笑うようなただの日常の積み重ね。
[ grateful days. ]
出かける約束をした。
きっちりと、時間の15分前に到着する。待ち人は絶対に遅刻するはずだ。絶対に。
分かり切っているのに妥協することができないままでいる。つきあいは長いはずな
のに結局自分のペースを崩せない。お互い。
人混みの中。道行く人の中目立つのは嫌味なほど今風の人々。何が個性的なんだか
、個性的でいることがむしろ没個性的なのかなんなのかわからないほど雑然とする。
休日なのに何故制服が目立つのだろう。思わず自分の学校の制服を捜してしまえば、
その目つきの鋭さに恐れをなしたのか自分の半径5メートル以内から人が消える。
いつも指摘されることは変えることのできないこと。何処にいても『俺は俺』『俺
のものは俺のもの』。ヤツはいつもあきれた顔で彼を観るのだ。
「あ〜、悪ぃ。」
露ほどにも悪びれるそぶりを見せずにのろのろとヤツがやってくる。白い短い髪。
白い肌。背はさほど高くない。だが遠目にもスタイルはいいなと思う。頭が小さくて
等身が高い。無駄な肉というものは存在しない。あれでよくあの瞬発力を保てると思
う程。
またひとつ、気にくわない。あれほど人混みの中での歩き煙草はやめろと言ったは
ずなのに。
傍らに来ても立ち上がらずに、座ったまま警告してやるつもりだった。なのに彼は
数歩先で立ち止まってしまう。こうなったら彼はテコでも動かない。何時間でも自分
のいる場所まで歩いてくるのを待つだろう。待つのはいつも自分の方で、本当に待た
せてみたことなどないが。
「まったく。俺様を歩かせるなどお前くらいのものだな!サル。」
そういうと鼻で笑う。
「誰がサルだ。てめえのまわりだけ人がいねえから自分から近寄りたくねえんだよ、
梧桐。」
どうせ並んで歩くのだから同じだろうに。なにか反論してやろうと思ったのに突然
半屋が離れていく。梧桐に歩かせたくせに!
目を三角にしてくるりと振り返ると、柄にもなく吸い殻を吸い殻入れに入れる姿。
・・・・・・なにも言えんではないか・・・。でもなにか不条理だ。
「?」
ふと半屋の姿に違和感を感じる。なんだかいつもと雰囲気が違う。だらりとしたシャ
ツもパンツも軽そうな靴もいつもの彼なのに普段より柔らかい。
振り向いたときに気がついた。
「サル。」
「んだ?」
サル、と呼ばれたことには大して注意も払わずに半屋が応える。
「サル、耳輪はどうした。」
そう言うとなぜか少し目元を赤くする。
「ああ、あとでな・・・・。」
小さな声でまるで触れられたくないかのように呟く。追求したかったがなんだか、そ
うさせてはもらえなかった。
人混みの中を言葉もなく歩いた。言葉を交わすでもなく、近づくでもない二人の間を
何人もの人が通り過ぎ、すれ違っていった。坂道の両側に建つ店々からはがなり立てる
ような音楽。混ざり合えば意味などどうでも良くなる。誰の声でも構わなくなる。路上
に座る人々。歩き慣れた町だと、半屋は黙々と歩いている。梧桐のことを振り返ること
もなく。ついてこないことなど、今は考えないだろう。それもお互い。
はじめて半屋が振り返る。足を止めて。目が合うとビルに入っていく。細い階段を上
る。日の射さない冷えた階段。壁にはクラブイベントの、ライヴの、音源出版のチラシ。
半屋に似たスタイルのだけど纏った空気の軽い少年と、ステレオタイプの女子高生と
すれ違う。
「おいサル。」
前を行く半屋のシャツを掴もうとした。するりと交わされて見れば半屋は踊り場から
姿を消すところ。舌打ちして追うと厚い硝子が濃い色の木材で太く縁取りされた重そう
なドアを開けている。
半屋について中に入れば、思うよりも広い空間。低いと思っていた天井は二階分が吹
き抜けになっていて、ホールの半分はロフトに。足許には線路の敷木が敷き詰められ、
壁際のカウンターも床と同じ色の木材。落ち着いていて、外国製の高級ブランドとは
確かに異質だけれど、人を選ぶような雰囲気が頼っている。きっとさっきすれ違った二
人はこの店には異質だろう。そんな気がした。店の中には梧桐の腹ほどの高さの硝子ケ
ースがいくつも並ぶ。覗き込めば黒い布の上に重厚な銀細工のアクセサリー。重そうだ。
「武器になるとか考えんなよ。」
背後から、思っていたとおりのことを半屋に突っ込まれ
「馬鹿者!そんなことを俺様が考えるわけが・・・・。」
振り返ったのにもう向こうに歩いてる。なにか理不尽。
半屋は店員と言葉を交わしている。普段ならめったに笑いもしないのに奥からでてきた、店員達よりも
幾分年長の男を見ると口元に薄い笑いが浮かぶ。梧桐の知らない男。
男が半屋を呼ぶ。
「工。」
と。梧桐は硝子ケースを覗き込む振りをした。理由は、多分ない。聞こえない。男と
半屋が笑いながら交わす言葉が。
「おい。梧桐。」
「!」
向こうにいると思った半屋にケース越しに声をかけられる。顔を上げるとロフトに続く
