宣戦布告


『人生とは何か』

誰もが哲学者となることの出来るそれは、答えの無い問いの一つだ。
人によって、年齢によって、気分によってさえも、その答えは移ろい、形を成さない。
それでも、どんな現実主義者も、夢追い人も、幸福でも、不幸でも、平凡でも、非凡でも、送っている人生の内容に関係無く、人々はその答えを追い求める。
それはこの世に生を受けた限り、誰もが例外無く死へと向かうことへの焦りなのか。
他の人間がどんな答えをするのかは知らないが、少なくとも今の、今までの自分にとっての人生を一言で表現するとするならば、

それは

『戦い』だ。



「戦い、ですかー…」

丁寧に両手を添えた湯呑みから緑茶を美味しそうに啜り、一息ついた後、その質問の主はゆっくりと口を開いた。

「そうですわ。こうした何気ない会話も、わたくしとルヴァ様との戦いなのですわ」

まだ少しあどけなさを顔に残す蒼い瞳をした少女はきっぱりと言い切り、出された紅茶に口を付けた。

「えっ?今もなんですか?」

「もちろんですわ」

にこりと即答する少女に、ルヴァと呼ばれた青年は苦笑する。

その時である。乱暴に扉を開けるけたたましい音と大きな声が、少女を背後から襲ってきた。

「ルヴァ、あのよー……ん?」

自らの教育係兼保護者代わりの人物の部屋にいつもと違う風景を見つけた彼は、あからさまに嫌そうな顔をする。

「んだよ、てめーもいたのかよ」

彼のそんな態度にも慣れていた少女は、自分に向けられた刺すような視線をものともせず、ごきげんよう、と挨拶をした。

「けっ、相変わらずお高くとまりやがって。ルヴァもよくこんなタカビー女と話なんか出来るよな」

「ゼフェル」

ルヴァが咎めるような視線を彼に向ける。
少女は、特に何も言わない。

「じゃーな。また後で来んぜ」

彼は不機嫌な顔をしたまま、来た時と同じように大きな音を立てて出て行った。

「騒々しい方ですわね」

少女はそれだけ言うと、先程の続きを飲み始める。
ルヴァはそんな少女を見て哀しそうな顔をした。

「ロザリアは、ゼフェルとは話もしたくないのですかー?」

名前を呼ばれた少女の、紅茶を飲む手が止まった。

「そんなことはありませんわ?育成の依頼にも伺いますし、今だって挨拶もしましたでしょう?」

その答えにルヴァは更に哀しそうな顔をして、ロザリアに優しく問いかける。

「うーん…。貴女は自分と意見が対立すれば、例えジュリアスが相手でも、それこそ貴女の言うように『戦い』ますよねー?今のゼフェルの言葉は、貴女にとってかなり失礼であったように思えるんですが…」

ロザリアはプライドが高く負けず嫌いであり、おまけに気の長い質では無い。
普段の彼女ならば、頭の回転の速さも手伝って、相手に反論の隙を与えずに皮肉毒舌地獄に葬り去る事だって、特にゼフェルが相手なら容易に出来た筈である。

「…いちいち反応していたら、身体がもちませんもの」

視線を逸らして静かに答えるロザリアに、ルヴァは更に問いかける。

「貴女は、ゼフェルとは戦わないんですか?」

ロザリアの顔が険しくなる。彼女はおもむろにカップに口を付けると一気に飲み干した。

「…はぁっ。……今日はもう失礼致しますわ。ご馳走様でした」

彼女はルヴァが止める間もなく、そそくさと、それでも優雅に執務室を出て行った。

「怒って帰る時でも出されたものは残さず、ですか。律儀な彼女らしいですねー」

空になたティーカップを眺めながら、ルヴァはまた苦笑した。



*



寮へ戻る気にはなれず、かと言って誰かと話をする気分でも無かったロザリアは、人のいることの少ない森の湖へと足を向けた。
畔の手近な樹に登って、溜め息をつく。
幼い頃はよくばあやの目を盗んでは登っていたのだが、最近はそんな暇も無く、随分と久しぶりだった。
どうせ今日はもう力も無くなり、後は帰って休むだけであるから多少汚れても構わない。

『ゼフェルとは、戦わないんですか?』

…鋼の守護聖、ゼフェル

彼の、その反抗の理由は少しだけ訊いた事がある。
皆、多くを語ろうとはしなかったから詳しくは知らないが。
気持ちは判る。が、同情はしない。
だが、彼を責める気も無い。
完璧な女王候補であることが自分の自己証明なのだとすれば、
この聖地で反発し続けることが彼の自己証明なのだろうから。

『戦いに勝つ』ということは、この場合『認められる』ということ。
正反対の価値観を持つ二人なのだ。
言葉を交わせば、傷つくかもしれない。傷つけるかもしれない。
戦うには少し、リスクが大きい。

そもそも、守護聖とは、女王とはなんだろう?
辞退することも許されず、全宇宙の為にその力を捧げる守護聖。
森羅万象、全てを等しく愛し、慈しみ、恋をすることも許されない女王。
いっそのこと、記憶も、感情も、全て無くしてくれたらいい。
そうすれば、少なくとも不幸を感じることはなくなる……

