「素面で酔っ払いの世話は辛いでしょう?」

そう言って、クリフは半屋に缶ビールを差し入れた。
高校の前にあるコンビニの袋に6本。
笑顔で渡されたそれに、半屋の方が困惑した。
元生徒会役員とは思えない不良っぷりだ。

すっかり半屋の膝を枕に眠ってしまっている梧桐。
こんなに安らいだ表情は見たことが無い。
クリフは自分と梧桐が過ごした二年間を思って苦笑した。
きっと明日には元通り、元気すぎる彼に会えるのだろう。

「じゃあまた明日ね!あ、半屋君も酔っ払っちゃいなよ〜。明日までもう誰も来ないからさ!」

クリフは何やら意味深に笑いながら、生徒会室を出て行った。
明日も来るのかと、半屋は素朴な疑問を抱きながら、呆然とクリフを見送った。


そして、現在4本目。
かなり酔いの回ってきていることを自覚してはいるが、それでも飲み続けている。
膝の上の梧桐はまだ目覚めそうにない。
完全にタイミングを逃してしまった。

当然、起こそうとは思った。
起こすというよりも、むしろ落とすといった方が正しい。
あまりにもがっしりとブレザーを掴まれていたし、先の抱きついていた時と同じ状況だと考えるとどうも力で退かすことはできそうにない。
だから、また同じように機会を伺った。
さすがに眠ってしまえば逃れられるだろう。

だが、眠ったらしい梧桐を退かそうと思った時。
無意識にしてはあまりにもタイミング良く、梧桐は辛そうに眉を顰め。
そして、涙を流したのだ。

そのまま暫くは辛そうに唸っていた。
いつもは寝顔だって滅多に見る機会もないし、見る機会があっても眉一つ動かしはしない。
死んでいるのかと思うほどだった。
だが、半屋の膝の上で、梧桐は何かに苦しんでいる。
悪い夢でも見ているのだろうか。
相手がたとえ梧桐であっても、苦しんでいる人間を更に苦しめるような無情なことはできない。
半屋の中に何となくそんな感情が浮かんで、暫く様子を見ることにした。
かなり長い時間、梧桐は魘されていた。

起こしてやった方が良いのだろうか。
逃れる機会を失うことになると思ったが、梧桐の表情はあまりにも辛そうだった。
険しい表情だった初めの頃とは明らかに違っていた。
きっと夢の内容は怖いものや腹立たしいものではなく、悲しいものだ。
眠っているのが梧桐だということを忘れてしまいそうなほど、その表情は弱々しく変化する。
自分の腹部がくすぐったくなったので目をやると、ブレザーを掴む腕ががくがくと震えていた。
何だか、見ていられない。
半屋はブレザーを掴んでいる手を取って、自分の両手で包んだ。
子供にするような行為で可笑しいが、梧桐らしくない、などという意識は滑稽だ。
梧桐はここに存在しているのだから、自分の知らない一面であってもこれが梧桐なのだ。

「梧桐。」

包んだ手をそのままに名前を呼ぶと、ふっと梧桐の表情が緩んだ。
自分の声が届いたようで驚いた。

「梧桐。」

もう一度呼ぶと、今度は梧桐の表情が明るく変化した。
嘘のように変わっていく表情に、梧桐が起きているのかと疑ったほど。
そのまま梧桐はもう苦しまずに眠っていた。
半屋はなかなかその手を離せなかった。
手放したらまた苦しむのではないかと思えて。
そして、認めたくないほどに梧桐に触れていたいと思えて。

暫くは、呼吸が上手く接げないほどに、胸が苦しかった。



膝の上でごろりと梧桐の動く気配があった。
寝返りかと思って見ると、何か変な体制をとっている。
突然、缶を開けた音が聞こえた。

「なっ!!!」

あまりの衝撃に言葉にならない声を上げてしまう。
梧桐は缶ビールを開けて飲もうとしていた。

「何してんだよ!これ以上酔ってどうすんだ!!」

そう怒鳴った半屋の言葉に、梧桐はあまり理解できていないと思われる呆けた表情を向けた。

「喉が乾いたから貰うぞ・・・。」

そしてそのまま缶をぐいっと仰いでしまう。
怒鳴っていないで、先に取り上げておけば良かった。

梧桐は一口飲んだだけで、そのまま缶ビールを手から落とした。
ほとんど減っていなかったビールが床に広がる様に、勿体無いという思いが浮かんだのも一瞬で、また半屋は上機嫌な梧桐に襲われる。
もう抵抗するのも馬鹿らしく感じられた。
本当に今日は最悪に疲れる一日だ。

数時間前のように抱きつかれている状況を甘んじて受け止めていると、突然自分の身体に異変を感じた。
梧桐の手が半屋の下半身でごそごそと動く。
何なんだ。
何なんだ。
酔っ払いにセクハラされるOLか、オレは。

