これからの老人医療(一開業医の立場から)
(目的は満足な老後生活と死。目標はティーム造り)

1)ティーム医療ということ。(ティームの説明)

これからの医療はティームを如何に造ってゆくかが肝腎と思います。
一昔前の医療は施療と言う概念であったと思います。医者がいて、
患者さんに医療を施す。そのために看護婦さんがいて、それを取り
巻くシステムが構成されていました。その後やはりティーム医療と
言うことが提唱されてきました。これはまだ医療提供側に主体が
ありまして、医者、看護婦、ケースワーカー、薬剤師、等の
医療スタッフがティームを組んで患者さんの治療に当たると言う
ものでした。しかしこれからはもう一歩進めて、患者さんが中心と
なり、それを取り巻く御家族、かかりつけの医師、訪問の看護婦
さん、行政のサービス、老人介護の施設、老人保健施設、病院などが
患者さんを中心に、その時その時の必要性に応じて、一番効率的な
一つのティームを形成してゆく事が大切なのではないかと考えます。
どういうティームをどのように形成してゆくかは患者さんを中心と
して、御家族とともに造り上げてゆかれることになります。
この時にアドバイザーになれるのが、かかりつけの医師の役割に
なろうかと思います。
皆さんが、御自分の好みと、必要性に従って、自分のティームを
造って行くわけなんです。これは一朝一夕にはできません。日頃から
心がけて造り、育てておかなければならないと考えます。
例えば、野球やサッカーのティームをつくるように考えて下さい。

2)より良いティームを造るために。

では、どのようにして皆さんが御自分のティームを造ってゆけば
よいのでしょうか?
先ず、老後を見据えた自分のための医療・介護のティームなんです
から、やっぱり医師は必要と思います。
何でも聞けて、ウマの合うかかりつけの医師をお持ちでしょうか?
そして、これからはなんと言っても行政のサービスが欠かせません。
お風呂のサービス、介護の用具の貸し出し。施設利用の斡旋など。
そして、訪問看護ステーションとその看護婦さん。ボランティアの
方々、老人ホーム、介護施設、病院などなど、必要に応じて組み
込んで、造り上げてゆくわけです。御家族と相談し、専門の
スタッフの助言を参考にして、自分のティームを練り上げて
ゆくんです。そして、その中で自分の老後を不自由ながらも
悠々と過ごしてゆかれたらよいのではないかと考えています。

3)老人医療は始まったばかりです。

昔の医学的知識の当てはめの段階。確かにそこから始まるのです。
高血圧症、高脂血症、糖尿病などは計測値の異常として初めて
捉えられるのです。もう少し昔は糖尿病の人を汲み取り屋さんが
見つけた等と聞きましたが、今はトイレも殆どが水洗になり
まして、たまたま検診で、献血で、あるいはたまたま医者に
行ったとき検査をして判る者が殆どだと思います。

4)お年寄りの医療を考えるに当たって

疾病を計測値の異常、
正常からの隔たりと考えてしまい、
計測値の異常に対して、正常値へ戻すという試みは果たして
100%正しいのでしょうか。

そのためには、服薬、食事、運動、その他の生活習慣の修正が
必要になってきます。これは一方的に強いられてもなかなか
難しい。既に長命であるという事。どこまで正常値に近ずけるか
ということ、生活習慣を否定されることがかえって強いストレス
を与えてしまうのではないかと心配です。
そこにお互いのティームとしての協調と協力が不可欠です。
世に言うインフォームドコンセントの必要性でもあります。
リビングウィルも必要になってくるでしょう。

「話しかけても返事もしない。痴呆が始まったんでしょうか」
ある高齢者の御家族のお話です。実は、良く聞いてみますと、
患者さんは糖尿病の治療中でして、治療薬による血糖値の下げすぎ
がありまして、血糖降下剤を減量するだけで全く正常にもどった
方もおられました。壮年者と同じように処方すると御老人では
血糖値が下がりすぎることがママあります。複数の疾患を抱えた、
慢性病を抱えた御高齢の方々に一般の成人と同じ医療をするのは
違うと思われます。

治療に生活を合わせるのでなく、高齢者の生活に治療を合わせる
やり方が必要でしょう。

5)答えはこれから出してゆくんです。
みんなで、ティームで考えて銘々の答えを出してゆき、その
総和がコンセンサスを形成してゆくものと考えています。

6)検診を利用して下さい。医者と知り合うために。
かかりつけの医師を持っている方は?ウマが合いますか?
良いティームを造っていますか?
最近目にした気になるデーターがあります。
新聞の記事でしたが首都圏、大都市圏における司法解剖例の上昇。

