05-04シーズン選手紹介
 
AC MILAN
監督
Carlo ANCELOTTI 【カルロ・アンチェロッティ】
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ

生年月日: 1959.6.10
出身: イタリア、レッジオ・エミリア
経歴:
95-96 レッジアーナ(B)96-98 パルマ98-01 ユベントス
01-現 ミラン

現役時代はパルマ、ローマでプレーして後、1985-86シーズンからサッキ率いるACミランでプレーし、中盤の底でサッキのプレッシングサッカーの戦術的キーマンとして活躍。80年代後半のミラン黄金期を支えた。引退後は、サッキのアシスタント(94年アメリカ・ワールドカップのイタリア代表アシスタントコーチなど)として監督修行を開始し、95年に故郷のレッジアーナで監督デビューを果たした。
1年目でレッジアーナを昇格させることに成功し、その実績を買われ、セリエAのパルマに監督業2年目にして就任。パルマでも1年目2位、2年目6位と好成績をおさめ、(1998-99シーズン)名門ユベントスの監督まで上り詰めた。ユベントスでは好成績(6位、2位、2位)を残すものの、あと一歩のところでタイトルには及ばず、2000-01シーズンで退任した。その後、翌年の2001-02シーズンに結果が出ないテリム・ミランの後任として古巣であるミランの監督に就任。途中就任でありながらリーグ4位、UEFAカップベスト4とまあまあの結果を残した。そしてリバウド、ネスタを獲得した翌、02-03シーズンにミラン久々のビックタイトル、チャンピオンズリーグをもたらし、自身の万年2位の汚名を払拭した。その後、スクデット等の様々なタイトルを獲得し、名将の仲間入りを果たした。
が、実績は残すがそのサッカーはおそろしい程、リスクを極限まで減らした慎重サッカーなのでファン以外にはまったくウケナイ、つまらないと酷評されている・・・。
FW
Filippo INZAGHI 【フィリッポ・インザーギ “ピッポ”
獲得回数 チームタイトル
2回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
2回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
シーズン 個人タイトル
1996-97 イタリア・セリエA得点王
生年月日: 1973.8.9
身長: 181 cm
体重: 74 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ピアチェンツァ
経歴:
91-92 ピアチェンツァ(B)92-93 レッフェ(C1)
93-94 ヴェローナ(B)94-95 ピアチェンツァ(B)
95-96 パルマ96-97 アタランタ97-01 ユベントス01-現 ミラン

2002-03シーズンにユーベに4,000万ユーロ(約54億8,000万円)もの移籍金(クリスチャン・ゼノーニの違約金を含めた合計金額)を支払い獲得。とても高額な移籍金だったが、それに見合うだけの活躍をした格好となる。長い間タイトルから遠ざかっていたミランに、久びさのチャンピオンズリーグというビックタイトルをもたらしたのだ。このタイトル獲得の背景にはピッポの活躍抜きには語れない。このシーズンのチャンピオンズリーグでは16試合に出場し、ゴールネットを12回も揺らしたのだった。相方のシェバがまったくと言っていいほど活躍しなかっただけに、このシーズンはピッポがチームを牽引していたと言っても過言ではないだろう。しかしサッカーとは恐いもので好調の後には悪いことが続くとよく言ったものだが、現実にそうなってしまった。翌2003-04シーズンは早期に怪我をしたせいもあり、調子を崩してしまい前シーズンでのシェバとの立場がまったく逆転してしまったのである。悪い流れは断ち切れず、ほとんど活躍することが出来ないままシーズンが終わってしまった。今シーズンも怪我が完治していないため、早期の活躍は難しいと予想される。ジラルディーノ&ヴィエリを獲得した今、もしかしたら・・・。果たしてピッポの運命はいかに。

Andriy SHEVCHENKO 【アンドリー・シェフチェンコ “シェバ”
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
5回 ウクライナ・リーグ
3回 ウクライナ・カップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
シーズン 個人タイトル
1998-99 チャンピオンズ・リーグ得点王
1998-99 ウクライナ・リーグ得点王
1998 UEFA最優秀FW[UEFA選出]
1999 欧州年間最優秀選手投票3位[FF誌]
1999-00 イタリア・セリエA得点王
2000 欧州年間最優秀選手投票3位[FF誌]
2003-04 イタリア・セリエA得点王
2004 世界年間最優秀選手投票3位[WS誌]
2004 バロンドール(欧州最優秀選手)[FF誌]
2004 世界年間最優秀選手投票3位[FIFA]
2004 UEFAベストイレブン[UEFA選出]
2005 ゴールデンフット賞[WCC選出]
2005 ワールド・ベスト11[FIFPro選出]

生年月日: 1976.9.29
身長: 183 cm
体重: 73 kg
国籍: ウクライナ
出身: ウクライナ、キエフ
経歴:
94-99 ディナモ・キエフ(ウクライナ)99-現 ミラン