半屋は疲れなど気にしていられず、必死で抵抗を試みた。

「ふざけんなっ!!てめ・・・っ、離せ!!」

本当にどうなってんだ。
自分が知る梧桐は何というか真逆の、むしろ奥ゆかしいというか、違うな、何ていうんだったか・・・。
とにかく、違うのだ。
彼氏に清らかな夢を抱いていた乙女のような発言だが、それ以前に。
これは強姦だろう。
しかも生徒会室で元生徒会長に強姦されているというこれ以上になく卑猥な状況だ。
状況などどうでもよいが。

とりあえず、梧桐に力で勝とうと思うのは無理だ。
自分が梧桐よりも弱いとかそういう問題ではなく、状況的に不利だ。
認めたくないが、身体の力がどんどん抜けていってしまう。
どうすれば助かるんだ。どうすれば。

「半屋が欲しい。」

幻聴かと思い梧桐を見ると、その視線は真っ直ぐ半屋に向けられていた。
酔いのせいもあるのだろうが、それ以前に頭が状況を受け入れようとしない。

「子供の夢を見た。都会の中で迷子になってしまっている子供だ。沢山の人間がいて、それなのに誰も助けようとはしない。」

半屋の頬を梧桐の手が包み、そのまま唇に短い口付けが降る。
頬から伝わる熱さに、梧桐は相当酔っているのだとどうでもいい事を思う。

「あれは幼い頃のオレの姿だ。夢の中の子供も自分を一人にした父親を憎んで泣いていた。でも泣いていたって救われない。憎しみで自分がどんどん苦しくなっていくだけだ。」

梧桐の、泣きそうな顔など初めて見た。
これが先程苦しんでいた夢の内容かと、半屋はようやく理解した。
きっと梧桐がこうして弱さを晒すことはもう二度とないだろう。
半屋は自分の中にある全ての蟠りを無視して、ただ梧桐の言葉を聞いた。

「そのまま憎しみだけを糧に歩き出した。でも一人で歩くのは辛い。寂しさや悲しさを打ち明ける相手もなく、歩いても歩いても苦しいだけだ。」

梧桐は半屋の手を取った。
酔っていて熱いはずの自分の手よりも、もっとずっと熱い。
せめて冷たい手に触れられれば、意識を引き戻すことができたのに。
半屋にはもう、何を思えば良いのか分からなかった。
目の前には梧桐がいる。
ただ、分かることはそれだけ。

「もう、歩くのは嫌だと立ち止まった時に、お前の声が聞こえた。手を差し伸べてくれた。」

何度泣き出したいのを我慢しただろう。
苦しさや悲しさを隠しただろう。
悩みを打ち明けることも出来ず、いつだって一人で足掻いている。
父親に奪われたあの日から、迎え入れてくれる家が無い。
家庭という居場所がない。
憎しみを向ける先を失い、心に大きな穴が開いた。
その空洞を、代わりに埋めてくれるものは何なのか、分からない。
今もこんなに、苦しいのに。

「歩き疲れた時だけで良い。多くは望まないから、ただ傍にいてほしい。」





翌朝、先に起きたのはやはり梧桐の方だった。
半屋は梧桐に頭を殴られた衝撃で目を覚ました。

「きさまという奴は、ここを何処だと思っておるのだー!!」

低血圧で朝に弱い半屋には、一体何に関して怒鳴られているのか理解できず、そのままうつろな目で鬱陶しげな視線を向けた。
梧桐から見ると非常に無防備で構いたくなる表情だが、生徒会室はそういう甘い態度を取ってはいられないほどの惨状だった。

「何だ、この缶は。全部酒ではないか!しかも6本も・・・。未成年の飲酒事態が・・・っ!!」

いつも通り、半屋につらつらと説教を述べていた梧桐が、突然頭を抑えてうつむいた。
当然、二日酔いの症状なのだが、梧桐にはこの初めて味わう痛みの原因が分からない。
半屋は段々と働き出した頭で、昨夜の悲劇を思い出し、反論を試みようとしたが・・・。
梧桐のことを笑えないくらいに、自分の頭痛も酷かった。

「おい・・・記憶ねぇのか?」

声を出すのも辛いので、半屋は短く梧桐に問いかけた。
何となく、答えは想像できるが一応。

「何時のだ?」

「昨日の夕方あたりから。」

梧桐は当然とばかりに昨夜の出来事を思い出そうとして、やはり半屋の予測通り、困惑していた。

「覚えてねぇんだろ?この缶ビールだって一本はてめぇが空けたんだぞ?」

飲んだのは一口だけだったが、梧桐のせいで空なのは事実だ。
梧桐は「そんな訳は無い」と反論したが、だからといって半屋とどのような時間を過ごしたのかは思い出せず。

「もう酒なんて二度と飲むなよ。迷惑だ。」

そういう半屋の悪態にも、上手く反論できないようだった。
半屋は何だか梧桐の立場が弱くなっている今の状況が愉快で、頭は痛いが気分が良かった。
立ち上がって今度こそこの部屋から出ようと出口へ向かう。

