恋愛のすすめ

傍にいて、楽しい。
離れていると、寂しい。
見つめられると、嬉しい。
目を逸らされると、悲しい。

自分以外の人間の横で笑う姿が悔しい。
そんな独占欲を感じたり。
ふとした瞬間に、意味もなく触れたい衝動にかられたり。
反対に何故か触れる事が無性に恥ずかしくて、躊躇ってしまったり。
独りで居ると、その人の事ばかりを思い浮かべてしまったり。

熱に浮かされたように、頭が上手く働かない。
自分で自分を思う通りに操れない。
苦しかったり。
気持ち良かったり。
本当に困った人間になる。

こんな症状を人が「恋」だと呼ぶのなら
確かに今、2人は「恋」という病に冒されている。

 

下らない。
そう梧桐は思う。

本の中、男は恋に狂っていた。
その女を思う余り、今まで大切にしていた物を全て捨てた。
ずっと信じ合って生きてきた親友と呼べる存在まで。
形の無い愚かな感情に流され、最後にはその女に捨てられて。
何もかもを失った男は、自ら命までも捨てた。

こんな話を読ませて、何を思えと言うのだろう。
机の上、その目の前の白い紙に向かいながら、一人困っている。
結局、教師が求めているであろう感想を頭で考え、適度に書いた。

男の誠実な思いを受け入れなかった女が悪い?
裏切られた男は可哀相?

そんな事を思うはずがない。
本当に愚かなのは、こんな一時の甘い感情に浮かれて、自分を見失ったこの男なのだ。

 

隣で喚く女が煩い。
そう半屋は思う。

昨日、何故約束を破ったのか?
そんなの、会いたい気分じゃなかったからに決まっている。
大体、約束も何も、勝手に一人で言っていただけ。
半屋には守る義務などなかった。
この女と付き合っているつもりなど、まるで無かったのだから。

無様に怒る女の顔。
派手に色を付けられた長い爪に、明るく染められた長い髪の毛。
シャツのボタンを上から2個開けて、ちらつかせる膨らんだ胸。
懸命に返事を求める、厚ぼったい唇。
そのどれを見ても、半屋は何も感じない。
申し訳無いことをしたとも、可哀相だとも。
好きだとも、嫌いだとも。
ただ今は、早く消えてくれと願うだけ。

この女は半屋を好きだと言った。
恋人になってくれと言った。
半屋は何も返事をしなかった。
何も思わなかったから。

キスがしたいと強請られれば、目を閉じた。
その行為に何の意味も感じないから。
断って騒がれる方が面倒だと思った。

ただ、SEXは違う。
あれは誰とでも出来るものではない。
何の感情も沸かない、この女とは出来ないだろうと思った。
だから昨日、半屋は行かなかった。
文句を言われるのも面倒で。
会いたくなどなかった。

その内、校舎から聞こえた予鈴の音に、しぶしぶ女は立ち退いた。
裏庭で寝転がる半屋は静けさに包まれる。
そして、一人が良いと心底感じた。

 

やっと退屈な授業も終わり、梧桐は一人屋上にいた。
穏やかな午後。
空を流れる白い雲も、殊更ゆったりと流れてゆく。
静かなこの場所へ来ると、梧桐は様々な事を考える。
それは過去の事であったり、今の生活の事であったり、将来の事であったり。
いつもは主に自分の事であった。
それが、今日は少し違う。
先程の下らない授業のせいで、思いたくも無いことばかりが頭を支配する。
そう、初めて
恋というものの事など。

14歳、中学3年生。
あと1ヶ月もすれば15歳になる。
そんな夏、同級生達は恋という不可思議ものにはまっている。
15歳にもなれば、恋の一つや二つは当然するもの。
だが、梧桐の目には、皆が流行り病にでも冒されているように見えていた。
そう、まだ梧桐は知らない。
自分の中に潜んでいる、初恋というものの存在を。

