|
|
|
AC MILAN |
|
|
監督 |
Carlo ANCELOTTI 【カルロ・アンチェロッティ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1959.6.10
出身: イタリア、レッジオ・エミリア
経歴(歴任チーム) |
95-96 |
レッジアーナ(B) |
98-01 |
ユベントス |
96-98 |
パルマ |
01-現 |
ミラン |
現役時代はパルマ、ローマでプレーした後、1985-86シーズンからサッキ率いるACミランでプレーし、中盤の底でサッキのプレッシングサッカーの戦術的キーマンとして活躍。80年代後半のミラン黄金期を支えた。引退後は、サッキのアシスタント(94年アメリカ・ワールドカップのイタリア代表アシスタントコーチなど)として監督修行を開始し、95年に故郷のレッジアーナで監督デビューを果たした。
1年目でレッジアーナを昇格させることに成功し、その実績を買われ、セリエAのパルマに監督業2年目にして就任。パルマでも1年目2位、2年目6位と好成績をおさめ、(1998-99シーズン)名門ユベントスの監督まで上り詰めた。ユベントスでは好成績(6位、2位、2位)を残すものの、あと一歩のところでタイトルには及ばず、2000-01シーズンで退任した。その後、翌年の2001-02シーズンに結果が出ないテリム・ミランの後任として古巣であるミランの監督に就任。途中就任でありながらリーグ4位、UEFAカップベスト4とまあまあの結果を残した。そしてリバウド、ネスタを獲得した翌、02-03シーズンにミラン久々のビックタイトル、チャンピオンズリーグをもたらし、自身の万年2位の汚名を払拭した。その後、スクデット等の様々なタイトルを獲得し、名将の仲間入りを果たした。が、実績は残すがそのサッカーはおそろしい程、リスクを極限まで減らした慎重サッカーなのでファン以外にはまったくウケナイ、つまらないと酷評されている。 |
FW |
9 Filippo INZAGHI 【フィリッポ・インザーギ “ピッポ” 】
獲得回数 |
チームタイトル |
2回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
2回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
1回 |
ワールドカップ2006 |
シーズン |
個人タイトル |
1996-97 |
イタリア・セリエA得点王 |
生年月日: 1973.8.9
身長: 181 cm 、体重: 74 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ピアチェンツァ
経歴チーム |
91-92 |
ピアチェンツァ(B) |
95-96 |
パルマ |
92-93 |
レッフェ(C1) |
96-97 |
アタランタ |
93-94 |
ヴェローナ(B) |
97-01 |
ユベントス |
94-95 |
ピアチェンツァ(B) |
01-現 |
ミラン |
2002-03シーズンにユーベに4,000万ユーロ(約54億8,000万円)もの移籍金(クリスチャン・ゼノーニの違約金を含めた合計金額)を支払い獲得。とても高額な移籍金だったが、それに見合うだけの活躍をした格好となる。長い間タイトルから遠ざかっていたミランに、久びさのチャンピオンズリーグというビックタイトルをもたらしたのだ。このタイトル獲得の背景にはピッポの活躍抜きには語れない。このシーズンのチャンピオンズリーグでは16試合に出場し、ゴールネットを12回も揺らしたのだった。相方のシェバがまったくと言っていいほど活躍しなかっただけに、このシーズンはピッポがチームを牽引していたと言っても過言ではないだろう。しかしサッカーとは恐いもので好調の後には悪いことが続くとよく言ったものだが、現実にそうなってしまった。翌2003-04シーズンは早期に怪我をしたせいもあり、調子を崩してしまい前シーズンでのシェバとの立場が180°入れ替わってしまったのである。悪い流れは断ち切れず、ほとんど活躍することが出来ないままシーズンが終わってしまった。2004-05シーズンも怪我が完治せず、チームに貢献することができなかった。2年間の不振もあり、放出の可能性もあった翌年の2005-06シーズ、自ら奮起し、不死鳥のように復活。終盤には新鋭ジラルディーノを追いやってシェバのパートナーとして活躍した。その勢いで、普通なら無理だと言われていたドイツW杯メンバーにも選ばれ、貴重なゴールをあげるなど、イタリアの優勝に貢献した。 |
|
11 Alberto GILARDINO 【アルベルト・ジラルディーノ “ジラ”】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
ワールドカップ2006 |
1回 |
U21-欧州選手権2004 |
シーズン |
個人タイトル |
2004 |
U21-欧州選手権得点王 |
生年月日: 1982.7.5
身長: 184 cm 、体重: 76 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ビエラ
経歴チーム |
99-00 |
ピアチェンツァ |
02-05 |
パルマ |
00-01 |
ピアチェンツァ(B) |
05-現 |
ミラン |
01-02 |
ヴェローナ |
|
|
6歳でサッカーを始め、地元のコッサテーゼの下部組織に入団しサッカー選手への道を目指す(ユーベの下部組織試験も受けるが落選)。13歳の時、ビエッレーゼのジュニアでプレーし、その後ピアチェンツァに入団。ピアチェンツァでは4シーズンほど在籍し、2000年にセリエAデビュー。その後、セリエB降格や、同ポジション選手の活躍により出番が減ってしまったことにより、ヴェローナへ移籍。ヴェローナでは2シーズンプレーし、39試合に出場、5得点を挙げた。2002-03シーズンからはパルマへ移籍。
出番が少なかったが、2003-04シーズンにアドリアーノ、ムトゥらが移籍したことにより、スタメン出場への道が開け、攻撃の要として活躍。2003-04、2004-05の2シーズン連続で23得点を記録し、得点し続けることが難しいセリエAで2シーズン連続で得点ランキング2位にという輝やかしい実績を残した。そして2005年、強豪ミランヘの移籍が決定(移籍金2,400万ユーロ(約32億4,000万円)で5年契約)。本人曰く、「ミランというクラブの歴史、それらを築き上げてきた偉大な選手たち。これらすべてに僕の胸が高鳴るよ。なぜミランを選んだかと言われれば、それはミランがヨーロッパ最強のクラブの1つであり、このチームのユニフォームを着ることが大変な栄誉だからね。」と。ミランファンを泣かすコメントを残した。 |
|
7 Ricardo OLIVEIRA 【リカルド・オリベイラ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スペイン・リーガエスパニョーラ |
1回 |