「断片的にしか思いだせん・・・。何故だ?」

梧桐は背後でまだ記憶を探しているようだ。
さすがの梧桐も初めての体験には困惑するものなのかと半屋は面白く思った。

「そうやって出て行こうとしただろう、昨日も。」

扉の前に立つ自分の姿をどうやら見られていると知り、半屋は振り返った。
やはりあの時は酔いが冷めていたのか、と思い出す。
だが、その他の奇行を考えるに、あの時以外の記憶は無いだろう。
そう思い、梧桐にまた背を向けようとした時、呟きが聞こえた。

「すまなかったな。」

突然の謝罪だったが、その意味が半屋には分かった。
記憶が無くても一目で分かる、行為の痕が見えたのだろう。
半屋は何も答えず、振り返りもせず、静かにその部屋を後にした。





こんな朝は初めてだった。
いつもとはまるで逆の。
昨夜の出来事が、夢だと思えない朝。

行為で汚れた部屋もそのまま。
自分で拾って着た制服。
ネクタイを外したままの襟元はだらしなく開いている。
そして例えボタンをきっちり締めたとしても、隠れることの無い。
首筋に残る、いくつもの赤い痕。
酒の匂いの残る制服。
痛む頭。
全ての状況が、昨夜の出来事を思い出させた。

一生、消えることがないのだろうか。
梧桐が半屋に残した痕は、いつか消えてしまうのだろう。
けれど、記憶だけは。

首筋に触れると、そこには何も無いような感触。
痛みがあるわけでも無い。
指先にその痕を見つけることは出来なかった。
それでも半屋は何度も何度も触れていた。

帰ろうと校舎を出て、まだ登校時間には早い通学路でまばらな生徒とすれ違う。
やがて人通りの多い道になり、駅へ急ぐ人の波に飲まれる。
電車の中にはもっと沢山の人間がいて、半屋は気持ち悪く感じた。
降りた駅にも沢山の人。
そこを離れると少しずつ人はまばらになり。
自宅の扉を開けるとただ一人、母親がいて。
部屋に戻ると、誰もいない。
自分だけ。

ベットに突っ伏して目を閉じる。
真っ暗な視界、黒い色の中に白くて小さな光が無数に見える。
一体どれだけの人間がいただろうか。
すれ違った人間、目に映った姿。
何も覚えてはいなかった。
世界の人口がどれだけだったか、そんな事は知らない。
今日目にした人間のように、知らないだけでとにかく無数に存在するのだろう。
それなのに、たった一人だ。
半屋の中を埋め尽くしている相手も。
梧桐が必要だと選んだ相手も。

半屋はまた首筋に触れていた。
怪我のように痛めば良いのに。
傷のように、触れる指を汚せば良いのに。
何で、何も無いみたいなんだろう。
確かに梧桐が残したものがあるはずなのに。
何度触れても、何も感じない。

あれだけ人格が変わるほどに酔っていたのだ。
梧桐は何も思い出さないだろう。
昨夜の行為も言葉も確かに存在した事実だけれども。
これから起こる様々な出来事が降り積もり。
何もなかったように。
消えていく。
半屋の中以外では。

「何…考えてんだ……。」

忘れてくれていた方が良いに決まっている。
昨夜のあんな出来事など。
それなのに、梧桐が覚えていないことが悔しいみたいな感覚。
どうかしている。

こういう時の逃れ方を、半屋はこれしか知らない。
眠ったとしても、記憶からは一時しか逃れることはできないけれども。

半屋はよく解らない自分に苛立ち、強く目を瞑った。




【言い訳】
このお話は「萌えに従って更新をする」という自分内のテーマにそって書きました。
すぐにアップするはずだったものを諸事情により長期間書くことになってしまった為、途中で別の萌えポイントが組み込まれたりしていて、すさまじく変な話に仕上がっています。
ちなみに下記がその時々の萌えポイント(笑)

「梧桐さんってきっとお酒に弱いよね!!」(当初の萌えポイント。これだけで終わるはずだった。)

「梧半で性交渉済みなのにラブじゃないのって良いよね!!」(抱きしめられたのは初めて、あたりがコレ。)

「梧桐さんが大丈夫じゃないって気が付く半屋って萌え!!」(弱い梧桐さんに萌え、ではなく。半屋萌え。)

「久しぶりに半屋に罪悪感を抱いている梧桐さんが書きたいなあ。」(これ、好きなんですよ。梧半の一番の萌えポイントかも。)

「クロ助の船って半年後だっけ…?それって梧桐さんが3年の夏休みにブラジルに行くかもしれない伏線!?」
(突然振って沸いたテーマ。これのせいで話がこじれた(笑))

(その後、当初書く予定だったものに無理やり戻る。)

全部組み込んだのがいけなかったと思います(笑)
でもあんまり文章にも拘らず、楽しんで書けました♪



「歩き疲れた時だけで良い。多くは望まないから、ただ傍にいてほしい。」
という台詞の後を削ってあります。
多少大人向けすぎる性描写があった為です(汗)
一応あった方が後半の半屋がおかしくないはずなので(苦笑)そういった文章を読んでも大丈夫な方は→の★をクリックしてください。
別窓が開きます。

ちなみに梧桐さんファンからの苦情は受け付けません(笑)