初春の心
「あけましておめでとうございます。」
「今年もどうぞよろしくお願いします。」
そんな他愛もない新年の挨拶。
何年振りだろうか。
前回がいつだったのかも思い出せないほど久し振りに、半屋家の郵便受にこの葉書は入っていた。
姉がからかいながら手渡したその葉書には印刷された地味な馬の絵。
そしてその横に人柄を思わせる小さく丁寧な字で、お決まりの挨拶文が書かれている。
はっきりと「半屋工」宛てに送られた、年賀状なのだ。
差出人の名は「青木速太」。
半屋は驚きなのか、呆れなのか、感心なのか、よく分からない気持ちで呆然とその葉書を見詰めていた。
中学あたりから、誰も半屋に年賀状など送る人間はいなかった。
特別親しい人間どころか、それなりに馴れ合っているクラスメイトもいない。
部活動などにも真面目に参加していない。
誰からも「よろしく」される云われがないのだ。
たった一人存在する「古くからの知り合い」も、そんな物を送ってよこす様な柄でもなく。
今まで一度だって、新年の挨拶などされた事はない。
と、そこまで考えて、半屋は慌てて思考を中断させる。
折角顔を合わせる事も無くなったというのに、何故わざわざ思い出してしまったのか。
自分を叱咤して、そのまま葉書を伏せて置く。
長い休みに入り、一度も会う事もなく。
そしてまだ後一週間程、休みは続く。
あの鬱陶しい存在が傍から消えて清々している、はずなのに。
半屋はもう何度も、彼の事を思い出していた。
今日のように何か些細な事がある度に。
しかも昔のように、怒りや憎しみの感情とともに思い浮かべるのではなく。
自然とその存在が脳裏に浮かんでくる。
そしてその姿に、もう苛立ちを感じなくなっている自分。
それどころか…。
「姉貴、ちょっと出てくる。」
自覚したくない感情を振り切るように、半屋はそう姉に声をかけて外へ出た。
目的無く外へ出た半屋を襲ったのは、あまりにも冷たい北風だった。
とてつもなく寒い。
頭を冷やすには丁度良い、という次元の寒さではない。
更に、とっさに外へ出てしまった半屋は軽装で、寒さが何倍にも感じられる。
馬鹿な事をしたとは思いつつ、このまま何もせずに帰るのは余計に馬鹿らしい。
声をかけてしまった姉にも何を言われるか…。
仕方が無いので、半屋は煙草でも買って帰る事にした。
服が冷たさを増す。
歩く事によって体温は上昇しているはずなのだが、外気の冷たさがそれを上回っているらしい。
ただでさえ寒さに弱い半屋は相当苛立っているのだが、しかしその矛先が何も無い。
彼を思い出したのも自分。
それを打ち消そうと慌てたのも自分。
冷静さを欠いて外に出たのも自分。
自分に苛立つしかない。
駅まで向かう道の途中にある、いつもの煙草の自販機。
そこで吸い慣れた煙草を選んで買う。
そのまま帰りたいのは山々なのだが、寒さを堪えてそのまま裏の神社へと足を運ぶ。
新年で姉夫婦まで帰ってきている自宅は、実は非常に居心地が悪い。
周りが口煩く、煙草もろくに吸えない。
外に居るのも寒くて嫌だが、折角だから帰る前に思う存分煙草でも吸って帰ろうと思うのだった。
いつも人気の全く無い神社の境内が、今日ばかりは騒がしい。
名のある大きな神社ほどではないが、付近の住民は初詣をここで済ますらしく、何やら賑わっている。
半屋はそのような事に興味はなく、その人集りからは少し離れた小さな建物の脇で煙草に火を付けた。
ここも何かの神らしいが、人はほとんど来ない。
大木によって薄暗く静かなこの場所は半屋には丁度良かった。
寒さや、先ほどの思考に苛立っていた気持ちも、段々と落ち着いてくる。
そのまま何も考えないように、思い出さないように、半屋はひたすら煙草を吸い続けていた。
しばらく煙草を燻らした後、その場を立ち去ろうとした、その時。
その小さな建物に手を合わせている、見慣れた人物と出くわす。
あまりの驚きで出そうになった声を辛うじて抑え、目を開けるその前に逃げようと半屋は忍び足でその場を離れようとした。
いつもならコソコソと逃げるような事はしないが、今日は駄目な気がする。
まさに一番会いたくない人物に会ってしまったという感じ。
掛ける言葉も、その後に吐く悪態も、何も頭に浮かんでこない。
殴るような気力も沸かないし、倒れてから起き上がる事も出来ない気がする。
何が自分を弱く塗り替えているのかは分からないが、今日はとにかく会いたくない。
