オレは、一体誰に殺されるのだろう?

狂気の国
−序章−


半屋の瞳が赤い。
その人間の物とは思えない色の瞳からは、禍々しい感情が溢れ出していた。
こんな日が、再び訪れるとは思わなかった。
あまりにも突然の出来事。
今、オレに向けて止まる事無く注がれ続ける。
殺意という、その感情。



人は、何故これほどにも狂う事が出来るのだろう。
どこの誰とも分からぬその他人が、何をもって狂ったのか、オレには知る事ができない。
ただオレに知らされたのは。
「通学路で通り魔事件が発生。生徒に被害はなかったが、通行人が4人刺された。目撃した生徒がいる。」
そんな端的な情報だけだった。

場所は駅の傍。明稜の生徒なら大半の者が通学時に利用する道。
通学時間からは少しずれていたが、特別な点はただそれくらいで。
目撃者が誰であったのか、普通には分かるはずも無い。
だが、オレの頭に過った、悪い予感。
外れていて欲しいといくら願っても、襲ってくる恐怖心を振り払う事が出来ない。
何故、再びこのような事が起こるのか。
半屋は。
何故苦しめられるのだろう。
人間に。
醜い人間の心に。
苦しんで、苦しみ続けて。
それでも今まで生きてきたというのに。
何故、半屋は苦しんでいる?
何故、幸せを得る事ができない?

それは、オレの願いのせいなのか。



誰にも見付かる事のないように、中庭の隅の生垣に蹲っていた。
その半屋の状態に、安堵する。
まだ、正気は保っているようだ。

「半屋。」
名を呼ぶと、その身体が過剰に強張る。
そして、自身の腕を抑えこんで、がくがくと震えている。
痛みで欲望を忘れようとしているのか、必死で腕に爪を立てている。
もう限界なのだろう。
半屋を救う方法など、もう一つしか残されていない。

「来る…な……。」
途切れ途切れに吐き出される言葉に逆らって、オレは半屋の傍へと向かう。
赤い血で痛々しく染まった腕を引き、その込められた力を緩めようとする。
「触んな!」
そう叫ぶ半屋の声は掠れていて、この状態にどれほど長い時間耐えていたのかが窺い知れた。
半屋がこの後、どうなってしまうのかは分かっている。
正気を失えば、最後だと。
それでも今は、その腕に感じているであろう痛みや、激しく襲い来る欲求に耐えつづける事の苦しみから、一刻も早く半屋を救ってやりたかった。

「もう耐えなくても良い。オレがいるから。」
背後から震える身体を抱きしめると、激しく拒絶する声が聞こえてくる。
悲鳴のようなその響き。
絶望感の増すその音に、耳を塞ぎたくなる。
「もう良いから…。」
そう同じ言葉ばかりを繰り返していた。
半屋の求める言葉を探そうとしても、悲しみに支配された頭では何も浮かばず。
ただ、抱きしめる腕に力を込める事しか出来ない。
少しでも、人で無くなる半屋が人間の温もりを感じていられるように。

「人を、殺したいのだろう?」

そう、半屋の。
半屋に巣食う感情の。
その望みを口にする。
掠れて音にならない声で、それでも叫び続けていた半屋の身体から、急に力が抜ける。
オレはその身体が半屋のものではなくなったことを理解し、半屋から離れた。
ゆるりと振りかえるその顔立ちはそれでも見慣れた半屋のもので。
いつも感じていた、甘い感情が浮かび上がるのを感じる。
不思議なものだ。
あれほど感じていた激しい恐怖よりも。
愛しさなどという、どんな感情にも劣りそうな、そんな弱々しい感情が勝るとは。

「オレを殺せば良い。」

その言葉の意味とはそぐわない表情を、オレはしていた。
殺されるというのに。
笑うとは。

オレも狂っているのだろうか。

「命くらい、くれてやる。」

半屋の瞳が一際赤く光る。
人を殺したいという、その欲が満たされる事に対する喜びの表れか。
オレの言葉に、半屋も薄く微笑んだ。
そして握られる、血で汚れたナイフ。
真っ直ぐに向かってくる半屋を、そのまま身動きせずに待っている。



オレは、誰に殺されるのだろう。
その瞳は半屋のもので。
その腕も半屋のもので。
例えオレの血を浴びて穢れるのが半屋の身体であっても。
その心だけは。
オレを殺そうとする意志だけは、半屋のものではない。

オレは、見知らぬ人間の、狂気に殺されるのだ。









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