※注意! この先は「ルナティック・ムーン」5巻以降の話なので、多大なネタバレが含まれております!

というかそもそもルナティックムーンを全て読んでいる人じゃないと話の意味が全くわからないと思います。

ここは一つルナティックムーンをこの機会に全部揃えてみるというのも手ですよ……!

 


ルナティック・ムーン外伝

『少年と月』※冒頭部分のみバージョン


 最初に思いだしたのは、自分が最後に叫んだ言葉だった。

『ぶち壊れろよ!  全部、全部、全部!!』


 ――ああ、みっともないものを思いだしてしまったな。
 少年はなんとなくそう思ったが、思うだけで、まだ完全に意識は覚醒していない。
 ゆらゆらと、ゆらゆらと。

 重力すら感じられない空間の中で、少年はまず、自分が本当に存在しているのかどうかを疑った。
 だが、その推測を行うには、情報が余りに不足している。
 思い出さなければ。
 何かを。
 何かを思い出さなければ。
 上下の感覚も光の有無すらも曖昧な『世界』の中で――
 少年は薄気味の悪い焦燥感に駆られ、ただ思い出す。
 全てを、全てを――。

 まず思い出されるのは、自分がそれまで所属していた『世界』。
 
        『過学』        イキガネ

      バベル       ヒトとケモノ

              『エデン』

          七体の稀存種

 キャロル・ユルングルス     フルブルー

      メインシー         エンダ・カーラ

 様々な単語が意識の中に渦巻いては消えていく。
 荒んだ光景。
 歪んだ光景。
 あらゆる場所で血と肉が露出し、その赤色すらも覆い尽くす圧倒的な灰色が渦巻いている。
 自分が所属していたのがそんな世界だった事を思いだし――同時に少年は、自分がその世界からも隔離された存在だという事を思い出す。

 トマズ・ハニヴァー。
 それが少年の名前だった。
 若干11歳でありながら、『バベル』の統括経営部長を勤める存在。
 稀存種の研究の一環として、情報処理に特化した個体として生み出された実験体。
 稀存種の一体であるエンダ・カーラ。彼の体細胞を恣意的に一つ卵細胞と変異させ、バベルの擬似的な主であるキャロル・ユルングルスの精細胞を体外受精させて生み出した存在こそが――トマズという少年の全てであり、それ以上でも以下でもなかった。
 彼は実に優秀な経営部長として、バベルの運営を支える要であり……
 同時に、裏切り者でもあった。
 7体の稀存種を惑星の裁定者として融合させ、キャロルの生み出した『ルール』を加え、歪んだ世界を一から作り直す。
 どのようにして世界が歪んだのか、あるいはその計画にまつわる様々な人間や組織の思惑と顛末を、トマズは、あえて思い出そうとしなかった。
 世界を滅ぼす事にした自分には、全く関係の無い事だったからだ。

 自分の存在に悲観していた少年は、彼の住まう大陸を巻き添えにした、世界一壮大な自殺を企んでおり――
 ――僕は……成功した筈じゃあなかったのか……?
 『バベル』の各所に設置した炸裂金属。
 連鎖的に大陸を滅ぼす、赤銅色の花火を作動させるスイッチを押し――
 