コパ・デルレイ |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAカップ |
シーズン |
個人タイトル |
2003 |
コッパ・リベルタドーレス・カップ得点王 |
生年月日: 1980.5.6
身長: 183 cm 、体重: 79 kg 、国籍: ブラジル
出身: ブラジル、サンパウロ
経歴チーム |
00-02 |
ポルトゥゲーザ(ブラジル) |
04-06 |
ベティス(スペイン) |
03 |
サントス(ブラジル) |
06 |
サンパウロ(ブラジル) |
03-04 |
バレンシア(スペイン) |
06-現 |
ミラン |
2006年にチェルシーに移籍したシェバの代わりとして移籍金1750万ユーロ(約27億円)+フォーゲルの譲渡で獲得。当初はオーナーでもあるベルルスコーニの“ミランは移籍市場の主役、最後にビックサプライズを起こす”という発言にファンはいったい誰を獲得するのかと大きな期待を寄せていたが、最終的にはどの選手とも折り合いがつかず、このオリベイラに落ち着く格好となった。噂ではオリベイラ獲得にはフロントではなく、アンチェロッティが強く望み、監督主体で獲得が行われたと言われている。その理由としてオリベイラは一人でトップを張ることはもちろん(中盤にタレントが多いミランには重要)、サイドから攻撃したり、見方とワン・ツーで抜け出したり、何よりゴール前で仲間にラストパスを供給することができる万能型であることから、ジラルディーノやピッポ・インザーギとのかぶりの心配が無いからだと言われている。
ブラジルの中堅クラブポルトゥゲーザにてプロキャリアをスタート、年を追うごとに着実に結果を残し、2003年、名将レオン率いるサントスへ引き抜かれる。この移籍によって実現したリベルタドーレスカップでの活躍で、その名前は欧州の多数のビッククラブに知られることとなり、2003-04シーズンよりスペイン強豪バレンシアへ引き抜かれた。バレンシアではサブ的存在ながら重要な場面で得点をあげ、リーグ優勝とUEFAカップの獲得に貢献した。シーズン終了後、ベティスへと移籍。そこでも22得点とゴールを量産し最終的には得点ランキング3位にランクされ、チームのチャンピオンズ・リーグ出場権獲得、1977年以来のタイトル、コパ・デルレイ優勝に多大なる貢献を果たす。翌2005-06シーズン、試合中に膝靱帯断裂という大怪我を負ってしまい、その結果、冬の移籍市場で母国の名門サンパウロへレンタル移籍させられる。ここで復調しチームをリベルタドーレスカップ決勝にまで導く活躍を見せるが、決勝の第一線が終わり、第二線を控えたまま、所有権を持つベティスがレンタルバックを要請するが、時期が時期だけにベティスへの合流が遅れることとなり、チーム(主に元会長)と衝突。結果、本人が望まないトルコのクラブに移籍させられそうになったところを、ミランに拾われた。実力はバレンシアやベティスでの活躍から誰もが認める所であるが、守備偏重のセリエでどれくらいできるかは未知数である。 |
|
15 Marco BORRIELLO 【マルコ・ボリエッロ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1982.6.18
身長: 180 cm 、体重: 73 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ナポリ
経歴チーム |
00-01 |
トリエスティーナ(C2) |
04-05 |
レッジーナ |
01-02 |
トレヴィーゾ(C1) |
05-06 |
サンプドリア |
02-03 |
ミラン |
05-06 |
トレヴィーゾ(C1) |
02-03 |
エンポリ |
06-現 |
ミラン |
03-04 |
ミラン |
|
|
クリスチャン・ヴィエリの後継者の一人として期待されていたのがこのボリエッロである。強靱な肉体からのパワープレーが特徴で左足の強力シュートも装備している典型的CF。しかし持てる能力をうまく使いこなすことができないためか、はたまた優しい性格が災いしてか、ミランではなかなか思うような活躍ができず、様々なクラブへレンタル移籍させられてしまっている。行ったクラブでも満足できる活躍はできず、2006年に再びミランに戻ってきた。今期のミランのFWはジラ、ピッポ、オリベイラの3枚だけということもあり必ずボリエッロにも出場の機会は与えられるはず。ボリエッロの場面に応じた活躍(すごく期待しているわけではありません^^;)こそがミランを上位に持ってこられるかのカギを握っていると言っても過言ではない(そんなに期待できないが、今のミランのFW陣を見るとそういわざるをえないのが悲しい・・・)。 |
|
7 Ronaldo Luis Nazario De Lima "RONALDO" 【ロナウド・ルイス・ナザリオ・ジ・リマ “ロナウド” 】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スペイン・リーガエスパニョーラ |
1回 |
コパ・デルレイ |
1回 |
オランダ・カップ |
1回 |
UEFAカップ |
1回 |
カップ・ウィナーズ・カップ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
1回 |
インターコンチネンタルカップ |
2回 |
ワールドカップ1994&2002 |
2回 |
コッパ・アメリカ |
1回 |
FIFA U-17南米選手権大会 |
シーズン |
個人タイトル |
1993 |
FIFA U-17南米選手権大会得点王 |
1994-95 |
オランダ・エールディビジ得点王 |
1996 |
欧州年間最優秀選手投票2位[FF誌] |
1996 |
世界年間最優秀選手[FIFA] |
1996 |
世界年間最優秀選手[WS誌] |
1996-97 |
スペイン・リーガエスパニョーラ得点王 |
1997 |
バロンドール(欧州最優秀選手)[FF誌] |
1997 |
世界年間最優秀選手[FIFA] |
1997 |
世界年間最優秀選手[WS誌] |
1998 |
世界年間最優秀選手投票2位[FIFA] |
1998 |
UEFA最優秀FW[UEFA選出] |
1998 |
UEFA最優秀選手[UEFA選出] |
2002 |
ワールドカップ得点王 |
2002 |
バロンドール(欧州最優秀選手)[FF誌] |
2002 |
世界年間最優秀選手[FIFA] |
2002 |
世界年間最優秀選手[WS誌] |
2002 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
2003 |
世界年間最優秀選手投票3位[FIFA] |
2003-04 |
スペイン・リーガエスパニョーラ得点王 |
2006 |
ゴールデンフット賞[WCC選出] |
生年月日: 1976.9.22
身長: 183 cm 、体重: 90 kg 、国籍: ブラジル
出身: ブラジル、リオデジャネイロ
経歴チーム |
89-91 |
ソシアル・ラモス(ブラジル) |
96-97 |
バルセロナ(スペイン) |
91-93 |
