「あれ……?」
もう夜も遅い時間。
ほとんどの家の明かりが消えていることを確認したクラニアは、そんな時間に家を出ていた。
外は僅かな数の街灯が点々と照らしているだけだ。
そんな夜の街を歩いているクラニアが目指す場所は、海だ。
港へ続く坂を下る最中だった。
その道の先に見える船の前に、少女が1人立っている。
暗闇でハッキリとはわからないが、確かにそれは少女のようだった。
長い髪が海風に靡いているのを確認したクラニアは、駆け足で少女へ近付いていく。
少女の姿がハッキリと見て取れる位置まで近づいたクラニアは立ち止まり、少女をじっと見た。
白いワンピースを着ている。
髪はブラウン色に近いが金髪も混じっていて、その髪が風に遊ばれていた。
クラニアの気配に気づいたのか、少女が振り返る。
その姿を見て、クラニアは「ひっ」と言う声を上げた。
少女の白いワンピースは血で染まり、まだ乾いていないのか滴るように地面に落ちている。
とても柔らかそうな肌にも血は大量に付着し、その両手は真っ赤に染まっていた。
「お、お前っ……な、な、……う、あっ……」
「……魔物の血が、そんなに珍しいですか?」
青ざめた表情を浮かべるクラニアに対し、少女は穏やかな、しかしどこか冷静な声でそう問いかけた。
「ま、魔物……?魔物と戦ってたのか……?こんな時間に……?」
「はい。最近、この近くの山々から魔物の気配が強くしていたので……街にも降りてくるんですよ。」
「そ、そっか……そういえば、父さんがそんなこと言ってたっけ……ゴメン、驚いたりなんかしてさ。」
「こんな姿でこんな場所にいる私も悪いんです。不快な思いをさせ、申し訳ありませんでした。」
ぺこりと頭を下げる少女は、クラニアに不安を与えないようにとても柔らかな笑みを浮かべている。
これ以上気遣わせては悪いと思い、クラニアは一度深呼吸をしてから改めて少女を見た。
少女はワンピースと言う軽装のほか、何も持っていない。
きっと魔術に長けているのだろうと考え、クラニアは少女の隣に立って海を見る。
海は闇に包まれているせいで真っ暗だ。
何かが這い出してくるような気さえして、クラニアは身震いした。
「……夜の海は、やっぱ気持ちのいいものじゃないよな。」
「そうですね。でも、だったら何故ここに来たのですか?」
「今日はさ、1年で一番星が綺麗に見える日だって父さんが教えてくれたんだ。父さんは仕事で城に行っちゃってるけど……。」
「騎士団なんですね、貴方のお父さん。」
「うん。強いよ。魔術の扱いがとってもうまいし、精霊も召喚できて……憧れなんだ。」
遠くを見るような目で空を見上げ、クラニアは「綺麗だなぁ」と呟きを漏らした。
少女は血で真っ赤に染まった手を空に伸ばし、星を掴むような仕草を見せて微笑む。
クラニアは、そんな少女を横目に見ながらも夜空を見上げ続けた。
本当は妹も連れてくる予定だったが、母親に止められてしまったので仕方なく1人で出て来たのだ。
あまり遅くなっても怒られるかもしれないが、もう少しクラニアはこの少女と一緒にいたいと思った。
魔物の血で返り血が酷いというのに、不思議と少女の姿は惹かれるものがあった。
「……今日は、七夕と言うらしいです。」
「たな、ばた……?」
星を眺めていたクラニアに、少女は不意に言葉を漏らした。
その言葉に不思議な響きを覚えながらも、クラニアは問い返す。
「はい。この世界ではない世界では、今日は七夕と言って……このように、星が川のように見えるんです。」
「空間転移できるのか?すごいな、お前。そんな力持ってる人、ほとんど見たことない。」
「そうでしょうね。この世界は、魔術を使う人間は大勢いても……。」
そこまで言って、少女は言葉を詰まらせる。
まるで言ってはいけないことを言ってしまったような顔をしている少女に、クラニアは笑みを浮かべた。
「黙ってるよ、このこと。だからもっと、その……たな、ばた?そのこと、教えて。」
「わかりました。ところで、貴方には願い事はありますか?」
「願い?」
「はい。その世界では、七夕の日に短冊と言うものに願い事を書いて竹と言うものの葉に括ると、願い事が叶うそうです。
ちなみに、あの星の川はその世界では天の川と呼ばれているんですよ。」
「へぇ……いいな。なんだか綺麗じゃん、その話。」
ニコリと笑みを見せるクラニアに、少女も同じように笑みを返して微笑む。
それから天の川を見上げ、クラニアはそのまま目を閉じた。
何をしているのだろうかと首を傾げる少女に、クラニアは「願い事」と呟いて笑った。
「オレ達家族が、ずっとこれからも幸せでいられるように。父さんも母さんも……リノも、ずっとずっと笑っていられるようにって。」
「……素敵な願い事ですね。叶うといいですね、その願い。」
笑みを浮かべてそう言ってから、少女はクラニアに背を向けて歩き出した。
数歩歩き、クラニアから距離をとってから少女は振り返る。
「今日はありがとうございました。貴方とお話できたこと、よかったと思います。」
「オレも!なぁ、またいつになるかわからないけどここで会おうぜ!オレ、クラニア!父さんの名前はセイジ!名前忘れるなよ?!」
少女に聞こえるように大声で言い、クラニアは笑顔で手を振る。
クラニアからは、すでに少女の表情は伺えない。
けれども暗闇の中で、少女はクラニアと同じ笑顔を浮かべているだろうとクラニアは思っていた。
「……わかりました。覚えておきますね、クラニア。私は、ファラナと申します。それではまた……。」
少女の姿が闇に消えていく。
足音が数歩分しか聞こえないことを考えると、空間転移したのだろうとクラニアは考えた。
それからクラニアもそろそろ帰らなければならないことを思い出し、もう一度空を見上げてから歩き出した。
ファラナと言う名前に、聞き覚えがあるような疑問を抱きながら……。
「は?お前、昨日本当に星見に行ったのか?」
「うん。それでさ、港のところでファラナって女の子と会って、七夕って言うの教えてもらったんだ。」
朝になってから帰ってきたセイジに、クラニアはそう言って話した。
ファラナと言う名前に反応を示したセイジに、クラニアは「やっぱり」と呟きを漏らす。
「聞き覚えある名前だなって思ってたけど、やっぱり父さんの知り合い?」
「あ、あぁ……でもファラナがなんで……」
「魔物退治してたらしいよ。全身返り血浴びて真っ赤だったし、何したか知らないけど……両手が真っ赤だった。」
「……そっか。クラニア、話してくれてありがとうな。あとで確認できるようなことがあったら確認してみるよ。」
セイジの言葉に満足したのか、クラニアは自室に戻っていく。
その姿を目で追いながら、セイジは腕を組んで考えた。
ファラナがクラニアに会った。
何かの間違いかもしれないが、クラニアが嘘をついてファラナの名前を出すとは思えない。
きっと本当にファラナに会ったのだろう。
だが、なら何故顔を出してくれることもしなかったのか。
そもそもファラナが魔物退治なんかするはずがない。
本当に魔物退治を行っていたとしても、ファラナが返り血を浴びるなんてことは考えられない。
一体昨日、ファラナは何をしてクラニアと接触したのだろう。
しばらく考えていたが、結局答えは出なかった。
それは、世界が終わりのカウントダウンを数え始める前の日のことだった。