東京都監察医務院は1948年に開院した、日本で2つしかない
監察専門の施設です。死体解剖法に基づき東京都23区内で
発生した急病死等の死因を明らかにするために、死体の検案と
行政解剖を行っており、検案の件数は年間8800件に上ります。
検案の対象となる死亡例で最も多いのは病死です。自殺や事故死
はここ数年横這いなのに、病死だけが増加の一途を辿っています。

様々な理由が考えられます。老人人口の増加。一人暮らしの
御老人の増加。最後の時を迎えるに当たってティームが機能して
いないのかな?と、気になります。かかりつけの医者が
看取っていれば死亡診断書が出せるはずです。診察していない方の
死亡診断書は書けません。死後、警察のやっかいになるのは
如何なものでしょう?気にしなければそれまでですが。

7)検診について、検診における失敗例:大腸癌(岡山のおばあちゃん)

8)意外と多い誤診率。
誤診を防ぐために。やたらに検査をすれば
防げるとは限りません。御家族、日頃その人を看ている人の
見立てが最重要だと考えます。例、脳血管障害3例。
左足の麻痺が出たおばあちゃん
ワレンベルグ症候群のおじいちゃん2名・・北里へ

ペットボトル症候群
秋に検診を受けたおばあちゃん

9)誤診を防ぐために

(2)。普段から観察していることはやはり

誤診を防いでくれるものと思います。
しかし、往診には充分注意、親しくなりすぎも要注意です。

例、訳の分からない尿閉。全身状態の悪化、血尿

肺水腫。
以前骨折あり。95歳のおばあちゃん
親しくなりすぎ、風邪が流行ると来院せず。
往診しても世間話。検査をいやがりついつい2年
そのうち突然貧血。ふたを開けたら回盲部腫瘍。
手術で助かり、今98歳になります。

普段から診ていて判った。・・・最近の骨折3例
大腿骨頸部骨折2例。胸椎圧迫骨折1例
いずれもおばあちゃんです。
以前の骨折、栄養障害のおばあちゃん。
最近の発作性不整脈のおじいちゃん。

10)そんな訳で、良医を造るのもやはりティームであります。
みんなで造り上げてゆくものなんです。

次に多少病気についてですが、お話ししますと、

私の所では

御老人の病気急性のものとしては(外傷も入れますが)

1)炎症性疾患。風邪から咽頭炎、肺炎、
膀胱炎から腎盂腎炎まで。
2)脳血管障害、特に脳梗塞。
3)悪性腫瘍、癌。
4)骨折(大腿骨頸部、手、胸椎圧迫骨折)。
5)不整脈
6)心不全

などが、突然のお呼びに際して頭をかすめます。

普段より管理しているものとしては、慢性疾患ですが、
高血圧症、高脂血症、糖尿病、狭心症、不整脈、貧血、胃潰瘍、
脳血管障害後遺症、腰痛症、膝関節症、骨粗鬆症。等があります。
前立腺肥大も増えてきています。パーキンソン症候群、
小脳変性症もでてきています。御老人の鬱病、不眠症、
軽度の抑鬱状態はとても良く目にしますが、これらは軽い薬物
療法でとても良くなって下さいます。そして難しいのが、
老人性痴呆ですね。

これから問題になってゆくのは
痴呆性老人
身体不自由な御老人でしょう。
この方達は日常生活に支障を来していて介護が必要です。
これは医療だけではすみません。医者は殆ど無力です。
その際援助はどうしたらよいのか、これも今後答えを求めて
ゆく問題ですが、このために良きティームを造っておかなければ
ならないのです。私どもの所では助太刀の心得ということで
やっています。あくまで主体は御本人ということです。

例えばですね、
そこでは、たとえそのことを忘れていても、本人にとっては
全く初めてであるという事です。さっき話していた話でも、
御本人が初めてはなしていると認識しているならば初めてなんです。
常識の強要はだめ。自分の心を満足させる為の強要はダメ。
私の友人のお父さんが老人性の痴呆になられました。
ある日突然行方が解らなくなりました。捜索願も出したのですが
行方はヨウとして解りませんでした。約3ヶ月後に横浜市で
無縁仏となっているのが解りました。交通事故に遭われたそうです。

私どもでは「やや危ないな」と思う患者さんには御家族に名札を
どこかに付けておく事をおすすめします。住所と電話番号だけでも
いいんです。人は親切です。必ず通知してくれます。あとは
適当に様子を見ていて下さい。ある患者さんは朝家を出て、
新潟の家へ帰るんだとタクシーをつかまえました。運転手さんが
気を利かして、一回りしてつれて帰ってくれました。