サンクリストバン(ブラジル) |
97-02 |
インテル |
93-94 |
クルゼイロ(ブラジル) |
02-07 |
レアル・マドリード(スペイン) |
94-96 |
PSV(オランダ) |
07-現 |
ミラン |
1999年に右膝十字靭帯を部分断裂をするという怪我をするが2000年のラツィオ戦で今度は同じ箇所を完全に断裂するという悪夢のような出来事が起こってしまった。この怪我は普通はスキーやバレーボールの選手に起こる怪我で、サッカー選手に起こるのは稀。つまりロナウドの地を蹴るパワーが強すぎて起こってしまったのではないかと言われている。選手生命の危機が囁かれたが1年以上に及ぶ長いリハビリの末に無事復帰する。復帰後はリハビリで膝の筋肉を鍛えたため体重が増加し、走力とスタミナが以前より落ちたためにドリブルをする距離が短くなったと言われる。一時は100kgを越える体重を記録したこともあった。しかし、足元のテクニックやディフェンスの裏へ抜け出ししてからの加速力とトップスピードの速さは相変わらず世界でもトップクラスであり、シュートの決定力やゴール前での狡猾さ・冷静さは若い頃より増した感がある。シザースの名手としても知られ、左に持ち出す事が分かっていながら止められない事でも有名。
2006年6月28日(日本時間)のドイツW杯の決勝トーナメント一回戦ブラジル対ガーナ戦で、今大会3得点目、W杯通算15得点目を挙げ、ゲルト・ミュラー(西ドイツ)が打ち立てた14得点という大会得点記録を更新した。この大会では、体重の増加が「太り過ぎ」とされたことと、予選グループリーグの第1試合、第2試合でシュートを空振りするなど動きが悪かったことも重なり、母国を始めとしてメディアや評論家から「レギュラー失格」の烙印を押されていたが、第3試合の日本戦では2ゴールを挙げて批判を一気に沈静化させた。
しかしクラブではファビオ・カペッロが監督に就任後、年齢や太りすぎによる運動量の低下を理由に構想から外され出場機会は減っていった。2007年1月30日、シェフチェンコの放出でストライカーを探していたミランに、移籍金750万ユーロ(約11億3,000万円)、1年半の契約で移籍が決まった。背番号はすでに9番をF・インザーギが着ているためか、背番号は99番になった。(ウィキペディアから転載)
|
MF |
22 Ricardo Izecson Santos Leite "KAKA" 【リカルド・イゼクシオン・サントス・レイテ “カカー” 】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
1回 |
ブラジル・リオ・サンパウロカップ |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
1回 |
ワールドカップ2002 |
1回 |
FIFAコンフェデレーションズカップ2005 |
1回 |
FIFA U-17世界選手権大会 |
シーズン |
個人タイトル |
2005 |
UEFA最優秀MF[UEFA選出] |
2006 |
ワールド・ベスト11[FIFPro選出] |
2006 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
生年月日: 1982.4.22
身長: 185 cm 、体重: 79 kg 、国籍: ブラジル
出身: ブラジル、ブラジリア
経歴チーム |
01-03 |
サンパウロ(ブラジル) |
03-現 |
ミラン |
ミランが2004年にサンパウロとの契約が切れることを前提に獲得することを決めていたが、チェルシーの油オーナーの札束攻撃により、予定より1年早い、2003年6月に850万ユーロ(約11億1,400万円)の移籍金をサンパウロに支払い獲得(4年契約)した。移籍当初はプロビンチャで経験を積ますと考えられていたが、周囲の予想を覆し、2003-04シーズンのアンコーナとの開幕戦でルイコスタやリバウドなどのビックネームを抑えて、スタメンデビューを飾る。その後は完全に両ビックネームをベンチに追いやり(うち一人は退団)そのポジションを不動のものとした。そして、1年目にスクデットを獲得し、完全にミランの中心選手となり、アンチェロッティ&ミラニスタからの完全な信頼を勝ちとった。そんな今ではミランのアイドルとなったカカーの特徴は従来のブラジル人にありがちなテクニックに固執したプレーとはかけ離れ(かといって他のブラジル人選手と比べて、とりわけ足元のテクニックが低い訳ではない。むしろ現在のブラジル人の中でもテクニックは上位)、ブラジル人には珍しいヨーロッパ的なプレースタイルを実践できるというところにある。間違いなく今後のミランを背負って立つ若者(2006年:すでになっているが・・・)であると私は確信している(最も応援している選手の一人)。チーム内でのあだ名は「リッキー」。 |
|
20 Yoann GOURCUFF 【ヨハン・グルキュフ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
U-19欧州選手権 |
生年月日: 1986.7.11
身長: 185 cm 、体重: 79 kg 、国籍: フランス
出身: フランス、ロリアン
経歴チーム |
03-06 |
レンヌ(フランス) |
06-現 |
ミラン |
顔が何となくカカーに似ているグルキュフは、2006年6月にミランがその才能に目を付け、約5億円の移籍金(推定)で獲得したU-21フランス代表の若手(契約は2011年まで)である。プレースタイルは、プレースキックあり、2列目からの飛び出しあり、ドリブルでクロスあり、ロングフィードあり、とプレーの選択肢は多彩。当分の間はピルロのバックアップだが、適応力と課題である守備力が強化されればセードルフの位置で使ってみても面白いはずである(私の希望)。19歳の若さでレンヌの10番を背負い、フランス代表の司令塔ということから「ジダンの後継者」とも言われている。2004年にフランス・リーグ1でデビュー。すぐにチームの中心選手に成長し、2005-06シーズン、36試合の出場で6得点を記録、UEFAカップでも5試合に出場し、この若さではなかなか得られない欧州カップ戦での貴重な経験も多く積んでいる。代表では2005年のUEFA
U-19欧州選手権でフランスの中心選手として活躍。UEFA U-21欧州選手権にも出場した。ミランにとってフランス人選手の獲得は、ドラソーに続く史上9人目となる。
(余談)父親のクリスティアン・グルキュフは、2006-07シーズンから母国フランスリーグ1へ昇格したFCロリアンの監督を務める。ヨアンも選手生活はロリアンで開始していた。 |
|
10 Clarence SEEDORF 【クラレンス・セードルフ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
1回 |
オランダ・エールディビジ |
1回 |
スペイン・リーガエスパニョーラ |
4回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
1回 |
インターコンチネンタルカップ |