螺旋階段を差している。
ロフトの上はちょっとしたカフェバー風。カウンターには階下の店と同じ制服の店員がいて、客は自分たちの他にも二組、小さなテーブルを挟んで座っていた。半屋が奥のカウンターから勝手に緑色の瓶を二本持ってくる。カウンターの店員と二言三言言葉を交わして。ビルの外の喧噪とは違う匂い。半屋は栓を抜いた瓶にもう口を付けてる。半屋は、雑踏にこそ相応しいスタイルでいるのに、此処にいてもなんら違和感はない。誰にも囚われないような顔をして、だれともつるまないような振りをするくせに、どうしてあの男のように、梧桐ですら厭な気はしない人間の懐には受け入れられるんだろう。
半屋が緑の瓶をテーブルに置き、梧桐が椅子に腰掛けると気配。さっきの男が床と同じ深い色の木製のトレイを持って上がってきた。
「すんません。」
半屋は彼からそれを受け取ると梧桐の正面に座る。トレイの上には同じ色の全く違う形のものが二組。
同じ所。いぶした深い色の銀。紫色の5ミリ強の、多分色ガラス。違うところ。その形状。一つはピアス。もうひとつは。
半屋はさっさと、慣れた手つきでピアスを耳に填める。
「・・・・・・・・・。」
似合ってる。梧桐は遠慮もなく半屋を見つめた。華奢な彼の躰には似合わないと思ったピアスにしては大きめの色ガラス。濃い紫が白い耳朶に、白い頬に映える。改めて、彼の目の大きさに気付く。まっすぐな視線にはぴったりだ。むかつくぐらい似合ってる。
半屋は目線を上げた。自分を凝視する梧桐の表情に驚いたように、でもすぐに顔を赤くする。何故わかるんだろう。まだなにも言葉にしていないのに。
「お前にしてはなかなか良いセンスではないか!」
腕を組んでせいぜい偉そうに言えば目を合わせずに小さな声で
「・・・・・・るせぇ。」
などという。照れたりするのは、可愛いではないか!笑ってやろうと思ったのに感づいたのか偶然か、またも半屋はそれをさせなかった。
梧桐の肩を掴み引き寄せる。
「動くな。」
白い指がトレイの上の1センチくらいの一部欠けた筒状の、やはり重くいぶした銀を掴む。その筒には、半屋の入れ墨に少し似た細工。その細工の真ん中には半屋のものと同じ紫の色ガラス。冷たい指が梧桐の耳に触れる。
梧桐はおとなしくしていた。
「・・・・・・・・・・・。」
テーブルの向こうから半屋が神妙な顔をして自分を見ている。やがて眉間の皺を一段と濃くして舌打ちをする。
「あんま似合わねえ。」
「なにがだ?」
相変わらず、梧桐はテーブルの向こうで偉そうに腕組みをして、偉そうに座っている。左耳に紫色の色ガラスの、いぶし銀に細工をした、そこら辺のガキどもが憧れる職人の手にかかるイヤーカフスをした梧桐が。どんな視線の高さにいても、見下ろすような目にはもう慣れた。
「イヤーカフス。」
面倒臭そうに応えると
「なんだそれは?」
そう言う。てめえがいま耳に付けてるのだよ。言わないのもばからしくなって言葉を続ける。
「耳に穴ねえからな。わざわざ作り替えてもらったのになんか変だな。似合わねえ。根本的にそういうのだめだなてめえは。」
すんげぇ似合わねえ。再度舌打ちすると、半屋は煙草をくわえた。ジッポライターをシャツの胸ポケットから出す。そう、この店に入ったときにどこかで良く知っていると思った。半屋のジッポライター。深い銀。薄くわからないほどに施された瑕のような文様。
ジッポを開く重く柔らかい金属の音。そういえば、この店は随分と空気が澄んでる、梧桐がそう思った瞬間だった。
「工ー、禁煙。」
階下から声がして、半屋がまた舌打ちをする。ばつが悪そうな表情のまま梧桐を見る。目があって、一瞬半屋の肩がぴくりと動いた。
フ。
それが最初の合図。
半屋は今度ははっきりと肩を揺らした。くわえた煙草がテーブルの上に落ちる。それを拾おうとした手がぶれる。
半屋が笑ってる。声を押し殺して半屋が笑ってる。
「なにか可笑しいのだ?!」
自分が笑われていることだけはわかる。怒りながら、梧桐の顔も赤い。
「くくく。悪ぃ。マジ似合わねー。失策!」
なんと目の端に涙までためているではないか。こんな表情、見たことがあっただろうか。
半屋の耳の、紫の色ガラスが揺れる。半屋は腹を抱えてる。不愉快なくらい人のことで大笑いしてる。失礼以外のなにものでもない。
だけど、だけど。
梧桐は笑った。厭じゃない。
緑の瓶が二本並んだ向こう側。よく似合うピアスをした半屋が見たこともない笑い方をしてる。似合おうが似合わなかろうが、自分の耳にあるのは同じ色ガラス。
互いのことをまだ知らない。それはけして悪い事じゃない。
拡がっていくだろう。お互いの日常もお互いの世界も。
それは最大の武器になる。
OUR GRATEFUL DAYS.
それはとても美しい日々。
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