そして、とうとう御本人が主体を失ってしまわれたら・・・・。
考えるだに恐ろしいことですがこれは御家族、地域社会での介護は
超困難であります。これは専門の施設利用ということになるのでは
ないでしょうか。でも、これも避けて通れる道でなく、今や、
どんどん増えてゆきつつある現実の問題です。
お役所任せでなく、人任せでなく、銘々が御自分のティームを
造って対処してゆかなければならない大問題じゃないでしょうか。


予防のために日頃から(独断と偏見の私観です。)
全ての道は老化に通じる。また、老化は一日にしてならず。
日頃から、主体性を持った独立した生活。(二つのI)

Independent Indivisual

地域、社会との連携のある生活。

物事に興味を持って、探求し、愛する生活。

老年期まで身体が動かなくなるまでやれる運動を
生活の一部にしておく。

できれば夫婦仲良く、友人のいる生活。
日々是好日。心楽しい生活。

自分流のライフスタイルを持てると良いですね。

上手な隠居生活とは、あるがまま、現状を肯定し、等身大を保つ
こと。 自他共に、 ないものを求めない。
常に活動していること。

人生最後の時を迎えるために、最後までめいっぱい生きること

ではないかな?などと私にはよく解りませんが、考えています。

最近私のおじさんが亡くなりました。見事な最後でした。
私のうちでは、両親が医者です。私が初めて身内の死に出会ったのは
小学校の頃でしょうか、私の母方の曾祖父が亡くなりました。

祖父と祖母が、当時となりに一人暮らしをしていました、曾祖父を
看ていました。私も幼い頃、曾祖父にタケノコやおかずを運んだ
記憶があります。老後は身の回りもやや不自由で、多少傷んだ御飯
なども食べていました。最後の3ヶ月ほどは枕元のお酒を毎日
少しずつ舐めるようにして飲んでいたとのことです。つやつやした、
とてもきれいな死に顔だったと記憶しています。

次は、私の父方の祖父でした。私が中学の時です。脳出血で
意識不明になりました。父も父の兄弟も皆医者だったので、
みんなが集まって交代で看病していたのを覚えています。
意識がなく、舌根が沈下して、気道を塞ぐのをみんなが割り箸で
挟んで持ち上げ、気道を確保していたのを鮮明に覚えています。

この時は持ち直して、なお5年ほど存命であったのですが、
片麻痺が残り、言語障害が残り、町を、雨の中を一人でさまよって
誰かにつれてきてもらったなど聴きました。亡くなったときは
私は受験勉強中で四国へは行けませんでした。

そして、私の父の姉です。帝国女子医専出の偉い先生で、
私の父や父の兄貴など、学生時代には偉く世話になったようです。
その姉が、私がまだ大学の学部の3年の時でした。突然左足に
象皮病のような浮腫みをきたしました。これは比較的早期に治った
のですが、その時、外科の医者だった父はお姉さんの左頸部、
鎖骨上かにウィルヒョウのリンパ節腫脹を認めました。
これはいけません。胃癌です。しかもスキルス、最もたちの悪い
やつです。早速慈恵医大の外科で父の同級生でもある鈴木教授の執刀
で手術をしました。父も私も立ち会いましたが、既に癌は胃内面を
リング状に取り巻き、リンパ節への転移も観られました。切っても
助けられません。しかし切らなければ早晩通過障害が必発して
いました。叔母はその後暫く小康状態がありましたが、2年後
再発しまして、私の家で半年ほどの看病の後モルヒネの注射とともに
亡くなりました。随分痛がり、苦しがったのを覚えています。

次は、私のカミサンのお母さんでした。結婚後、1年で上の娘が
生まれ、可愛い初孫に恵まれたとたんでした。ある夜突然の腹痛で
近所の救急病院へ緊急入院をしました。急性盲腸炎とのことで
緊急手術を受けましたが、傷のあがりがはかばかしくなく心配し
ました。それもやっと癒えたと思ったら、右の下腹部の腫脹と
不快感です。婦人科を受診のため、慈恵医大の第3病院へ、次に
外科へ回って結局はクルーケンベルグの卵巣腫瘍と判明。
いけません。胃癌です。それも遠隔転移。助けられません。
でも手術しました。開けたら腹腔内播種です。
それからの3ヶ月は大変でした。兄弟みんなが必死で看病しました。
私は新米医者で殆どお役に立てませんでした。情けない思いをした
ことをしっかり覚えています。義母は大学病院で息を引き取り
ました。