シーズン |
個人タイトル |
2002 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
生年月日: 1976.4.1
身長: 176 cm 、体重: 76 kg 、国籍: オランダ
出身: スリナム、パラマリボ
経歴チーム |
92-95 |
アヤックス(オランダ) |
99-02 |
インテル |
95-96 |
サンプドリア |
02-現 |
ミラン |
96-99 |
レアル・マドリード(スペイン) |
|
|
スリナム生まれのセードルフは、1994年、18歳のときルクセンブルク戦で代表デビューを果たし、その後も若いながら代表でのポジションを不動のものとし、オランダの中心選手として活躍。クラブチームでも若くしてスペインの強豪R・マドリーへ移籍し、代表&クラブ共に最高の時を過ごした。マドリーでも当然の如く主力としてチームのチャンピオンズリーグ優勝に貢献。その後、チーム内の問題からインテルへ移籍することになる。しかしイタリアでは不慣れなためか(はたまたインテルだからか)、局面局面では活躍するも、R・マドリー時代のような絶対的な活躍は出来ず、出場機会も徐々に減っていってしまう。心機一転の意味で2002年にココとのトレードでライバルのミランに加入する。その後、ミランで以前の輝きを徐々に取り戻し、攻守両面を考えなければならないという難しい役割を課せられるも、見事にその大役をこなし、ミランでのチャンピオンズリーグ制覇に大きく貢献した(史上初の異なる3クラブでCLリーグを3回(アヤックス、Rマドリー、ミラン)制覇した記録を樹立)。 |
|
27 Sergi Claudio Dos Santos "SERGINHO" 【セルジオ・クラウディオ・ドス・サントス “セルジーニョ” 】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1971.6.27
身長: 181 cm 、体重: 75 kg 、国籍: ブラジル
出身: ブラジル、ニロポリス
経歴チーム |
93 |
ヴィトリア・バイーア(ブラジル) |
96-98 |
サンパウロ(ブラジル) |
94 |
フラメンゴ(ブラジル) |
99-現 |
ミラン |
95 |
クルゼイロ(ブラジル |
|
|
ブラジルの名門フラメンゴやクルゼイロ、サンパウロを渡り歩いた後、1999年に940万ユーロ(約12億8,800万円)でミランに移籍。移籍当初は言葉や習慣の違いなど様々な問題で活躍することはできなかった。そんなセルジーニョだが、チェザーレ・マルディーニが臨時で監督を務めた2000-01シーズンの後半から、徐々に環境やチームにも慣れ、本来の実力を発揮し始める。マルディーニには主に左ウイングとして起用され、その期待に見事に応えてみせた。2001-02シーズンに入ってからも好調を維持し、ミランのUEFAカップ準決勝進出に貢献した。アンチェロッティ体制後も、数少ないサイドアタッカーとして様々な局面で重宝され、重要な場面でも多く投入されている。最近では以前では考えられなかったサイドバックもやることもしばしば。 |
|
8 Gennaro IVAN GATTUSO 【ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ “リーノ” 】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
1回 |
スコットランド・プレミアリーグ |
1回 |
スコットランド・カップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
1回 |
ワールドカップ2006 |
生年月日: 1978.1.9
身長: 177 cm 、体重: 77 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、コセンツァ
経歴チーム |
94-96 |
ペルージャ(B) |
98-99 |
サレルニターナ |
96-97 |
ペルージャ |
99-現 |
ミラン |
97-99 |
レンジャーズ(スコットランド |
|
|
現在のミラニスタから一番慕われているガッちゃんことガッツゥーゾはサレルニターナから1999年にミランに移籍してきたが、プロとしてのキャリアは他のイタリア人選手とは異なる。知っている人は知っていると思うが、イタリアでは花開かず、スコットランドのレンジャースへ渡り、そこでの活躍でイタリアへ戻ってきた、言わば逆輸入選手なのである。こういった選手はイタリアでは大変珍しい。そんなガッちゃんは、イギリスでのサッカー(観客を楽しませることを第一に置くエキサイティングフットボール)を体験したこともあり、イタリアでも同じように熱く、アグレッシブに戦うこと念頭に置きプレーしている。そんな姿勢がたくさんのミラニスタの共感を得た。そしてファンの心を捉えただけでなく、結果として自身が活躍し2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献した(優勝の立役者ピルロが自分の仕事を出来たのも、このガッちゃんがピルロ分まで走ったおかげである)。 |
|
21 Andrea PIRLO 【アンドレア・ピルロ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
1回 |
ワールドカップ2006 |
1回 |
U-21欧州選手権 |
シーズン |
個人タイトル |
2006 |
ワールド・ベスト11[FIFPro選出] |
生年月日: 1979.5.19
身長: 177 cm 、体重: 68 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ブレシア
経歴チーム |
94-95 |
ブレシア |
99-00 |
レッジーナ |
95-97 |
ブレシア(B) |
00-01 |
インテル |
97-98 |
ブレシア |
00-01 |
ブレシア |
98-99 |
インテル |
01-現 |
ミラン |
2001-02シーズン開幕前にライバルのインテルから移籍するも、当時の監督テリムの構想には入っておらず(ルイコスタの加入もあり)試合出場はわずかだった。その後も、テリム政権下ではピルロが試合に出場することは主力の怪我を除けばほとんどなかった。そんなピルロにも転機が訪れる。アンチェロッティの監督就任である。アンチェロッティは非ファンタジスタで有名な監督だったが、当時ミランでは中盤の底を出来る人材が様々な理由からいなかった。そこで何とかして1試合でも多く試合に出場したいと望むピルロは無理だとは感じつつも、自分をそのポジションで使ってはくれませんかとアンチェロッティに直訴した。当然守備に全く期待できないピルロを中盤の底で使うのは守備的なアンチェロッティには思いもつかないことであったが、実際問題、そこのポジションに適任者がいないのもまた事実であったこともあり、ものは試しようと半ば諦め状態で試してみると、これが大当たり。その後はみなさんがご存知の通り。今のミランがこうしてあるのも、ピルロがただ単に試合に出たいがために言った一言から始まった、まさに偶然の賜物であった。 |