 気がついたら、ここにいた。

 ――どういう……ことだ?
 ――死んだ……のか?
 ――それとも……これから……死ぬのか?
 混乱しているのか、妙な事を考えながら――少年は、ただ恐怖した。
 死。
 それを感じる自分が存在している事に。
 少年は、どう足掻いた所で死すべき運命だったのだ。
 四方からの圧力に蹂躙され、痛みを感じる間も無く体の神経という神経を焼き飛ばされ――いや、そんな感覚を味わう暇すら無く、この世から完全に消え去る筈だった少年。
 彼が仮に生き残った所で、自らに迫る『死』を感じる時間が増えるだけの事だった。
 死の恐怖は死そのものにあるわけではなく、その過程にこそ色濃く存在する。
 それを理解しているからこそ――少年は、現在の状況が怖かった。
 自分が生きているのか死んでいるのかすらも解らない現在の状況が。
 死後の世界の存在については、否定も肯定もしていない。思考すること自体が無駄だと斬り捨てていたからだ。
 だが、この状態はそうした理解を超えている。
 ――いや、待てよ……。
 一つ、心当たりがある。
 意識が覚醒するにつれて、一つだけこの自体について推測できる事があった。
 そして、その推測を裏付けるように――
 頭の中に、声が響く。
『なんだ、君か』
 体の外と内側から、あるいは周囲の空間が全て震えているように、その声はありとあらゆる方向から聞こえて来た。
 それは心底不思議そうな声で――僅かに不機嫌そうな色も感じられる。
『トマズ・ハニヴァー。何故お前がここにいる?』
 声には覚えがあった。 
 キャロル・ユルングルス。
 生物学的には、自分の父親に当たる男であり――
 世界の崩壊を望む程に大きな少年の憎悪。その半分が向けられている存在でもあった。
 トマズは思わず歯を噛みしめるが、歯と歯が当たる感覚すらも掴めない。
 声をあげる事も出来ずに、ただ意識だけで藻掻いている少年に――『父親』の声が容赦なく、それでいて淡々と浴びせかけられる。
『完全な粒体であるなら、エンダの一部として彼と同化してもよさそうだが……どうやら、別物であるとこの「世界」に判断されたようだな』
 ――……。
 そして、少年は確信する。
 ここは、『伽藍』のシステムだ。そうした名前で呼ばれる装置の内部ではなく――それがもたらした『結果』の内部だ。
 7体の稀存種とキャロルの『ルール』を融合させ、――ひいては世界全てを巻き込む空間。
 擬似的でありながら、紛う方なき本物でもある一つの『世界』。
 破壊と再生ではなく、崩壊と創世を目的としたシステム。キャロルという男の歪んだ信念をそのまま形にしたものの中に――今、自分が取込まれている。
 ――そんな。
 ――炸裂金属は……作動させた筈なのに……。
『ほう……トマズ・ハニヴァー。やはり君が裏切り者だったのか。まあ、そんな事だろうと思っていたし、もはやどうでもいい事だが』
 実の息子を、自らの姓と無縁なフルネームで呼ぶキャロル。
 彼は何事も無かったかのようにトマズの思考を受け取り、
 『ふむ。どうせ私の自我ももうすぐ消え去るが、それでも、敢えて私の感情を伝えよう』
 ――こいつが……感情だと?
 ――馬鹿馬鹿しい。一体なにを――
 生物学的には父親という事になるこの男だが、当然ながら今まで父親として接してきた事は無い。だからこそ、今更感情を伝えるなどとは一体どういう茶番のつもりなのだ。
 そうしたトマズの思考を遮るように――
 キャロルの声は、親子などとは全く無関係の感情を紡ぎ出す。
『場違いだ』
 ――……っ!
『今から生まれる新しい神に感謝するといい。だが、トマズ・ハニヴァー。君にできるのはそれだけだ。君には惑星の裁定者たる資格も力も無いし、その必要も無い』
 感情を露わにすると言った割には、冷静極まりない声がトマズの脳髄に響き続ける。
『君はただ、賞賛しているといい。創世される世界を。「外」から眺めて、羨み、憧れ、そして感謝するといい。それぐらいの事ならば君にも許されるだろう。ヒトでもケモノでもない、ただの作り物である君にも』
 ――やめろ……。やめろ……!
 トマズの意識が悲鳴を上げるが、キャロルの声は止まらない。
『さて……私は最後の邪魔物であるシオンという少女を排除しなくてはならない。経営部長として今まで御苦労だったと言いたいところだが、裏切りの件もあるからプラスマイナスゼロと言ったところか』
 ――殺して……殺してやる……!
『君には無理だ。私はもうすぐ消えるからな。さて、もう失せるといい。お互いのためにな』
 ――……ッ!