「…嫌だ、何を考えているのかしら、わたくしったら」

ロザリアは樹の上で激しく頭を振った。いつもそうだ。彼について考えていると、思考がおかしな方向へ向いてしまう。
そして、決まって憂鬱な気分になるのだ。

「もう帰りましょう」

と、彼女が樹を降りようとしたその時、聞き覚えのある声がした。

「あーもーうっせーなー!」

……彼の声だ。ロザリアは反射的に身を隠した。と言っても樹の上なので身体を縮こませただけであるが。

「ゼフェル、ルヴァ様はお前のことを心配してるんだ」

その後ろから聞こえてきたのは、彼とは犬猿の仲である風の守護聖の声。

「ねえ、ルヴァ様に謝りに行こうよ、ゼフェル」

そして、この二人の喧嘩を諌める役割を担う、緑の守護聖。

この三人の会話の構成は、大体いつも同じだ。
ランディの言葉にゼフェルが反発し、それにまたランディも反論して、二人の声が怒鳴り声に近くなってきた頃、マルセルが止めに入る。
そう、いつも同じ。
人間関係を変えたいなら、誰かが変わらなくては駄目だ。
誰も変わらなければ、その関係は永遠に続く。

「余計なお世話だぜ!おめーらうっとーしーんだよっ!」

そう吐き捨てて、ゼフェルは森の奥へと走り去って行った。

「あっゼフェル!!」

残された二人は、一人は憤慨した、もう一人は哀しそうな顔をしながら、それでも諦めたように森の出口へと向かって行く。

「あんな言い方しなくてもいいのにな」

「どうしていつも喧嘩になっちゃうんだろう…」

あの二人は傷ついただろうか。それとも、もう慣れっこであるのか。
人を傷つける言葉というのは、言われた方は勿論だが、余程冷徹な人間で無い限りは、言った方も結構しんどいものである。
少なくとも、自分はそうだ。
今でこそ大親友であるライバルのことも、つまらないプライドの為に何度傷つけただろう。
自己嫌悪に陥った夜だって、幾度と無くあった。
ゼフェルは今、どんな気持ちでいるのだろう。

話をしてみたい。こんな気持ちには何度かなったことがあるのだが、それはいつも実行にうつされなかった。
逃げていたのだ。彼と戦うことから。
だが今なら話が出来るかもしれない。それは、もう一人の女王候補に気持ちを伝えることが出来たあの夜の感覚に似ていた。
彼の気持ちの変わる確率が極めて少ない以上、自分が変わるしかない。
ロザリアは意を決し、樹の上から飛び降りた。
服に付いた木の皮や葉などを軽く払っていると、ふと、目が合った。

こちらを少し驚いたような顔で見ているのは

「きゃっ、ぜ、ゼフェル様」

いつの間に戻って来たのだろう。
ロザリアはらしくもなく、焦った。樹に登っていたことを見られた恥ずかしさでは無く、話をしようと思っていた人物が突然現れ、心の準備が出来ていなかったのである。

「樹の上から覗き見かよ。いい趣味してんな、お嬢様は」

「ま…!わたくしが先に樹の上で休んでいたら、あなた方がいらしたのですわ」

変な噂を立てられたら堪らない。大体の事は聞き流してきたが、これには彼女も反論した。

「あーそうかよ。そりゃ悪かったな」

ゼフェルは投げやりにそう言うと、その場を立ち去ろうとした。
今を逃せば、今度はいつこんな気持ちになるか判らない。ロザリアは大きく深呼吸する。

「ゼフェル様、貴方がわたくしをお嫌いならそれで構いませんわ。ですから、…わたくしと勝負しませんか?」

「……ああ?」

ゼフェルは振り返り、怪訝な顔をした。言っている意味が全く判らないといった表情だ。
ロザリアは強い力を込めた瞳で彼を見つめる。

「わたくし、きっとゼフェル様にとって非の打ち所の無いような人間になってみせますわ。ゼフェル様がわたくしを少しでも認めてくださればわたくしの勝ち。出来なければゼフェル様の勝ちですわ。期限は女王試験が終了するまで。いかがですか?」

ゼフェルは訝しげな顔をしたまま少し沈黙していたが、やがて表情を崩さず口を開いた。

「あ?んなことして何の得になるんだよ?大体、オレ一人に認められなくたって、別におめーにとっちゃ痛くも痒くもねーんだろーが」

「あら。ゼフェル様のような方に認めて頂くのが一番難しく、それ故に嬉しいんですのよ?」

これは本当だ。自分に嫌悪を抱いている彼に認められれば、それは光の守護聖や女王陛下に認められるのとはまた違った、大きな自信になるだろう。
ゼフェルは面食らったような顔になったが、すぐ普段の表情に戻り、少し彼女に歩み寄った。

「…ま、ちったあ面白そうだから付き合ってやるよ。言っとくけどオレは他のヤツらみてーに甘くないぜ」

「望むところですわ」

ロザリアは、そう言ってにっこりと笑った。



この戦いは今までのどんな勝負より、もしかしたら女王試験よりも難しく、辛いかもしれない。
だがきっと、その分楽しくもあるだろう。
大きなリスクを背負うからこそ、乗り越えて勝ち抜いてみせる。
戦うことこそが、自分の人生の定義なのだから。







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