梧桐は伊織の事を考えていた。
一番恋人に近い存在?
そう何となく思えたからだ。
今日読んだあの小説と合わせて、思い返してみる。

「その人を大切に思うか」
「その人を魅力的だと思うか」
そういった基本は確かに当てはまっている。

「その人に喜怒哀楽を左右されるか」
「嫉妬心、独占欲を覚えるか」
「その人に対して限りない欲が沸くか」
ここがよく分からない。
確かに伊織の存在を失ったとしたら、喜怒哀楽など感じる事は出来なくなるだろう。
だが、恋愛の喜怒哀楽はそういった事ではなく。

例えば伊織が梧桐に「好き」だと告白する。
または、梧桐が伊織に「好き」だと告白する。
確かにその行為は顔から火が出るほど恥ずかしい。
だが、その行為に特別な意味を感じない。
その行為によって、2人の何が変わるというのだろう。
「これから2人は恋人同士になるんだ」という心が踊るような楽しさを感じたりもしない。

反対に伊織が誰かに恋愛感情を抱いたとする。
それは確かに寂しい。
悔しくも思うかもしれない。
だからといって、その第三者を恨んだり、憎んだり。
そのような激しい感情が沸くだろうか?

そして何より決定的に足りないもの。
それが「欲が沸かない」という点だ。
伊織の事をこれ以上どうこうしたい、とは思わない。
もっと内面を知りたい。
より近くで存在を感じたい。
そんな風に思った事はない。
触れてみたい。
体温を感じてみたい。
そういった性的な欲求も沸かないし、そんな行為はむしろ望まない。

だが、もし伊織に対して抱いている感情が恋心でないとしたら。
今後、一生「恋」というものをせずにオレの人生は終わるのではなかろうか?
そんな風に、梧桐には思えるのだ。

これから先、伊織よりも大切な存在など現れるのだろうか?

 

半屋は一人で居るのが好きだった。
他人に合わせる、という事が出来ない。不器用な性格。
何かを話しかけられたり、何かを求められたり、そういった全ての事がうざったい。
静かな空間に寂しさを感じた事もない。
ぼーっと何も考えずにいるのが好きなのだ。

イライラした時には煙草を吸う。
中学に入ってから覚えた。
半屋にとっては悪いとも何とも思わない事。
何となくピアスを開ける事にもはまっていた。
自分を飾る事にも興味などないのだが、こういう小さな事にこだわりを持つのは好きなようだ。
髪の色もとても中学生とは思えない色になっている。
この髪をいじるという行為も、半屋にとっては少ない趣味の一つであった。

半屋は中学に入ってから、どんどん悪い事を覚えていった。
望んでなどいないが、近辺の中学校の間では不良としてもかなり名の知れた存在だ。
だが、それには理由がある。
半屋には今、何もないのだ。

小学生の頃、半屋には絶対の存在がいた。
梧桐勢十郎という、唯一の存在。
初めて倒せないと思った。
初めて倒したいと思った。
敵わない事が心底悔しくて、絶対にいつか越えてやると思った。
大嫌いな人間。

それなのに、小学校を卒業する日。
梧桐と最後にケンカをした日。
半屋は自分の信じられない本心を知った。

何故、今こんなにも、離れたくないと思う?

それから2年半の月日が過ぎても、半屋の中には常に梧桐勢十郎がいた。
家族の都合により、半屋は一人でこの中学に入学した。
顔見知りすら存在しない環境。
何より、まともにケンカを出来る相手がいない。
梧桐とケンカをする内に、半屋は以前より更に強くなっていた。
どんなに強いと言われている不良でも、半屋の強さの前では稲の茎のように弱かった。
そして勝てば勝つほど、悪く言われてしまう。
苛立ちが晴れない。

梧桐は何も言わずに相手をしてくれた。
こんな時、梧桐がいれば何も考えずに思いきりケンカが出来たのに。
そんな思いが頭を過る。
その不本意な感情がまた半屋を苛つかせていた。

