちまったら、こんなこと言えねーだろ」

ゼフェルのロザリアの手を握る力が、強くなる。

「今のおめーは、もう女王候補じゃねーんだ。だから、おめーをその、自分のものにしてーって思ったって…いいだろ?」

あなたよりも女王への道を選ぶわたくしだからこそ、好きになったと言って下さるの?
あの時言えなかった言葉を、今伝えても、いいのですか?

ロザリアは、自由だった方の手をゼフェルの手の上に添えた。

「ゼフェル様…わたくしも、あなたのこと……」

「ロザリア…」

ゼフェルは真っ赤になりながらも、心からの笑顔を見せた。
きっと、自分の顔も真っ赤になっているのだろうとロザリアは思った。
触れ合う手が、熱い。

短くも長くも思えた沈黙の後、ゼフェルは我に返ったように、ロザリアの手を離した。

「わ、わりー」

「あらゼフェル様、何がですの?ふふっ」

意地悪くそう言うと、ゼフェルは何も言わずに真っ赤な顔をしたまま視線を逸らす。
そして何かに気付いたような仕草をした後、今度は悪戯な瞳をロザリアに向けた。

「そういや、補佐官て守護聖に『様』はつけねーんじゃねーの?」

「えっ?そうでしたかしら?」

そういえば、ディアは守護聖に敬称をつけてはいなかった。

「呼んでみろよ」

「はっ?」

「オレのこと、呼んでみろよ」

今度は、ロザリアが意地悪く言われてしまった。
女王試験をしていた半年以上もの間、ずっと「様」をつけて敬ってきた相手を急に呼び捨てにすることは、かなり難しく、違和感があるものである。
そうでなくとも、「名前を呼べ」と言われて呼ぶこと自体が、照れくさいことだというのに。
その「相手」は先程の真剣な眼差しとは打って変わって、意地の悪い顔をこちらに向けている。
その顔を見て、ロザリアの中の負けず嫌いが顔を出した。

いいわ、呼んでみせるわ。

「…ゼっ……ゼフェルっ!」

……………
思いの外、大きな声を出してしまった。
しかも、握りこぶしまで作って。

「クッ、ははは、そんなケンカ腰で呼ぶこたねーだろ」

「す、すみません」

「謝るこたねーけどよ。その敬語も、おいおい無くしてけよな」

「敬語もですか?」

「たりめーだろ。オレとおめーは、その、そんな敬語を使うような関係じゃねーんだからよっ」

…わたくし、こんなに幸せでいいのかしら。
…いいえ、この幸せに相応しい自分になれればいいだけ。

「ええ。努力しますわ」



女王の夢には敗れても。
自分はこれからも生きていくのだ。
そしていつか、
本当に自分自身を許せる日が来ることを願って。







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