母国ウクライナの名門ディナモ・キエフに5シーズン在籍したシェフチェンコ。最も印象に残っているのはチャンピオンズリーグでの活躍ではないだろうか。1998-99シーズンは8ゴールを記録し、マドリーを破ってディナモを準決勝にまで導きいた。その前年にはカンプ・ノウで行われた対バルセロナ戦において、前半のうちにハットトリックという荒業を成し遂げ4-0の快勝に貢献した。このような活躍を見ればシェフチェンコ=チャンピオンズリーグの申し子と言っても差し支えないだろう。そして幾多の実績を引き下げて1999年に2,600万ユーロ(約35億6,200万円)でミランに移籍した。当時のミランでは引退したファンバステンの幻影を未だに払拭できずにいた。当然シェバにもその後継者としての期待はかけられた。シェバも何とかその期待に応えようと努力し、1年目では難しいと言われるセリエAで得点王を獲得した(しかし優勝は出来なかった)。その後もコンスタントに活躍するが自身の頑張りとは裏腹にチームはタイトルから遠ざかってしまう。このままではいけないと悟ったミランは、2002-03シーズンに(ネスタ&リバウドを獲得し)大改革を実施し、見事に同年のチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた。シェバとしてはこのシーズンは怪我もあり大活躍とはいかなかったが自身のPKで優勝を決めたことが大きな励みになった。そして翌2003-04シーズンは復調し、大活躍。チャンピオンズリーグではまさかの敗戦を喫するが、自身のセリエAにきてからの悲願であったスクデットを見事に獲得した。2004-05シーズンも調子を維持してチームの勝利に貢献したが、タイトルは獲得できなかった。シーズンオフ、監督との確執や油オーナーとの友好関係により、チェルスキー移籍がとりだたされるなどしたが、本人がミラン残留を強く希望して今シーズンもミランで頑張ることが決定。その決定力で今期のビックタイトル獲得に全力で挑む。

11 Alberto GILARDINO 【アルベルト・ジラルディーノ “ジラ”
獲得回数 チームタイトル
1回 U21-欧州選手権2004
シーズン 個人タイトル
2004 U21-欧州選手権得点王
生年月日: 1982.7.5
身長: 184 cm
体重: 76 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ビエラ
経歴:
99-00 ピアチェンツァ00-01 ピアチェンツァ(B)
00-02 ヴェローナ02-05 パルマ05-現 ミラン

6歳でサッカーを始め、地元のコッサテーゼの下部組織に入団しサッカー選手への道を目指す(ユーベの下部組織試験も受けるが落選)。13歳の時、ビエッレーゼのジュニアでプレーし、その後ピアチェンツァに入団。ピアチェンツァでは4シーズンほど在籍し、2000年にセリエAデビュー。その後、セリエB降格や、同ポジション選手の活躍により出番が減ってしまったことにより、ヴェローナへ移籍。ヴェローナでは2シーズンプレーし、39試合に出場、5得点を挙げた。2002-03シーズンからはパルマへ移籍。 出番が少なかったが、2003-04シーズンにアドリアーノ、ムトゥらが移籍したことにより、スタメン出場への道が開け、攻撃の要として活躍。2003-04、2004-05の2シーズン連続で23得点を記録し、得点し続けることが難しいセリエAで2シーズン連続で得点ランキング2位にという輝やかしい実績を残した。そして2005年、強豪ミランヘの移籍が決定(移籍金2,400万ユーロ(約32億4,000万円)で5年契約)。本人曰く、「ミランというクラブの歴史、それらを築き上げてきた偉大な選手たち。これらすべてに僕の胸が高鳴るよ。なぜミランを選んだかと言われれば、それはミランがヨーロッパ最強のクラブの1つであり、このチームのユニフォームを着ることが大変な栄誉だからね。」と。ミランを数年は支えてくれると期待しています。

32 Christian VIERI 【クリスチャン・ヴィエリ】
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 カップ・ウィナーズカップ
1回 UEFAスーパーカップ
シーズン 個人タイトル
1997-98 スペイン・リーガ・エスパニョーラ得点王
2002-03 イタリア・セリエA得点王

生年月日: 1973.7.12
身長: 185 cm
体重: 82 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ボローニャ
経歴:
89-90 プラト(C1)90-92 トリノ92-93 ピサ(B)
93-94 ラヴェンナ(B)94-95 ヴェネツィア(B)95-96 アタランタ
96-97 ユベントス97-98 アトレティコ・マドリー(スペイン)
98-99 ラツィオ99-05 インテル05-現 ミラン