ケンカで晴れない苛立ちを、煙草で消すようになった。
悪い事を覚える度に、自分が変われる気がした。
一人の人間に執着し続ける、そんな女々しい自分を捨てたくて。

そんな行為の一つ一つが、結局自分を梧桐の存在に縛り付けているとも気付かずに。

 

下校の途中、ふと梧桐の目に遠くの白いものが映った。
よく見ると、人間の頭だ。
あんな風に染められた髪の毛は初めて見たぞ、とその姿を目が追う。
身長はまだ低い。恐らく自分と変わらないくらい。
見た事の無い制服だが、中学生ではなかろうか?
けしからんな、などと思っていると、その人間とふと目が合った。

驚きを隠せない。
忘れるはずも無いあの面立ちは…。

向こうは梧桐の事を見たわけではないらしく、気が付かずに歩いていく。
梧桐は咄嗟に後を追いかけていた。
走っていく自分。
何故走っているのか、全く分からない。
これから自分が何を発言し、どんな行動に出るのかも。

「半屋!」
そう大声で呼ぶと、案の定その人間は振り向いた。
梧桐の姿を見付け、かなり驚いた顔をしている。

だが、何故か驚いているのは梧桐も同じだった。
街中で大声を出した事も理解不能で恥ずかしいのだが。
何よりも「半屋」というその名前を呼んだ事で、訳の分からない恥ずかしさが沸いてきている。
動悸が止まらない。
顔が無性に火照る。
一体この現象は何なのか。

「ご…梧桐?」
驚きながらも半屋は梧桐の名前を呼んだ。
梧桐の動悸が一層激しくなる。
異常に体温が上がっていく。
自分で自分がコントロール出来ない。
「久し振りだな」とか何とか言っているらしいのだが、それは勝手に口が発している言葉だ。
何とも威厳のない声でますます恥ずかしい。

目が半屋の姿に釘付けになっている事に気が付いた。
何とも不良っぽく変化した外見。
それでもその内面が小学生の頃と何も変わっていない事に気が付いていた。
汚れの無い強い瞳の色も、その色の薄い肌も。
ケンカをしながら蹴ったら折れないかと心配していた細い体つきも。
どんな部分も、何一つ忘れていなかった。
半屋なんだと、改めて思う。

と、その色の無い肌がさぁっと赤く染まっていくのを見た。
はっと気が付くと、半屋は怒っていた。
「何をジロジロ見てんだよ!」
と言っている。
梧桐は自分の時が止まっていた事に初めて気が付いた。

と同時に、半屋のその姿に経験のない感情が沸いた。
梧桐の視線に赤面している。
恥ずかしさを隠すように懸命に喚いている。
今感じている自分の不可思議な現象が、半屋にも起こっているのか?
そう思うと、堪らなく熱い感情が込み上げてくる。

これはもしかして、ひょっとするとひょっとするかもしれない。

 

突然の再会に、半屋は動揺していた。
もちろん、再会自体にも動揺しているが、それ以上に。
梧桐勢十郎がおかしい。

名前を呼ばれて振り返ると、そこには梧桐がいた。
髪型くらいしか変化がない外見。すぐに梧桐だと分かる。
名前を口にしてみると、梧桐はこちらへ更に歩み寄ってきた。

その後、目の前の梧桐に半屋は困っている。
何も言わない。
ただじっと、ひたすらに半屋は梧桐に見られている。
何なんだ、この視線は!
と思いつつ、半屋自身も謎の動悸に襲われていて声が出なかった。

やっとの思いで言葉を発すると、梧桐ははっとしたように表情を変えた。
そして半屋の真っ赤に火照った顔を再度見つめる。
半屋は何故か赤面している自分を隠すために憎まれ口を叩いたが、梧桐の耳には届いていないようだった。
本当に梧桐勢十郎がおかしい。

また呆然としている梧桐に半屋が顔をしかめていると、突然梧桐がふっと口元を緩めた。
そのまま、楽しそうに笑い出した。
とうとう気が触れたか!?
そう半屋が困惑していると、梧桐は突然半屋の腕を掴んだ。