|
32 Cristian BROCCHI 【クリスチャン・ブロッキ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1976.1.30
身長: 172 cm 、体重: 65 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ミラノ
経歴チーム |
94-95 |
ミラン |
99-00 |
エラス・ベローナ |
95-96 |
プロ・セスト(C1) |
00-01 |
インテル |
96-97 |
プロ・セスト(C2) |
01-05 |
ミラン |
97-98 |
ルメッツアーネ(C1) |
05-06 |
フィオレンティーナ |
98-99 |
エラス・ベローナ(B) |
06-現 |
ミラン |
私服がサッカー選手には到底見えないぐらい派手なブロッキは多くのイタリア人監督が好むタイプの選手である。そのプレースタイルは典型的な中盤の潰し屋とは違い、中盤でのパス&バランスを実践できる貴重なものである(例えるならセードルフやカンビアッソなどが挙げられる)。2005-06シーズンに所属していたフィオレンティーナではその役割を全うし、チームMVPにも押された程。そのためアンチェロッティはガッツの控えとしてアンブロジーニがいるにも関わらず、セードルフの控えという意味で放出を渋り、ミランに留まらせた経緯がある。過度な期待は禁物だが要所で活躍してくれる選手なだけにファンの誰もがも彼の残留はミランにプラスになると感じている。余談だが、彼が32という大きい背番号をつけるのはミラノに親友のヴィエリとレストランを共同保有していることから、親友の好む32を付けることによってヴィエリとの友情をアピールしているのだと言われている。
|
|
23 Massimo AMBROSINI 【マッシモ・アンブロジーニ】
獲得回数 |
チームタイトル |
3回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1977.5.29
身長: 182 cm 、体重: 72 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ペサロ
経歴チーム |
93-95 |
チェゼーナ(B) |
97-98 |
ヴィチェンツァ |
95-97 |
ミラン |
98-現 |
ミラン |
1995-96シーズン、カペッロの目に止まりセリエBのチェゼーナから移籍(17才)。当時のミランオールスター軍団の中で、わずかながらも出場し、セリエA優勝を経験するが、当時のミランには居場所は無かった。そこでビチェンツァにレンタルされることになるが、そこで中心的な役割を果たし、ビチェンツァのセリエA残留に貢献する。その活躍から、再びミランに呼び戻され、レギュラーの座をつかみ取り、1998-99シーズンのスクデット獲得に多いに貢献する。しかしその後は、ひざのケガに悩まされ、レギュラーとしての出場機会は限られたものになってしまう。今現在は守備重視での試合の時のセードルフの代わりや、中盤の第一バックアッパーとして主に活躍している。ヘディングが中盤の選手の中では飛びぬけて強いのが特徴。 |
|
18 Marek JANKULOVSKI 【マルク・ヤンクロフスキ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
生年月日: 1977.5.9
身長: 184 cm 、体重: 74 kg 、国籍: チェコ
出身: チェコ、オストラヴァ
経歴チーム |
94-00 |
バニク・オストラヴァ(チェコ) |
02-05 |
ウディネーゼ |
00-01 |
ナポリ |
05-現 |
ミラン |
01-02 |
ナポリ(B) |
|
|
幼少よりサッカーを始め、地元の名門バニク・オストラバにてサッカーキャリアをスタート、1994-95シーズンに1試合ながらトップチームデビューを果たす。1996-97シーズンより主力としてプレー、1999-2000シーズンに8得点を挙げる活躍を見せたことからA代表デビュー、更に活躍の場をイタリアへ移す事となった。移籍したナポリでは当初はサブの1人に過ぎなかったが、チームの開幕3連敗からチャンスを掴み、4節レッチェ戦にてセリエAデビュー、翌節には強烈な左足のミドルシュートを叩き込み、確固たる地位を確立させた。本人の活躍とは裏腹にチームは結局セリエB降格となるが、クラブへの忠誠を示し、残留する事を選び、ここでも抜群の存在感でチームを媚して、あと1歩の所でセリエA復帰というところまでチームを牽引したが、最終的にはA復帰を果たすことはできなかった。残念ではあったが、その高いパフォーマンスが認められセリエAのウディネーゼから声がかかり、より高いところで再び戦いたいと感じていたこともあり、移籍する決意を固めた。ここでもスパレッティ監督の元でサイドアタッカーやサイドバック、サイドハーフと多彩な能力を見せ通算27試合5得点の活躍でリーグ5位躍進、UEFAカップ出場権獲得に貢献した。その後も安定した力でチームを牽引した。2004-05シーズンにはクラブ史上初となるチャンピオンズ・リーグ出場権獲得を果たし、シーズン終了後、ビックチーム:ミランに引き抜かれた。その能力を思う存分に発揮して、ミランに沢山のタイトルをもたらしてほしいものである。
|
DF |
2 Marcos Evangelista de Morais "CAFU" 【マルコ・エヴァンゲリスタ・デ・モラレス “カフー” 】
獲得回数 |
チームタイトル |
2回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
1回 |
ブラジル・全国選手権 |
2回 |
ブラジル・州選手権 |
2回 |
コッパ・リベルタドーレス・カップ |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
カップ・ウィナーズ・カップ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
2回 |
インターコンチネンタルカップ |
2回 |
ワールドカップ1994&2002 |
2回 |
コッパ・アメリカ |
シーズン |
個人タイトル |
1994 |
南米年間最優秀選手[エル・パイース誌] |
2004 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
2005 |
ワールド・ベスト11[FIFPro選出] |
2005 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
生年月日: 1970.6.7
身長: 176 cm 、体重: 74 kg 、国籍: ブラジル
出身: ブラジル、サンパウロ
経歴チーム |
88-94 |
サンパウロ(ブラジル) |
97-03 |
ローマ |
94-95 |