そう思い、静かにその場を去ろうとする半屋の気持ちを知ってか知らずか、無情にもその人物は半屋を呼び止めるのであった。
「待たんか、サル。」
笑いを堪えつつ、発せられるその声。
梧桐はそこでいつものように「誰がサルだ」とか何とか勢い良く反論される事を期待したのだが、半屋はそれどころか振り向こうともしない。
一瞬止めた足を、強引にもまた進めようとした半屋の腕を慌てて掴むと、その腕も振りほどかれる。
「何だ。機嫌が悪そうだな。」
そう眉を顰める梧桐の顔を、相変わらず半屋は見ようとしない。
だが、そういう態度を取る時の半屋の扱い方も、梧桐には分かっている。
こういう時に必要なのは、強引さ。
半屋は梧桐の押しに弱いのだ。
梧桐は振り解けないほど強く半屋の腕を掴むと、そのまま自分の方へと引き寄せる。
無理やり向かい合わせても目線を逸らそうとする半屋に、梧桐は妙に楽しそうな表情をする。
「てめぇ…離せよ。この恥知らず…。」
怒りを含みつつも力の無いその声に、梧桐の「からかいたい欲」は更に刺激される。
寒さで冷たくなった手が、細かく震えている。
それは寒さよりも何よりも、必死で逃げようとしている事によるものだ。
何か隠しているのだろうと、そう分かるからこそ一層離したくない。
半屋が自分に抱く感情ならば、それがどういった物であっても、全て知りたい。
把握しておきたいと思う。
「何が恥ずかしいのだ?周りの人間の目が気になるのか?」
そう意地悪く聞いてみると、半屋の顔が上気する。
その反応が、梧桐には楽しくて仕方が無い。
気の強い半屋が、梧桐にだけ見せるその反応、その表情を。
引き出したいと思えば思うほど、梧桐の言葉は意地悪くなっていく。
「キスするぞ。」
半屋はあまりに突拍子も無いその言葉に、一瞬抵抗すら忘れた。
「逃げるな、半屋。新年早々傷付くではないか。まだ逃げると言うのなら、今ここでお前の腰が抜けて動けなくなるほどの深い口付けをお見舞いするが?」
そう言って、覗き込むように顔を近付ける梧桐に、半屋は我に返って暴れ出す。
「離せ」と必死になって半屋は腕に力を込めるが、梧桐の腕から逃れる事は出来ない。
「ふざけんな!こんな所で何言ってんだよ、この変態!!」
身の危険を感じたからか、渾身の力で抵抗し始めた半屋に、梧桐は内心安堵する。
ここまで落ち着けば大丈夫だろう、と判断した梧桐は掴んでいた腕を離した。
「全く礼儀を知らんサルが。人を見付けるなり逃げ出すのは失礼だろう。」
そう偉そうに半屋を嗜めている梧桐。
キス云々を梧桐なら本気でやってのけそうな気がして、半屋はとりあえず逃げることを諦めた。
「…んで…こんな所にいんだよ……。」
先程半屋が煙草を吸っていた場所で隠れるように立つ二人。
梧桐は人と騒いでいる事が多いが、実はあまり人混みを好まない。
お互い気付いてはいないが、そういう似通った部分が二人にはあった。
静けさの中、隣で呟く半屋の疑問は聞えているのだが、梧桐は答えず。
冷たい手をした半屋に「甘酒でも飲むか?」などと勧めた。
半屋は梧桐が買いに行くその間に逃げる事を思い立ち「飲む」と素直に答えたが、そんな幼稚な策など梧桐に通じる訳も無い。
梧桐は「買ってきてやる」と言って離れる際に、一言「今逃げても、新学期登校早々に校門の前でキスするからな」と釘を刺した。
その恐ろしいシチュエーションに半屋は絶句する。
梧桐はこの「キスしてやる」という脅し文句が相当気に入ったらしく、心底楽しそうに立ち去って行った。
しばらく居た堪れない気持ちで甘酒を口に運んでいた半屋だったが、いい加減この妙な沈黙に耐え切れず、無理に話題を探した。
人との会話を好まない半屋だが、梧桐の傍に居ると沈黙のほうが耐え難い。
余計な事を考え、余計な事を感じる。
「そういえば…何を願ってたんだ?」
その如何にも無理に搾り出したらしき質問に、梧桐は噴出した。
笑われた事で赤面した半屋は見ている分には面白いが、さすがに少々苛め過ぎた感もあって梧桐は笑いをそこそこに抑えて、口を開く。
「安産祈願。」
「はぁ!?」
半屋が思わず素っ頓狂な声を上げる。
また遊ばれている、と当然思った半屋が拳に力を込めるより早く、梧桐は社を指差す。
その方向へ目をやると、女の御神体に「安産」云々と書かれた札。
冗談かと思いきや、どうやら本当に安産祈願をする所らしい。