心臓が止まるかと思った。

今までこんなに激しく心音が聞こえた事はない。
半屋は今度は自分の身体に困惑する。
全身が熱くて、目が回る。
梧桐の腕を振り払いたいのに、全く力が入らない。
そのまま自分を引っ張っていく梧桐の背中に「少し広くなったな…」などと呑気な感想が浮かんできたり。
本当にもう訳が分からない。
おかしいのはオレも同じだ、と半屋は思った。

人ごみを抜けて、梧桐は半屋を人気の無い細い路地まで連れ込んだ。
街のざわめきが遠退いて、静けさに包まれる。
いつもは好きな静けさが今の半屋には迷惑だった。
鼓動がより大きく聞こえる。
そして、梧桐の存在を意識せざるをえなくなる。
まだ繋がれたその手からは梧桐の熱い体温が流れ込んできていた。
静かだからこそ聞こえてしまう、梧桐と自分の呼吸の音。
梧桐の息が少し上がっている事を知る。
早く繋がれた手を振りほどきたいのに、身体は一向に言う事を聞かず半屋を困らせる。
せめて梧桐の顔だけは見たくなくて、半屋は俯いて黙っていた。

「相変わらず冷たい手だな。」
更にそんな一撃を梧桐は半屋に与えた。
その言葉はグサリと半屋の胸に突き刺さる。
自分が感じているように、梧桐も半屋の体温を感じている。
その状況を意識させる余計な一言だった。
しかもその声音が聞いた事の無い優しげなものだったから更に性質が悪い。

「もう離せよ…手……。」
どうしてもこの状況から逃れたくて、半屋は無理に言葉を吐き出す。
たどたどしいその言葉が梧桐をますます楽しませているとも知らずに。
今、自分の姿が、どれほど梧桐にいとおしいものとして映っているのかも気付かずに。

「手を離す前に、一つ言ってみたい言葉がある。」
「ちゃんと聞いていろ」と言われたので、早く逃れる為にも半屋は顔を上げて梧桐を見た。

「半屋、お前の事が好きだ。」
 

 

「告白」を、してみようかと思う。

今まで考えた事がなかった。
いや、考えてみるはずが無かった。
自分が恋しいと思う相手が、ずっとケンカしていた男だと思い浮かぶはずもない。

半屋が自分にとってどんな存在なのか。
梧桐は考えた事がなかった。
だが、今こうして半屋を前にして思う。
自分の半屋に対する感情は、他の誰に対する感情とも異なった色を持っていると。

半屋が大切な存在だとは分かっていた。
だから小学校を卒業して別れたあの日、自分がとてつもなく寂しく感じた訳も大切な友人と会えなくなるからだと理解した。
だが、一つ理解に苦しんだのは、半屋の最後の表情が焼き付いて消えなかった事。
あれほど人の表情に、心を動かされた事はない。
あの時半屋は何を思っていたのか。
そう思うと眠れなかった。
今思うと、悲しかったのだと思う。
半屋にあのような弱々しい表情をさせたのが自分なのだと思うと堪らなく悔しくて。
大人の事情という壁の前で、自分にはいつも何の力も無い。
暗闇の中、その何も出来ない小さな手を見つめると、苦しくて。
あの夜、眠れなかったのだ。

あんな思いは今までした事がない。
半屋に対してだけ抱いた特別なものだった。
それからずっと、半屋とは会う事もなかったけれど。
本当は会いたいと思っていた。
そう、梧桐にとっても本気でケンカをできる相手など半屋しかいない。
半屋と出会ってから、梧桐には楽しいと感じる時間が増えた。
半屋だけがわだかまり無く、ケンカの相手をしてくれた。
中学校生活に不満など無かったが、あの心から楽しい時間だけは欠けていた。
ずっと満たされない日々の中、半屋がいれば、と何度も思っていた。