サラゴサ(スペイン) |
03-現 |
ミラン |
95-97 |
パルメイラス(ブラジル) |
|
|
ブラジル代表と共にワールドカップ3大会連続の決勝を経験した唯一のプレーヤーであり、
偉大なるセレソンブラジレイロのキャプテン。2003-04シーズンに半ば戦力外状態のローマからフリートランスファーで移籍(2年契約)。ローマのファンから余りにも年を取り過ぎていると罵声を食らっていたカフーだが、ミラン移籍後は、彼の特徴である90分間、絶え間なくサイドを行ったり来たり繰り返す往年のプレーが戻り、ミランで見事に復活を果たした。また、カフーは運動量だけの選手ではなくクロスも正確で、このポジションでの攻撃が出来る選手がいなかった当時のミランの問題点を解決した意味でも、その存在はさらに際立ったものとなった。(余談:2003-04シーズン、本来マリノス行きが内定していたのだが、急にドタキャンし、ミランへ行ってしまったために多くの日本のファンから反感をかう。) |
|
4 Kakha KALADZE 【カハ・カラーゼ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1978.2.27
身長: 186 cm 、体重: 76 kg 、国籍: グルジア
出身: グルジア、サントレディア
経歴チーム |
93-98 |
ディナモ・トビリシ(グルジア) |
00-現 |
ミラン |
97-00 |
ディナモ・キエフ(ウクライナ) |
|
|
2001年に冬のメルカートでウクライナのディナモ・キエフからグルジアサッカー史上最高移籍金1,600万ユーロ(約21億9,200万円)で移籍。主にCBやDHなどが本職で活躍していたが、アンチェロッティ就任と共に左サイドバックへコンバートされ、そのままポジションを獲得した。2005-06シーズンからはマルディーニをはじめ、怪我人が多くでたことにより、再びCBにポジションを戻した。本職以外のポジション(とりわけサイドバック)を経験したことにより、前よりもディフェンダーとしての幅や視野が広がり、今ではネスタとともにミランには欠かせない選手に成長した。長い間、弟が誘拐されていたが、2006年に死体となって発見された。そんな悲しい出来事があったにも関わらず、ファンやチームのことを考え、その週末の試合に出場していたという強い精神力を持つ。 |
|
19 Giuseppe FAVALLI 【ジュゼッペ・ファバッリ】
獲得回数 |
チームタイトル |
2回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
5回 |
コッパ・イタリア |
2回 |
イタリア・スーパーカップ |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
カップ・ウィナーズ・カップ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1972.1.8
身長: 181 cm 、体重: 77 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、オルジヌオービ
経歴チーム |
87-89 |
クレモネーゼ(B) |
92-04 |
ラツィオ |
89-90 |
クレモネーゼ |
04-06 |
インテル |
90-91 |
クレモネーゼ(B) |
06-現 |
ミラン |
91-92 |
クレモネーゼ |
|
|
左サイドバックを最も得意とするが、右サイドバックもこなす器用なディフェンダーであるファバッリは、1988年にセリエBのクレモネーゼでキャリアをスタートさせ、その後ラツィオ、インテル、ミランと移籍し、現在に至る。安定したプレーと複数のポジションをこなす器用さでトップチームのレギュラーの座をつかみ、ラツィオのタイトル獲得に重要な役割を果たした。戦術面での洞察力、技術、勇敢さ、攻撃的な姿勢などを特徴としている。代表では、1992年のUEFA U-21欧州選手権で優勝し、1994年に初めてアズーリ(イタリア代表の愛称)のフル代表に招集された。1998年には初出場を飾るが、それも含めて出場は2試合にとどまっている。 ここまでトップチームで約400試合に出場しているが、得点はわずか数ゴールしか記録していない。ポジションを考えれば仕方ないが、それでも割合を考えればかなり少ない。 |
|
44 Massimo ODDO 【マッシモ・オッド】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
ワールドカップ2006 |
生年月日: 1976.6.14
身長: 182 cm 、体重: 76 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ペスカーラ
経歴チーム |
95-96 |
フィオレンツォーラ(C1) |
99-00 |
ナポリ(B) |
96 |
モンツァ(C1) |
00-02 |
H・ヴェローナ |
96-97 |
プラト(C1) |
02-07 |
ラツィオ |
97-98 |
レッコ(C1) |
07-現 |
ミラン |
98-99 |
モンツァ(B) |
|
|
冬のカルチョメルカートにおいて775万ユーロ(約12億2000万円)+フォッジャの譲歩という条件で獲得。オッドは、ミランで選手生活を始めたが1度もトップチームでの出場がなく、セリエC1、Bの複数のチームへ期限付きでのレンタル移籍を繰り返した。2シーズンを過ごしたヘラス・ベローナで頭角を現すと、2002年にラツィオへ移籍。その後は不動の右サイドバックとして、その地位を固めた。アズーリに選出されるだけあり、守備力にも定評があるが、それ以上に右足から繰り出されるクロスは芸術品で精度としてはディフェンダー世界一である。今季もセリエAで15試合に出場してたくさん見方の得点を演出し、自身も5得点を挙げるなど、通算でも135試合で17得点の記録を残した。 |
|
24 Leandro GRIMI 【レアンドロ・グリミ】
生年月日: 1985.2.9
身長: 182 cm 、体重: 74 kg 、国籍: アルゼンチン
出身: アルゼンチン、サンロレンソ
経歴チーム |
04-05 |
ウラカン(アルゼンチン) |
07-現 |
ミラン |
05-06 |
ラシン(スペイン) |
|
|
ここ何年か言われ続けてきたディフェンスラインの高齢化を払拭するため、今冬、ミランがに最初に獲得したのが若干22才のアルゼンチン人グリミ(ラシンから移籍金200万ユーロ(約3億円)、2011年までの契約)であった。2006年秋、アルゼンチンでアペルトゥーナ(開幕シーズン)の最優秀若手選手に選ばれてはいる若手だが、まだ期待できるか謎である。アンチェロッティはグリミについて次のように語っている。「グリミは若く、将来有望だ。まだあまり名が知られていないが、そのことがむしろ良い点であると思う。チームにとって非常に有用な選手になるだろう」。さあ、吉と出るか凶と出るか。。。 |
|
17 Dario SIMIC 【ダリオ・シミッチ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