『さようなら、トマズ・ハニヴァー。良い終末を過ごしたまえ』


 そして、少年は目を覚ます。
 目を開くと、そこには幾分明るくなったように思える灰色の空があり、そこから絹糸を思わせる雨が降り注いでいた。
 濡れた体に明確な重力が働いている事を確認し、トマズは静かに身を起こす。
 どうやらここは『エデン』の外部のようであり、自分がここにいるという事が、先刻の『会話』が夢ではないという事を示していた。
 眼前には、何故か歪にねじ曲がったまま活動を停止している『バベル』の姿があったが――少年の目には移らない。
 トマズの中にあるのは、ただ、純粋な憎悪。
 世界を道連れにするという『悪意』すらも吹き飛ばす、純粋な憎悪だけが少年の心を支配していた。
 声にならない叫びを上げた所までは、記憶している。
 最後にキャロルがあげていた名前が、彼と敵対する『ウェポン』の名前だと思いだし――今度は、声に出して叫ぶ。
「僕は……邪魔者ですら無かったってことかよ……キャロル……キャロル・ユルングルス……ッ!」


 どれぐらいの時が経ったのだろうか。
 少年は雨の中をユラリと立ち上がり、改めて歪んだ塔を睨め上げる。
「……失敗……しやがったのか?」
 何が起こったのかは解らないが、どうやらキャロルの目論み通りにはならなかったらしい。だが、決して自分の目論み通りというわけでもなく、その間を取った形であるかのように――
 塔はただ、死んだまま聳え続けていた。
 ――これじゃあ、ざまあみろっていう言葉も出ない。
 そう考えたところで、唐突な虚無感に襲われる。
 少年は、こんどこそ自分が生きている理由が本当になくなった事に気づいたからだ。
 ――……
 ――キャロルは……キャロルはどうなったんだ?
 ――死んだのか?
 少なくとも、それを確認してからでも遅くはないだろう。
 もしも生きていたら、今度こそあいつの全てを破滅させてやろう。
 ――そしたら、少しは満足できるのか?
 自問自答を繰り返すが、分析能力に長けた生命体である少年をもってしても、結局その答えが導き出される事はなかった。
 代わりに、彼は自分自身に対して一つの推測を導き出す。
 それを何度か確かめた後に、少年は自嘲気味に笑って塔へと向かって歩み出す。
「あと……15ヶ月ってとこかな」
 自分自身の寿命という、極めて私的な問題の答えを呟きながら。

                 †

数時間後

 それは、奇妙な光景だった。
 部屋全体が微妙にねじ曲がった管制室の中で、一人の男が自らの喉にナイフをあてがっている。
 目の前には、足下に血溜まりを造ったまま、ピクリとも動かない女が一人。
 外交部長専用の椅子に座っている姿は威厳を感じさせるが、絶命しているであろうことは想像に難くない。
 その凛とした死体の前に立つ男は、どこかうっとりとした微笑みを浮かべ、思う。
 ――ああ、やはりメインシー様は美しい。
 ――死体となっても、想像通りに美しい。
 ――このバベルを墓標として弔って差し上げたいが、私程度の人間が許可も無くメインシー様の肌に、服に、髪に、血に触れる事などできようか!? いや、できない! 私にはできない!
 メインシーと呼んだ女の死体を前に、男はただ恍惚とした表情を浮かべて顔を上げる。
 ――ああ、ああ。
 ――私に出来る事はただ、命令を遂行する事だけです。
 奇妙な事を脳内で呟きながら、男は喉元に当てたナイフに力を入れようとしたのだが――
「……。メインシー様に死んだ後まで仕事をさせてはいけないな」
 管制室の中で光り続けるモニター画像が気になり、そのスイッチを切ろうと喉にナイフをあてがったまま歩み出す。
 ナイフを宛てたままなのは、メインシーの指令を一秒たりとも『中断』してはならないからだと意識していたからだ。
 彼は『バベル』外交部の中でも腕利きのメンバーであり、部長であるメインシーの腹心と呼ばれていた一人だ。数時間前、血を滴らせるメインシーから『経営部長の部屋の周囲に炸裂金属をしかけて、奴をミンチにしろ。そして、その後は自殺しろ』と命じられた。
 美しく血を引き摺り歩く上司の姿を見て、彼は恭しく一礼して事に当たった。
 もう一人の同僚は、その爆発に巻き込まれて生死不明だ。
 ある意味で爆破と自殺を同時にこなした効率のいい奴だったと羨みながら、男は静かにモニターのスイッチを切っていく。何故か塔全体が急に歪み、テロリストによるシステムダウンも相まって殆どの機能は停止していたが、管制室の電力系統は自家発電に切り替わるようになっているので、奇跡的にモニターだけは生きていたようだ。
 ――もはやメインシー様が死んだ以上、この塔の治安を護る必要も無い。
 そう考えながら、男は塔の正面付近を移しているモニターを眺め、そこで不意に動きを止める。
「……?」
 画面の中で、何か小さい陰が蠢いている。
 どうやら塔から出る所のようで、逃げ遅れていた避難民かテロリストの生き残りかと思って目を凝らし――
 そこで、男は全身を凍らせた。