「……誰の?」
当然浮かぶ疑問を恐る恐る口にする半屋。
「お前のだぞ。そろそろ産まれる頃だろう?」
「……!!」
今度こそ本当に殴る半屋。
だが梧桐はそれを軽く受け止める。
「身体が鈍っとるんだろう。いつにも増して遅いぞ。」
そう不敵な笑みを浮かべる梧桐。
そこでいつもなら半屋はもう一度殴りにかかり、梧桐も殴り返し、始まったケンカは半屋が倒れて起き上がれなくなるまで続くのだ、が…。
やはり半屋の動きはそこで止まってしまうのだ。
止められた拳を力なく戻し、そのまま背を向ける。
「帰る。」
そう一言だけ言葉を残し、そのまま歩いていく。
「半屋。」
そう呼び止める梧桐には、もう半屋の変化の訳が分かっていた。
不器用な半屋は、たった一週間程一人になっただけで、人との、梧桐との接し方を見失ったのだ。
一人の時間が長ければ長い程、人は様々な事を考えてしまう。
自分の事であったり、周囲の人間の事であったり、時間があればある程、深く深く追求してしまう。
だからこそ半屋を一人にしてはならない事を梧桐は知っていた。
子供の頃はそんな事には気付きもしなかった。
だから梧桐は半屋を思うがままに構いたい時には構い、気が向かない時には放って置いた。
何も無い半屋の中に土足で入っては、勝手に去っていく。
今思えば、それは何て残酷な行為だった事だろう。
半屋には梧桐への執着以外に、内を支配するものが何も無い。
例え梧桐が傍に居なくても、他の事に内面が塗り替えられる事がない。
半屋が青木に怪我を負わせた時、梧桐は考えた。
本来弱い者には手を出さない、その半屋を壊したものは何なのだろう、と。
そして梧桐は答えを見付けたのだ。
自分が手放している間、半屋が何を思うのか。
誰かと笑い合い、大騒ぎをし、自分が半屋の事を忘れてしまっている間、半屋が何を思うのか。
「半屋、会いたかったぞ。」
そう口に出してみて、改めてその感情を実感する。
あの日、その事に気が付いてから、梧桐の中には半屋がいる。
誰かといても、もう半屋を忘れる事など出来なくなった。
一人になると、益々半屋に支配される。
静けさの中、半屋も一人の部屋で自分の事を思っているだろうか、と期待する。
そう思うと、放って置けなくなる。
半屋を一人にしたくないと思うようになった。
自分がつまらない、寂しいと思う以上に、半屋がそう思っている気がして。
翌日には用も無いのに半屋に会いに行ったりしていた。
半屋の為のようで、本当は自分の為に。
今まで半屋を思わなかった分を埋める様に、毎日毎日半屋を思い、寂しさを感じる間もない程、半屋の傍にいた。
そんな一年だった。
「もう少しだけ傍にいろ。」
命令調なその言葉には、何処となく懇願するような色が含まれていた。
半屋が振り返ると、そこには変わらずに立つ梧桐がいる。
偉そうな立ち姿も、その表情も何も変わらない。
だが、半屋は戻らなければならないような気がする。
何も変わらないはずなのに、梧桐を置いていけない、と思えた。
ふらっと戻っていく自分を、半屋は他人事のように感じていた。
梧桐の言う通りに動く自分など信じ難い。
もしかしたら甘酒に酔ったのか?などとあり得ない事をうっすら思う。
「この一週間、寂しかったか?」
などと馬鹿げた事を隣で言う梧桐に「誰が。」と返すと、何故か嬉しそうに梧桐は微笑む。
「オレは寂しかったぞ。やはりサルのいない生活などつまらん。」
そういうと、半屋は「誰がサルだ」と毎度の事を反論しつつ、顔を赤くした。
もう手放す事など出来ないな。
梧桐は思い、苦笑する。
半屋はきっと帰宅しても、自分を思うのだろう。
そしてそれは梧桐も同じ事。
退屈に感じていた毎日が嘘のように、今は暖かい。
半屋が自分の事を思い、自分は半屋の事を思い。
そんな幸せな日々がこの先もずっと続けば良い、と。
信じた事などないこの神社の神にでも願ってみようか。
梧桐は帰り際、その古ぼけた建物を振り返り、そんな事を思った。
「去年は良い年だった。」
そう梧桐が言う。
多くの者と知り合い、古くからの蟠りは解け、楽しく過ごす事が出来た、と笑う。
それは少なからず半屋にも云える事であった。
梧桐を通してではあったが、去年一年で今までになく多くの人間と出会った。
自分を恐れもせずに構う者、親身に気遣う者、戦いたいと思わせる者。
様々な人間と出会い、様々な感情を向けられた。