5回 |
クロアチア・リーグ |
4回 |
クロアチア・カップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1975.11.12
身長: 180 cm 、体重: 76 kg 、国籍: クロアチア
出身: クロアチア、ザグレブ
経歴チーム |
92-98 |
ディナモ・ザグレブ(クロアチア) |
02-現 |
ミラン |
98-02 |
インテル |
|
|
2002年にウミト・ダバラとの交換トレードでライバルチームのインテルから移籍。2002-03シーズンにアンチェロッティの下、本来のCBから右サイドバックにコンバートされると、見事にレギュラーの座を獲得した。しかし元来はCBなため、攻撃力をまったくと言っていいほど持ち合わせていない(クロスがヘボ過ぎる)。サイドバックの攻撃参加をアンチェロッティが翌シーズンから求めたこともあって(カフーの加入も影響してか)ポジションを失う格好になってしまった。それでも守備面は大変優れているので、終盤での守備固めや、サイドバックのバックアッパーとして貴重な戦力となっている。 |
|
3 Paolo MALDINI 【パオロ・マルディーニ】
獲得回数 |
チームタイトル |
7回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
5回 |
イタリア・スーパーカップ |
5回 |
チャンピオンズ・リーグ |
4回 |
UEFAスーパーカップ |
2回 |
インターコンチネンタルカップ |
シーズン |
個人タイトル |
1994 |
世界年間最優秀選手[WS誌] |
1995 |
世界年間最優秀選手投票2位[FIFA] |
2003 |
欧州年間最優秀選手投票3位[FF誌] |
2003 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
2003 |
UEFA会長特別功労賞 |
2005 |
ワールド・ベスト11[FIFPro選出] |
2005 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
生年月日: 1968.6.26
身長: 187 cm 、体重: 85 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ミラノ
1985年1月のウディネーゼ戦でデビュー。その後もずっと活躍を続け、今も尚レギュラーとして活躍するみなさんご存知、バレージと並び賞されるミランのバンディエラ(象徴)。ミランの主力として500試合以上を戦い抜き(ミラン歴代1位)、ミランと共に獲れるすべてのタイトルを獲得してきた。あの強かったミラン黄金期はマルディーニの成長共にあったと言っても過言ではない。後世サッカー史に残る偉大な選手である。ちなみにマルディーニは私がピッポやカカー並(それ以上かも?!)に好きな選手でもある(ミランファンなら当然か)。私の持っているミランユニもマルディーニ・・・(別にどうでもいいですね。はい)。 |
|
13 Alessandro NESTA 【アレッサンドロ・ネスタ】
獲得回数 |
チームタイトル |
2回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
3回 |
コッパ・イタリア |
3回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
カップ・ウィナーズ・カップ |
2回 |
UEFAスーパーカップ |
1回 |
ワールドカップ2006 |
シーズン |
個人タイトル |
2002 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
2003 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
2004 |
UEFAベストイレブン[UEFA選出] |
2005 |
ワールド・ベスト11[FIFPro選出] |
生年月日: 1976.3.19
身長: 187 cm 、体重: 79 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ローマ
経歴チーム |
93-02 |
ラツィオ |
02-現 |
ミラン |
生まれてからずっとラツィオ一筋だったが、チームが経済難に陥ったため、チームを助ける形で2002年8月の移籍期限ギリギリに3,020万ユーロ(約41億4,000万円)でミランに移籍した元ラツィオの象徴。キャプテンの移籍はラツィオサポーターの怒りをかった結果となったが、移籍したミランではプレッシャーに負けず以前と同様の輝きを放っている。ネスタは現在、世界最高のCBと称され、スピード、高さ、1対1、カバーリング能力などの守るのに必要なすべての能力を備えている唯一無二なグレイトなDFである。また、エレガントという言葉をよく使われることから守りに美学を感じさせてくれる数少ない選手でもある。 |
|
25 Daniele BONERA 【ダニエレ・ボネーラ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
生年月日: 1981.5.31
身長: 183 cm 、体重: 74 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ブレシア
経歴チーム |
98-00 |
ブレシア(B) |
02-06 |
パルマ |
00-02 |
ブレシア |
06-現 |
ミラン |
ボネーラは2002年にブレシアからパルマに移籍。以来、セリエAで114試合に出場している。パルマでは主に右サイドバックを務めていたが、センターバックに入ることもあった。以前のブレシアでは左サイドバックを務めていたことから、4バックのどこのポジションもこなせるのが特徴といえる。その後、2006年パルマからミランに移籍(契約は2010年6月末までの4年契約)した。移籍金は公表されなかった。
小さい頃からのミランファンで移籍が決まった時の喜びが以下のコメントから見てとれる。
ボネーラ「ACミランの練習場に足を踏み入れただけでも自分にとっては夢の様だ。移籍の知らせを受けた瞬間は凍り付いてしまった。過去にACミランが自分に興味があるという話を聞いた事はあったが、今回は落雷の様に突然の話だった。パルマの合宿中に連絡を受け、最初は冗談かと思った。子供の頃からずっとACミランのサポーターだったから・・・今まさに自分の夢が実現しようとしている。パルマの合宿地から大急ぎで来たので、契約期間さえ知らないけれど・・・」と、ミラニスタ達も喜ばさせている。また、イタリア代表ではこれまで7試合に出場。ドイツW杯では、イタリア代表予備メンバーとして選ばれるものの、最終的には帰国させられた。ミランでの活躍で次の欧州選手権出場を目指す。 |
|
5 Alessandro COSTACURTA 【アレッサンドロ・コスタクルタ “ビリー” 】