 モニターの中に、吹き飛ばした筈の存在が、
 トマズ・ハニヴァーが、無傷に近い状態で歩いている姿を見つけたからだ。


「……おぉ……おぉぉぁぁぁあぁあああああああああぁぁぁ」
 ――なんという、なんという事だ。
 ――何故だ、何故生きている?
 ――ダメだ、仕事をやり残してはダメだ。
 ――これでは、私はメインシー様と同じ所に行けない。
 ――同じ虚無に、辿り着けない。
 彼は、死の後には安息も苦しみも何も存在しない事を信じていた。
 天国も地獄も全て妄想であり、人間が死後に辿り着くのはやはり虚無なのだと確信している。
 だが、それでも彼は思う。
 虚無にも、差があるのだと。
 差を生み出すのは『過程』であり、何も無い筈の虚無に対して誇りを持てるか否か。
 ――メインシー様の命令を遂行せねば。
 ――あいつを、爆薬で粉々にしなければ。
 何故メインシーが死にかけており、何故あの経営部長を粉微塵にしろと彼女が命令し、そして、何故その為の炸裂金属がこの『バベル』の各所に仕掛けられていたのか――そんなことは、彼にとってもどうでもいい事だった。
 メインシーが命令した。『遂行し、自殺しろ』と。
 それだけで十分だった。他に何も要らない。

 男は喉に当てていたナイフを下ろし、己の太股に突き刺した。
「……!」
 グズリとナイフを抜き、同じ場所にもう一度突き立てる。
「あぁ……ぁぁぁぁああっぁぁぁっぁぁぁぁぁぁがかかがががが……っ……」
 抜いて、突き刺す。
「申し訳ございませんッ!」
 抜いて、突き刺す。
「申し訳ございませんッッ!」
 抜いて、突き刺す。
「申し訳ございませんッッッ、メインシー様ぁあぁぁっぁぁぁぁぁぁ!」
 抜いては刺し、抜いては刺し――
 太股が真っ赤になったあたりで、男はピタリと絶叫を止め、メインシーの死体に向かって恭しく一礼する。
「……それでは、行って参ります、メインシー部長」
 そして、極めて冷静な表情のまま、外に向かって歩き出した。
 手にはナイフを持ち、足は片方引きずりながらも――
 男の足取りに迷いは無く、ただ一つの目的だけを持って扉を開く。
 生きる目的など欠片も無く、
 ただ、ただ『満足する虚無を得る』という矛盾した願いのために――
 男は、死神となった。

 モニターに映しだされていた少年を肉片にするという、ただそれだけの目的を持った歪で哀れな死神に。

               †

 こうして、トマズは奇しくも二つの死に追われる事となった。
 自分に定められた寿命と、自分の撒いた種。
 迫り来る暴力的な死の存在を今だ知らず――
 少年はただ、歩み続ける事しかできなかった。

                                                ――本編に続く


       迫る寿命

追いすがる狂信者

   父親の影

                           時限的な復讐劇

笑う少女

笑う少女

笑う少女


「ああ、この娘……アイコは、フルブルーだったんだけれどねえ」

「何があったのか知らないけれど、砂漠で一人だけ生き残ったらしくて……」

「この子のお兄さんが見つけた時には、狂ったように笑ってたって……」

「それ以来、壊れたまんまでねえ」

ケモノ達の繭の残骸

生まれ出るモノ

交差する生と、迫る二つの『死』の上で、少年が選んだ選択とは――

果たして、少年は自分の『死ぬべき場所』に辿り着けるのか――

 

ルナティックムーン外伝『少年と月』

 2007年4月31日発売希望!(無理)

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