[此処ニ、イヨウト思ウ。- grateful days - ]




「雪、すっげー積もってる!」
 外に煙草を買いに出た仲間が叫んだ。半屋はぼんやりと顔を上げる。午前6時。真冬の 日はもう昇っただろうか。今日は晴れているんだろうか。
 溜息がでる。いつものクラブ。いつもの人々。ほとんどは半屋の知り合いっていうより 姉の知り合い。wedding partyと書かれた看板と、嵐が過ぎたみたいなフロア、黒光りす る床に雪のように降り積もるのは、決して白くはなく色とりどりに光を放ってた。蛍光灯 の光だけになった今は鈍く、半屋と同じ寝不足みたい。
 閑散としてる。『雪!』っていう声一つで、ほとんど寝てないはずの飲んだくれ達は外 に飛び出していった。いつもより良い服を着ているのに、夜のテンションを引きずったま ま、コートも着ないで飛び出していった。半屋は一人になったソファで頭を掻く。鏡がな いから確かめようがない。エントランスは鏡ばりだけどそこまで行くのもめんどくさい。 せっかくいいスーツを着て、ネクタイまで締めたのに多分きっと瞼が腫れている。


 飲めない酒を呑まされた。一生に一度しかないお祝いなんだから、って姉はい つもの強気で強引な笑顔を押し付けた。灰色のカラーコンタクトを入れた目が潤んでる。 酒のせいなのか、どうか。見てられなくて半屋は飲めない酒を飲んだ。ジュースみたいに 甘い。なのにその後立ち上がる気がしなくて、半屋はソファに埋もれて紙テープや銀のリ ボンやクラッカーの花吹雪舞う空間を眺めた。
 祝ってやれればいい。正直そう思うのにどうしてちゃんと言えないんだか。その夜の主 役は無理矢理に笑って、弟の話ばかりしてた。本人ですらもう忘れていたようなくだらな い話まで。冷やかされても普段だったらムカつくような話でも、半屋は黙って聞いてた。 センチメンタルになる自分なんか、珍しいと思った。こんな場面が訪れるなんて思っても 見なかった。
 無礼講だと言って、学校とは全然違う真木が笑った。その隣に座る姉は半屋の知らない 顔をしてた。


「……。」
 いくつも、記憶を取り戻した。感謝してると、言えなかった。祝福してると、言えなか った。ソファに凭れて天井を仰いだ。目を閉じようとした。

 テーブル上の携帯電話が震動してる。その揺れが空気を変えた。手に取ると“公衆電話” の表示。わかりきったこと、半屋は無言のまま携帯電話を耳に押し付けた。
「俺だ!サル!雪だ!」
 黙ったままでいても尊大な声は言葉を続ける。
「サル!雪合戦をするぞ!わかったな!」
 ガチャ、、、ツーツーツー…。
 いつだってこうだ。いつもこんな風に呼び出されて、いつもその約束を反故にすること ができない。こんな風に要を得ない電話ですら。
 膝の上、手の中で携帯電話を弄ぶ。もう、ほんの少し、震えてた気持ちが溶けていく。


 吐く息が白い。クラブの前だけ踏みしだかれた雪。もう雪だるまができてる。不格好な 顔、目は半月型のライム。誰かのドレッド付きの帽子をかぶり、腕はハートランドの緑の 瓶。酔っぱらい仕様だ。半屋は酔っぱらいの間をすり抜けた。手荒い別れの挨拶を浴びな がら。こんな風に半屋のアタマをガシガシ掴んだり、背中をどついたりできるのは姉の友 人達だからだ。半屋は小さく会釈して、ほんの少しの苦笑いと共にその道を抜けた。


 寒さのせいか、まだ眠ってる住宅街を歩く。学校までのいつもの道は全然違う景色に見 えた。思った通り校門はほんの何十センチ開いていて、その向こうにずっと広がる雪原に はたった一人の足跡が道しるべのように刻まれていた。


「よくここがわかったな。」
 屋上への扉を開くと、梧桐が笑う。
「…馬鹿と煙は高いところが好き、っていうからな。」
 半屋は歩み寄りながら、ポケットに手を突っ込んで空を見上げた。灰色の空に白い息が 溶け込んで消えていく。
「それもどうせ鬼姉の受け売りなんだろう?」
 否定も肯定もしなかった。その通りだったから。この空気は、胸一杯吸い込むには冷 たすぎる。屋上の手すりに背中を預けた。金属の軋む音とともに、積もった雪がパラパ ラと落ちていく。梧桐は目下の街を見下ろしている。高台に建っているわけでもない。 だけど遠くの街の高層ビルが見える。
 梧桐の横顔が嬉しそうで、思わず見つめた。今日は一本も煙草を吸わない。だから、 梧桐はきっと怒らないだろう。
「梧桐。」
 呼びかけるとなんの疑いもなく顔を向けた。無防備だ。こんな顔を最近よく見るよう になった。
 半屋は背を曲げた。