獲得回数 |
チームタイトル |
7回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
5回 |
イタリア・スーパーカップ |
5回 |
チャンピオンズ・リーグ |
4回 |
UEFAスーパーカップ |
2回 |
インターコンチネンタルカップ |
生年月日: 1966.4.24
身長: 182 cm 、体重: 75 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ヴァレーゼ
経歴チーム |
85-86 |
ミラン |
87-現 |
ミラン |
86-87 |
モンツァ(C1) |
|
|
サッキやカペッロのミラン黄金期をバレージ、タソッティ、マルディーニと共に後ろから支えた偉大なディフェンダー。ミランと共にこれまで数々のタイトルを手にしてきた。ほぼミラン一筋でミランを離れてプレーしたのは1986-87の1シーズンのみ(セリエC1のモンツァで30試合に出場)。今年で38歳になるが今でもその洗練されたDFとして培われた能力をフルに発揮し、ミランディフェンス陣の貴重なバックアッパーとして活躍している。とても守備が安定しているため安心して見てられるセリエに残る数少ない選手。今シーズンこそ、ラストになるっぽいので怪我なく頑張って下さいな。 |
GK |
1 Nelson de Jesus e Silva "DIDA" 【ネルソン・デ・ジーザス・デ・シルバ “ジーダ” 】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
1回 |
ワールドカップ2002 |
シーズン |
個人タイトル |
2005 |
ワールド・ベスト11[FIFPro選出] |
生年月日: 1973.10.7
身長: 195 cm 、体重: 85 kg 、国籍: ブラジル
出身: ブラジル、バイーア
経歴チーム |
92-93 |
ヴィトリア・バイーア(ブラジル) |
99-00 |
コリンチャンス(ブラジル) |
94-98 |
クルゼイロ(ブラジル) |
00-01 |
ミラン |
98-98 |
ミラン |
02 |
コリンチャンス(ブラジル) |
98-98 |
ルガーノ(スイス) |
02-現 |
ミラン |
1999年にスイスのFCルガノから移籍するも、その後コンリンチャンスとミランとを行き来する生活を送る。転機となったのは2002-03シーズン。この年、正ゴールキーパーとなり、チームもチャンピオンズリーグ決勝に進出。PK戦にまで縺れた決勝では3本のPKを止める大活躍をし、今のミランでの確固たる地位を確立した。キーパーの能力面でも以前見られたファンタジー(大ポカ)も減り、名実ともに世界有数のキーパーに成長。もしかしたら歴代ミラン最高GKと言われるかもしれない(ミランは他のビッククラブほど歴代に名GKがいないもので・・・)。蛇足だが、ジーダは某テレビゲームの最新版で、能力値のレスポンス(反応)が99と全選手中、最高値を記録している。 |
|
16 Zelico KALAC 【ゼリコ・カラッツ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
オランダ・カップ |
生年月日: 1972.12.16
身長: 202 cm 、体重: 95 kg 、国籍: オーストラリア
出身: オーストラリア、シドニー
経歴チーム |
94-95 |
シドニー・U(オーストラリア) |
02-04 |
ペルージャ |
95-96 |
レスター(イングランド) |
04-05 |
ペルージャ(B) |
96-98 |
シドニー・U(オーストラリア) |
05-現 |
ミラン |
98-02 |
ローダ(オランダ) |
|
|
シドニー生まれの守護神カラッツは地元のサッカークラブ、シドニー・ユナイテッドで1994-95シーズンにプロデビュー。翌年、ヨーロッパで活躍を夢見ていたカラッツに、イングランドのレスター・シティからオファーを受け移籍にこぎ着ける。。2シーズンレスターで過ごすが結局は試合に出場することはできなかった。その後、オランダのローダJCで4シーズンを過ごし、リーグ戦115試合に出場した。この時、唯一のタイトルであるオランダカップを獲得した。そして2002-03シーズンにイタリアのペルージャへ移籍し、リーグ戦80試合でプレーした。2005-06年、エレフテロプーロスを獲得したミランが、プレシーズンでの同選手のへタレぶりに心配してか、獲得するに至った(3年契約)。 |
|
29 Marco STORARI 【マルコ・ストラーリ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
チャンピオンズ・リーグ |
生年月日: 1977.1.7
身長: 187 cm 、体重: 76 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ピサ
経歴チーム |
95-96 |
ペルージャ(B) |
00-02 |
アンコーナ(B) |
96-97 |
ペルージャ |
02-03 |
ナポリ(B) |
97-98 |
ペルージャ(B) |
03-04 |
メッシーナ(B) |
98 |
モンテヴァルキ(C1) |
04-07 |
メッシーナ |
98-00 |
アンコーナ(C1) |
07-現 |
ミラン |
正GKのジーダと代役のカラッツが共に怪我で離脱したことから冬の移籍市場で獲得。契約は2010年まで。初練習後入団会見を行ったストラーリは「この(ミランの)ユニフォームを身にまとうことができ、大変光栄。新しい同僚はみな親切で、今日の気分は最高です。体は既に出来上がっており、いつでも出場できる準備は整っています。」と満面の笑みを浮かべ語った・・・さて何試合ぐらい出れるのだろうか? |
|
29 Valerio FIORI 【ヴァレリオ・フィオーリ】
獲得回数 |
チームタイトル |
1回 |
スクデット(セリエAリーグ優勝) |
1回 |
コッパ・イタリア |
1回 |
イタリア・スーパーカップ |
2回 |
チャンピオンズ・リーグ |
1回 |
UEFAスーパーカップ |
生年月日: 1969.4.27
身長: 185 cm 、体重: 75 kg 、国籍: イタリア
出身: イタリア、ローマ
経歴チーム |
85-86 |
ロディジャーニ(C2) |
96-97 |
チェゼーナ(B) |
86-88 |
ラツィオ(B) |
97-98 |
フィオレンティーナ |
88-93 |
ラツィオ |
98-99 |
ピアチェンツァ |
93-96 |
カリアリ |
99-現 |
ミラン |
1999年の夏にピアチェンツァでの活躍が認められて移籍。主に控えが中心で今現在もサードキーパーということもあり、ほとんど出場の機会は無いが、ベテランGKとしてGK陣をまとめる重要な存在。管理人もフィオーリのプレーをほとんど見たことが(ぶっちゃけ1回も無いかも?)ないが、こういった自分の立場をまっとうできる人間の存在はチームにとって重要なことだと改めて実感されられる。 |
|