そんな変化の一年だった。
それを素直に「良い年」と言う事は半屋には出来なかったが。
「半屋。」
そう呼ばれ、顔を上げると、梧桐は自分のしていたマフラーを半屋の首に巻いた。
恋人同士のような甘い行為に半屋は一気に赤面してしまったが、梧桐はからかう事はせずに口を開いた。
「お前無しでは良い年になど為りえん。今年もよろしくな。」
柄にもない事を言ってしまった恥ずかしさからか、梧桐は逃げるように駅へと走って行く。
そんな梧桐よりも、半屋は更に困っている。
頭にどっと血が上り、真っ赤になった顔は人に見せられたものではない。
目が回る程の熱さが全身を襲っている。
暫くは動けそうもなく、半屋は梧桐の走って行く姿を呆然と見送っている。
と、その梧桐が改札の向こうで立ち止まり振り向いて、半屋に向かってとんでもない事を言う。
「そのマフラーは貸しておいてやるから家までしていけ。お腹の子供の為にも身体を大切にせんか、この病弱ザル!」
甲高い梧桐の声は駅周辺一帯に響き渡り、人々の視線はどっと半屋に注がれたのであった。
ふと半屋は一つの疑問を思い出した。
梧桐は何故大して有名でもないこんな神社に、遠路遥々来ていたのか。
どうでも良いような、大切なような謎だと感じる。
「ただいま。」
そう姉に声を掛けると、目敏く「そのマフラー、どうしたの?」などと問われてしまった。
当然「梧桐に借りた」などと言えるはずもない。
「途中で寒くなって買った。」
そう言って、逃げるように階段を上る半屋。
弟の嘘など姉には簡単に見抜けるのだが、姉は「ふーん」などと流しただけで、いつものようにからかいはしなかった。
二階から勢いよくドアの閉まる音が聞える。
「可愛いヤツ。」
半屋に聞えなくなってから、姉はそう言って笑った。
部屋に戻ると、その静けさに気分の高まりが冷えていく。
だが、完全には落ち着く事が出来ない。
この首に巻き付いているものが、梧桐の存在感を残している。
暖房の効いていないその部屋の寒さの中、妙に首だけが温かく、半屋は妙な気分になる。
巻かれた時にそのマフラーに残っていた、梧桐の体温。
その暖かさに、まだ首が包まれているような、そんな気恥ずかしい意識が拭えない。
「疲れた…。」
そう呟いて、そのままベットへと倒れ込む。
外したいのに何故か外せないマフラーをそのままにして、目を閉じる。
このまま眠る事が出来ればいいのだが、恐らく無理だろう。
耳に残る梧桐の声。
初めて「よろしく」なんて言われた。
そんな事、どうでも良いのに。
忘れられない。
腹が立つ。
「よろしく、なんて…されてやんねぇ……。」
枕に突っ伏して、一人半屋は梧桐にそんな返事を返した。
本当に無駄に長い話で申し訳ない…。
最後まで読んで下さった方、お疲れ様でした(苦笑)ありがとうございます。
今回は書きたいネタが二つしかなく、「今度こそSSと呼べる長さのものが書けそうね!」と思い、気楽に書き始めたのですが…。
結局は丸2日です。全然SSという長さではありません。
お気付きの通り、無駄な部分が多過ぎるのですね〜。
でももうヘトヘトで推敲して削るのも面倒なので(オイ)このままアップしてしまいます。すみません…。
ちなみに書きたいネタというのは「半屋君への年賀状」と「梧桐さんの安産祈願」です(笑)
多分この話を読んだ方は、「マフラー」を書きたかったんだろうな〜と思われたのでは?と思いますが、それは間違い。
マフラーの部分は自然に発生したのです。
ダラダラと書いていたら、梧桐さんが勝手に半屋君にマフラーを巻いたのです!
書き手が言うのも何ですが…「オイオイ…いちゃついてんじゃねーよ!」という感じです(笑)
後、梧桐さんが延々語っている「半屋はオレのもの」自慢も全く計画にはありませんでした。
これまた勝手に梧桐さんが「不器用な半屋は〜」などと自慢し始めたのです。
もう、白雪さん憤慨(笑)
何度も言うように、自分で書いた訳なのですが、全くもって「梧桐さん、こんちきしょうめ!」な話です。
私も半屋にマフラー巻きたいですわ(笑)
今年も『coffee&milk』は梧半への愛のみ(笑)で運営してまいりますので、末永くお付き合い下さいませvv
表は無駄にラブラブで、裏は無駄に不幸な(苦笑)当サイトのお2人さんですが、どうぞ本年も宜しくお願い致します!
02.01.11 白雪純 拝