そう様々な事を思い始めると、半屋の存在が自分にとって恋愛対象に当てはまるのではないか?と思えてきた。
あの夜の寂しさも。
あの頃の楽しさも。
今、この瞬間の嬉しさも。
梧桐が想像し続けてきた、恋愛感情そのものだった。

そして今、もう一つ気が付いた事がある。
目の前で真っ赤になって戸惑っている、この人間の存在に無性に心を惹かれる。
梧桐を見ないように俯いているその分かりやすい照れ隠しも。
いつもとは違う戸惑った声も。
全て梧桐に対してだけ見せるものだと分かるから、いとおしい。そう感じる。
繋いでいるその手から伝わる、自分より冷たい心地良い体温も。
その手のひらが自分の熱い手によって汗ばんでいく感じも。
もっと感じていたいと思う。
きっと梧桐だけが知っている、半屋の様々な表情や内面。
その全てが自分の傍にあれば?
反対にその全てが他の人間のものになったら?

誰にも抱いた事のない、この感情。
これを人は欲望と呼ぶのではなかろうか。

今、半屋が欲しくて仕方が無い。

ただ、この感情を恋だと断定するには一つだけ足りないものがあった。
本によると、人が恋人同士になるには「告白」というものが必要らしい。
その人間に「好き」だと伝える行為。
このたった一言を相手に伝えるのは恥ずかしく、また恐れもあり、極めて困難だと聞く。
だが、梧桐にはその難しさが想像できない。
確かに恥ずかしいだろうとは思うが。
でも、たったの二文字だぞ?

好きだ。
半屋、好きだ。

ほら、言えそうだ。
簡単そうだ。
「告白」というものが簡単にできたとしたら、半屋に抱くこの感情は「恋」というものとは違うという事になるのではないか。

だから、梧桐は試してみようと思う。
そもそも自分でも半信半疑なのだ。
半屋は男である訳で、はたして同性に対して「恋」というものは生まれるのかどうか。
このもやもやとした気持ちは、さっさと晴らしてしまおう。
例えこの感情が「恋」であってもなくても、半屋が大切な人間であるという根本は変わらないのだから。

 

あまりの出来事に、思考が停止する。
今この男は、オレに何を言った?

絶句する半屋を梧桐は余裕の表情で眺めていた。
何を思っているのか、半屋には相変わらず読めないのだけれども。
その表情と、聞こえた言葉の意味合いが合致しない事は確かであった。

しばらく意味が分からずに呆然と梧桐を見つめてしまっていた。
半屋はその状況にはっと気が付き、また赤面する。

「今…何て言った……?」
半屋は信じられない梧桐の言葉を、もう一度確認してみた。
梧桐は「全く、これだから日本語の分からんサルは…。」などとブツブツ言った後で。

「だから、お前の事が…す…好き…だと……?」

段々小声になっていく梧桐の声に、半屋は「は?」と聞き返してみたが、もう一度梧桐の声を聞く事はなかった。
みるみる梧桐の顔が赤くなったかと思うと、そのまま逃げ出した。
あの梧桐が一目散に逃げ出したのだ。

あっという間に姿を消した。
もうその後ろ姿さえ見えなくなっていた。
夢か幻かとも思えるし、むしろ思いたかったのだが、半屋にはそれが出来なかった。
突然離された手のひらが、冷えていくのを感じていたから。

一瞬見せた、あの表情。
逃げていく、情けない後ろ姿。
あれがあの梧桐勢十郎?
思い出すほど、おかしくておかしくて、半屋の表情が緩む。
滅多に感じないその面白さに、しばらく半屋は笑い続けた。

そして笑い終えた後、その路地には再び静けさが戻る。
慣れない笑うという行為にただでさえ疲れている半屋は、その上更に疲れる事をしなくてはならない羽目に。
やはり静けさは、今日ばかりは半屋の敵であった。

「好きって…。」
そう梧桐の言葉を思わず復唱してしまう。
その声は大層小さなものだったのだが、静かなこの場所ではやけに大きく聞こえてしまった。
半屋は自分の声に悶絶。
自爆行為だった。

