「フラの歴史(3)」



”現代のフラ”

20世紀に入り、アメリカに併合されたハワイはハリウッド映画やハパハオレソングの影響も受け、また観光地として大いに発展 していく中で、観光の目玉としてフラは格好の商品として、パフォーマンスのみの観光フラとして登場し、ハワイのイメージとして 世界に知れ渡った。しかし、その中身は外観のみの質の低いフラで(ハパハオレフラとも呼ばれた)、本来のハワイアン文化を背景に したフラとは一線を画するものであった。

しかし、これらの影響を受け、裏に追いやられていたハワイ文化も、ネイティヴハワイアンの努力により、1960年代後半に入り活発化し 始め、第二次ハワイアンルネッサンスとして表にでたきた。
音楽的にもギターやウクレレの伴奏を伴う斬新なスタイルのサウンドの確立、ハワイ語の歌詞で原住民としてのアイデンティティを歌った ものや古いハワイ民謡を新しいアレンジで復活させたものなど、コンテンポラリーハワイアンミュージックとして人気を得ていった。

フラの世界でも、古代のフラの流れを受け継いだ「カヒコ」(Kahiko 古典フラ)に加え、ハワイ語による 「アウアナ」(Auana 現代フラ)が登場した。 1970年以降、各種コンテストが開催されるようになり、観光目当てだけでなく、フラ本来の芸術性や技能を競う場ができてきた。 その代表的なものが 「メリー・モナーク・フェスティバル」 で、毎年4月にハワイ島のヒロで開催され ている。

下の写真に本場ハワイのカヒコとアウアナの一例を示す。
(写真一葉:Hula Le'a誌より引用・加工)

カヒコ子供 カヒコ男
カヒコ・子供 カヒコ・男

アウアナ アウアナ
アウアナ・男 アウアナ・女

同時に、ハワイ系のみならず、ハワイの人々の中でフラに対する興味が高まっていき、Halau hula (ハーラウ= フラの教室)・Kumu Hula (クムフラ=フラの先生)の努力も相まってフラ人口が膨れあがった。カヒコに加えアウアナ人気に より、フラ全体として確立、大衆化していった。そして、ハワイ民族のアイデンティティとして踊り続けてきた。
なを、クムフラは単にフラの形やテクニックのみならず、その心、さらにはハワイの文化を教えることに注力している。 例えば、偉大なクムフラ 故 Maiki Aiu Lake (歌 Pua Lililehua のヒロイン)は 「Hawai'i is hula and hula is Hawai'i」 と語っている。

日本のフラは、元々、ハワイに於ける日系人の多さからくる親近感、昭和30年代のハワイ旅行ブームやハワイアン、フラの日本への 上陸で人気が出、心地よい音楽、ゆったりとした動き、南国の明るさ、美しいコスチューム等から若年から年配者まで広がった。
加えて、ここ1〜2年前からブームかと思われるようなフラ人気を呈しており、日本のフラ人口は、隠れフラを加えると20万人程度と 言われている。(内、男性は0.5%程度か?) とくに、我々の地元の湘南地区は盛んで、多くのハーラウがある。
なお日本では、フラは女性(ワヒネ=Wahine) の踊りのように思われているが、本場ハワイでは、男性 (カネ=Kane) や子供 (ケイキ=Keiki) の踊りも同列に盛んである。

(参考文献:Hula Le'a、ネコ・パブリッシング)