 冷たい鼻先。
 冷たい唇。
 吐息は温かくて。
 離れる刹那、ぬくもりを引きずった。


 思惑通り梧桐は文句を言わなかった。半屋の舌に煙草の匂いはない。彼にしては長い 禁煙時間を過ごしたから。梧桐の舌先を少し吸った。唇を押し付けたら、軽くぶつけた鼻 先が冷たかった。
 梧桐はまた、白い校庭を見下ろしてる。ちらちら舞う雪の中。ひろいひろい学校には たった二人。
「寂しいのか?」
 半屋からのキスなんて珍しい。半屋はまた、手すりに背中を預けて空を見上げる。
「…かもな。」
 胸の辺りが重い。思い通りにならない気持ちをまた持て余してる。寂しい、という とのとは少し違うのかもしれない。代わりの言葉は見つからない。
 梧桐が半屋を向く。手すりに頬杖をついて微笑んでる。つり上がった目が嫌味だ。
「真木と姉上が幸せそうで羨ましくなったのか?」
 半屋はゆっくりと瞬きをした。寒すぎるせいだ。靴の先が濡れてる。多分小学生以来 の霜焼けになるだろう。雪のせいで思考が止まる。
「…そーかも。」
 真顔で梧桐を向けば梧桐が目を細めて、楽しそうに笑った。梧桐が手袋を外した手を 伸ばす。触れてくる手をいつもみたいに避けなかった。目を閉じて冷たい頬をその掌に 委ねる。
「センチメンタルだな。」
「そういうときもある。」
 無駄に言葉数の多い自分がいる。いつもだったら絶対言わない。梧桐に弱味を握られ るなんてまっぴらだ。
 梧桐が腕を伸ばして、抱き寄せた。半屋は梧桐の肩に頬を載せた。抱きしめる腕が温 かい。そう思うほど、寝不足は重傷なんだ。
「半屋。」
 声とともに吐き出される息が耳に触れる。心地いいと思う。重傷だ。
「俺の事が好きか?」
 笑いを含んだ梧桐の声は、今の半屋の状況をよく理解してる。期待に応えてやること にした。今日の自分は、自分じゃない。そう思えばそれでもいい。
「好きだよ。」
 梧桐の腰に片腕を廻した。その腕に力を込める。梧桐の両腕にも強い力が込められた。
「半屋。」
「んだよ。まだあんのか?」
「好きだ。」
 梧桐の声に目を閉じる。梧桐の肩越しに灰色の空と白い街。街と空の間には舞い落ち る雪、雪、雪。目を閉じても見える。
「とても好きだ。」
 目を開けたら梧桐の黒い髪に絡まっていて、互いの肩にも降り積もるだろう。
「離れない。」
 普段だったらあり得ない言葉が半屋を包み込む。そんな言葉、普段なら聞きたいとも 思わない。当然同意もしない。束縛なんかされたくないと思い、不機嫌にだってなるけ ど寝不足とセンチメンタルな気分が自分を変えてる。
「眠い。」
 梧桐の肩に顔を埋めたまま小さく欠伸をする。梧桐が半屋の背中を叩く。
「ウチに来るか。」
 答えずに身体を離して梧桐の肩を押す。


  変わらない灰色の空をもう一度眺めた。この冬、こんな景色があと何回見られるだ ろう。
 相反する気持ちが複雑に絡み合って、祝福してるのに、厭がる子どもみたいに地団駄 踏んでる。ただ彼女の幸せなところを見たから、ってそれだけじゃない。
 隣にいる人も、自分の存在も変わっていくだろう。この場所も姿を変えるように、 自分の場所も移っていく。いつかあの二人みたいに共に歩く誰かを見つけるだろう。そ れが彼なのか、今はまだわからない。明日のことなど分からない。あんな未来が自分に 来るのだろうか。明日、あさって、来週、来月も来年も。またその次も。当たり前のよ うに学年が上がって、卒業するとして。
 その後の道は同じではあり得ない。



 この景色は美しい。


 だけど、彼の存在がなければどんなにか空虚だろう。



 この気持ちを埋めるのは彼だ。近づいてきた梧桐の、差し出した手はとらずに拳を差 し挙げる。やがて来る未来もこんなふうに当たり前の存在といよう。梧桐は笑って、拳 をぶつけた。
 歩き出す手も繋がない二人の上にまだ雪は降り注ぐ。彼の傍で眠るその間にも降り続き、降り積もればいい。二人の足跡を雪が消したとしても憶えてる。珍しいセンチメン タルだから今だけは願う。
 この場所にいることを、赦されるよう。



終。       


イサフシカイ/レスザンゼロ。






イサフシさんより、誕生日祝いに頂きました☆
うおお!生まれてきて良かったっ!!
冬っぽい話が良いです〜とリクエスト致しましたら、こんな…こんな……っ
素敵すぎる雪のお話を!
無防備な梧桐さんも、
寝不足な半屋君も、
これ以上のツボがあっただろうか、という程に堪らないです。
本当に有難うございました!!