半屋はこの時、自分の気持ちを認めようとはしなかった。
そして今も、梧桐へ抱くその感情を認める事は無い。

だが、半屋はこの時、気付いてしまった。
梧桐と再会した瞬間、本当は相当嬉しかった。
その声が少し低く変わっていた事に気が付いた。
手を引かれた、その恥ずかしさの中で、梧桐の手の大きさを知った。
視線を感じると、どうして良いか分からなくなった。
これほど様々な事を、他人に感じた事はない。

そして何より、梧桐の告白に
勝手に心が喜んだ。

気持ち悪いとか、冗談に決まってるとか、頭が懸命に批判するのに。
半屋の心は勝手に梧桐の言葉を受け入れた。
その声を深く刻み込んで、消えないようにしてしまった。

自分は決して抱く事の無いと思われた、その甘ったるい感情を。
まさか梧桐に抱くとは思うはずも無かった。
恋愛感情、というその存在。
一生認めるつもりなど無いけれども。

 

何なのだ?何が起こったのだ??
オレが半屋から逃げる事になろうとは。
こんなに止め処も無く体温が上がるとは。
恐ろしい。
「恋」というものは、こんなに恐ろしいものだったのか。

告白をしてみた瞬間。
あの時は何も起こらなかった。
ほらみろ、やはりオレには恋心などという甘っちょろい感情は存在しなかった。
半屋にオレが惑わされるなどと、そのような事は起こるはずがないのだ。
梧桐は自分の思い違いを心の中で嘲笑った。
いつもの自信を取り戻し、落ち付いて半屋を見下ろす。

それが良くなかった。

呆然とする半屋が口を開き、もう一度梧桐の言葉を求めた。
その瞬間、梧桐には伝わってしまった。
ただでさえ表情に出やすく、分かりやすい半屋の気持ち。
梧桐には更によく分かる。

半屋は今聞こえた信じがたい言葉を、もう一度聞いて確信したいと思っている。
梧桐の「好きだ」という告白をもう一度求めているのだ。

半屋自身にはそんな意識はなかったのだろう。
ただその表情は、明らかに信じられない言葉の肯定を望んでいた。
梧桐は自分の事ばかりを考えていた分、予想外の事態に困惑する。
軽く流せなくなった。
いつものように「冗談だ」と、茶化せなくなった。
自分がどうなるのかばかりを考えていて、半屋の反応など全く頭に無かった。
オレだけが、男を好きだなどと狂った感情を持っているのだと思ったのに。
まさか半屋が受け入れるとは。

そして、その事実をまた、自分が無性に嬉しく思っている事に愕然とする。
この告白が成功して、半屋が自分だけのものになる。
そんな可能性が存在するとは。
全ては予想外だったのだ。

だが、そう意識した瞬間から、異様な緊張が梧桐を襲う。
「好きだ」という言葉を発すれば、それが半屋に伝わるのだ。
これが「告白」というものなのか。
先程までは半屋が男である分、気持ちが軽かった。
だが、今度は本当の「告白」だ。
相手が受け入れるか、突き放すか。
二つに一つ。
勝負の時。

そこまで来て、恋愛感情に慣れていない梧桐の、その緊張は極限に達した。
全身が熱く火照って、口が回らなくなった。
恥ずかしい。
このような恥ずかしい姿を、半屋に見られてたまるか!

そして今に至る。
呼吸困難になるほど、走って走った。
この熱さや動悸は、そのせいもあるのだろう。
だが、半屋はもう傍にいないというのに、恥ずかしさが強く残っている。
告白をしてしまったのだと思うと、いつまで経っても顔が熱くなる。

結論ははっきりしていた。
オレは半屋に「恋」をしている。

 