そして私の母方の祖父です。祖父は以前から狭心症を長く患って
いました。母の処方でペルサンチンと言う薬を長く服用して
いました。私が四国の病院に単身赴任していたときのことです。
よく田舎に帰っていましたが、その少し前に仰向けに転倒した
とのことでした。以来頸部に凝りを覚えると言っていました。
頸部のリンパ節にいくつか腫脹が診られたので、一度慈恵医大で
検査切除をしました。チーズ様変性とのことで、悪性変化は観られず
もしかしたら古い結核かな?とのことで経過観察をしていました。
その後暫くはおとなしくしていたのですが、リンパ節の腫脹が
その数と大きさともに増えてきまして、急に炎症性に爆発的に
発赤腫脹しました。ただならぬ気配に大学に再度連絡を取り
検査および治療のため入院しました。開けてみたら悪性リンパ腫。
入院治療4ヶ月目に、当時オンコビンと言う抗腫瘍剤にて
治療していましたが、多分その副作用と思われる肺機能不全と
そのための血液酸素分圧の急激な低下による全身状態の悪化、
人工呼吸器に繋ぎ代える間に起きてしまった低酸素状態によって
引き起こされた左の小脳出血、為に左側の全麻痺により3日後に
亡くなりました。病理解剖にも立ち会っていますので確かです。

そして次は、父方の祖母です。これは殆ど父が看ました。
私は開業し、父が四国へ行っていました。父と叔父とで看取り
ました。最後に「もう良いよ」と言って、食事も点滴も拒否して
受け付けなかったと聞いています。

そしてそれから、母方の祖母の番です。祖母は祖父が亡くなった
頃から足が不自由になりました。この頃には既に寝たきりになって
いました。父と母でこの後おおかた5年間、大変な日々が続いた
ようです。ありとあらゆる人的、公的、医療的、金銭的、な介護
をしました。人に来てもらい、時には入院もし、初めてできた
老人施設にも入りました。結局は父と母が看ましたが、介護用
ベット、車椅子、移動用お風呂、冷暖房などなど全て揃えましたが、
母はとうとう腰痛にやられ、脊椎は変形し、惨憺たるものでした。
でも最後に祖母は、「ありがとう、ありがとう」と言って
亡くなったそうです。

私が両親を看るのはまだ少し先のようです。だから実感は
今一つです。その時は、カミサンも大変だと思います。
仕事柄多くの死を看取ってきました。何枚の死亡診断を書いた
ことでしょう。たくさんの思い出があります。これはきりがあり
ませんのでやめます。

私の友人で人生の先輩、御夫婦ともに御両親を見納められた方が
います。佐江衆一さんと言うんですが、それを小説に書き
ましたら、これが大当たり。「黄落」という題ですが、大変売れ
まして、ドゥ・マゴ賞を取られ、最近テレビドラマにもなりました。
彼が、年老いた御両親を看取りまして、平成9年3月2日、
日経新聞に投稿しています。引用させてもらいますが、
曰く。いかに長生きしても、最期はあっけないものだ。しかし、
施設や病院では延命医療をほどこされ、ことにボケて自己の意志が
ほとんどなくなった場合、どうなるだろう。これまた誰もが
我が事として考えていることである。

私も妻も介護の苦労は子供達には金輪際させまいと思っていて、
このこととは矛盾するかもしれないが、自分の老いと死を我が子に
如実に知らせたいし、畳の上で自然な死を迎えたい。そこで、
死が近づいたら最期の一週間か二週間は自宅で介護してほしいと
いまから頼んでいる。老いて枯れ木が朽ちるような自然な死は、
一人ではできず、家族と医師の協力が必要なのである。

さあ、皆さんはどのようなティームをつくりますか?

最後に藤沢市医師会の宣伝をします。私は父の跡を継いで
藤沢市に開業して15年になります。父の代より数えると46年
になろうかと思います。昨年度まで2年間医師会の理事をさせて
いただきました。そのお陰で、多くの先生方とも知り合えました。
医師会が何をやっているのかも少し判ってきました。
現在340人余の会員を擁する団体です。
現在の金子会長をはじめとして素晴らしい会員の先生方に囲まれ
ています。

これからの計画としては、医師会立の訪問看護センターを
造ってゆくこと、藤沢北部に大きな老人介護センターを造ること、
各開業医、病院、医師会、をネットワークで結んで、往診先からでも
コンピューターで簡単にアクセスして必要な情報等のやりとりが
できるように整備してゆくこと。など来るべき高齢化社会を
睨んでのネットワーク造りが是非とも必要と考えています。

個々の力を最大限に効率よく働かせるにはオープンなネットワーク
が欠かせません。医療という守秘義務の大切な分野で、なんとか
これを確立してゆくことが求められています。
いろいろ大変なことだと思います。皆さんとともに、
良いティームを造ってゆきたいものです。
よろしくお願いします。