「半屋。」
そう名前を呼ばれ、見つめられると、今でも半屋は緊張する。
あの日から、もう2年半も経っているのに。

その後、梧桐は半屋が進学を希望する高校を探り、同じ高校を受験した。
4月の満開の桜の下、2人は目出度く再会を果たす。
意地っ張りな半屋はやはり悪態をつき、とても嫌そうな表情をした。
だが、梧桐には当然分かってしまう。
半屋がこれからの高校生活を思い、喜んでいる事など。
半屋はそのような感情を自覚しつつ、懸命に「ケンカ相手がまた出来て嬉しいだけだ」と自分に言い聞かせた。
全てお見通しだと笑う梧桐。
その笑顔を意識しまいと、向きになって反抗する半屋。
柔らかな春の日、2人の暖かな日々が始まりを告げようとしていた。

ただ、それから2年間、すれ違うことも多かった。
この2人の性格上、そう簡単にはお互いを認め合えない。
気持ちは変わる事なく、むしろその病はどんどん進行していたのだけれども。
半屋はその症状に抵抗し、梧桐は時間の無さも相俟って再びその感情を表に出せないでいた。
あの日から、結局2人は恋人とは呼べない、曖昧な関係のまま過ごしていた。

「もう一度、あの言葉を口にしてみても構わないか?」
梧桐の動作とは思えない程ゆっくりと優しく半屋の頬に手が添えられる。
大怪我を負って入院していた半屋の元を、梧桐は度々訪れていた。
だが、こうして一人で訪れ、しかも病室に他の見舞い客が誰もいないという状況は今日が初めてだった。
静かな室内に2人きり。
否応無しに緊張が高まる。
互いの存在だけが強く意識される。
あの日と同じように、静けさは今日も半屋の敵となった。

本当はいつものように、かわしてしまいたかった。
「誰がてめぇの話なんか聞くか」とか何とか、いつもならそう言って逃げる事が出来るのに。
今日ばかりは病院のベットの中。逃げ様がない。
梧桐はその状況を利用したのでは決して無く、ただ偶然この状況に恵まれただけだったのだが。
半屋は「卑怯者」と小さく呟いて、恨みがましい視線を向ける事しか抵抗出来なかった。

梧桐の口が2年半前と全く同じ動きをした。
そして、今度はあの日のように逃げる事もなく、それでもやはり少し火照った顔で半屋に微笑んでみせた。
きっと半屋だけが、こんなに穏やかな梧桐の笑顔を知っている。
「恋」というものに冒された半屋の全身を、その幸福感という麻薬が満たしていく。

半屋はそれでも梧桐の告白には何も答えなかった。
その代わりに大人しく、触れてくる梧桐に身体を預ける。
それだけで、梧桐には十分答えになっていた。

熱が全身を支配して、何も考えられなくなる。
ただ相手の存在だけを必死で確認しようとする。
こんな風におかしくなっていく自分はやはりお互いにとって恥ずかしい。
そして恥ずかしい、などと感じている自分が更に恥ずかしい。

それでもこの感覚は決して不快なものではなかった。
その心地良さを、梧桐は素直に認め、半屋は相変わらず認めまいと強がったけれども。
ただ、半屋もこの感情を、今だけは許してやろうと思った。

この「恋」という病は人を度々困らせる。
けれども、その分与えられる幸せな感覚も並大抵のものではない。
こんな自分も悪くない、と2人は密かに思っている。

甘ったるい感情など下らないと思っていた。
でも、人並みに人生を楽しんだって。
人並みに幸せな時間を求めたって。
きっと、悪くは無いはずなのだ。

きっと2人で過ごす日々は。
 

今回のテーマ:「梧桐さんの告白」
今回の課題:一人称の練習。(←途中挫折気味)
        セリフ中心の文章の改善。

という訳で、書きました。
軽い気持ちで書いたのに、結局こんなに無駄に長くなってしまった…。
そして…甘い。
とてつもなく。
文中に「恥ずかしい」と何度も書かれていますが、本当に恥ずかしかったのは書き手の私です。
他、色々言い訳をしだすと切りが無いので止めておきます(^^;)

このお話を、梧半がお好きな全てのお嬢さま方に捧げます。


駄文学目次