ボローニャに生まれながら、幼少のほとんどをオーストラリアで過ごす。その影響もあり当時はサッカー選手ではなく、プロクリケット選手を目指すが、イタリアへ戻ることをきっかけに(プロクリケット選手への道が閉ざされたことにより)潔くクリケットを諦め、父ロベルトの影響で、プロサッカー選手への道を叩くことになる(注意:父のロベルトはイタリア代表のMFで、サンプドリア、フィオレンティーナ、ユベントス、そしてローマでプレーした有名なサッカー選手)。
プロとしてはトリノとピサでプレーした後、1993-94シーズンをラベンナ、1994-95シーズンをベネチアとプロヴィンチャを転々としてプレーしていたが、1995-96シーズン、アタランタで(19試合出場)、7得点を記録したことにより、強豪ユベントスの目に留まり、翌シーズン移籍に至る。翌シーズン、ユーベでは23試合出場し、8得点をあげ、ユーベのスクデット獲得に貢献した。しかし翌年、またまた新天地に旅立つことに・・・。移籍したのはスペインの古豪・アトレティコ・マドリード。ヴィエリは慣れない環境でも関係なしに(24試合に出場し)、24得点を挙げ得点王となる活躍をした。その活躍から翌1998-98シーズンには再びイタリアへ。強豪ラツィオに移籍し、カップ・ウィナーズカップ等で優勝。だが1999年7月には、世界記録となった5,000万ユーロ(約68億5,000万円)で今度はインテルへと移籍した。この頃からヴィエリは完全に1年契約限定という冠がつくようになる・・・。今まで一番長く在籍することになるインテルでは、2002-03シーズンに23試合で24得点をあげ、初のセリエA得点王となったこと以外では、大きなタイトルは獲得できなかった。2004-05シーズン、新鋭アドリアーノ台頭によりインテルでの影も薄くなり、サポーターからの度重なる非難も影響してか、インテルと契約解除に至った。そしてすぐにライバルミランへ電撃的に移籍し、またまた周囲を驚かせた格好となった。おそらく2006-07シーズンにはヴィエリの名前は消えているだろう・・・?そうならないことをファンとしては期待。
MF
10 Manuel RUI COSTA 【マヌエル・ルイコスタ】
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
3回 コッパ・イタリア
2回 イタリア・スーパーカップ
1回 ポルトガル・リーグ
1回 ポルトガル・カップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
1回 ワールドユース選手権1991
生年月日: 1972.3.29
身長: 180 cm
体重: 74 kg
国籍: ポルトガル
出身: ポルトガル、リスボン
経歴:
91-94 ベンフィカ(ポルトガル)94-01 フィオレンティーナ
01-現 ミラン

ポルトガル代表のファンタジスタ。パス能力だけならジダンをも凌ぐと言われる程のパスセンスの持ち主。2001年にフィオレンティーナからビックタイトル獲得のため、移籍金3,800万ユーロ(約52億600万円)でミランに移籍。しかし最初のシーズンはルイコスタにとってまさに悲劇だった。開幕戦で手首を骨折したのがすべての始まりで、復帰しても、すぐに怪我を負い戦線離脱と、ピッチと病院を行き来するという悪循環に陥り、1年目は不本意な形で終了した。そんな最悪の状態で迎えた2002日韓W杯も予選敗退という最悪の結果で終わってしまう。気分一新、迎えた翌2002-03シーズンは今までになく調整がうまくいき、見事に復調。悲願だったビックタイトル(チャンピオンズリーグ)を獲得した。翌シーズンはカカーの台頭もあり、常時スタメンとはいかなかったが、局面局面で随所に活躍し、イタリアに渡って10年目で最も欲しかったスクデットも獲得した。カカーにスタメンを取られ、ベンチに居る時間が増えても不平不満を一切漏らさず、「カカーは数年後にバロンドールを獲る選手だ。そんな選手が私の代わりに試合に出場することに誰が文句を言えるものか。彼がバロンドールを獲った時に私のことを思い出してくれれば幸せさ。 彼が憎いかだって? そんなことないよ。何たって私は彼の1番のファンだからね」とチームを気遣える、人間としてすばらしい選手である。

22 Ricardo Izecson Santos Leite "KAKA" 【リカルド・イゼクシオン・サントス・レイテ “カカー”
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 ブラジル・リオ・サンパウロカップ
1回 UEFAスーパーカップ
1回 ワールドカップ2002
1回 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
シーズン 個人タイトル
2005 UEFA最優秀MF[UEFA選出]
生年月日: 1982.4.22
身長: 185 cm
体重: 79 kg
国籍: ブラジル
出身: ブラジル、ブラジリア
経歴:
01-03 サンパウロ(ブラジル)03-現 ミラン

ミランが2004年にサンパウロとの契約が切れることを前提に獲得することを決めていたが、チェルシーの油オーナーの札束攻撃により、予定より1年早い、2003年6月に850万ユーロ(約11億1,400万円)の移籍金をサンパウロに支払い獲得(4年契約)した。移籍当初はプロビンチャで経験を積ますと考えられていたが、周囲の予想を覆し、2003-04シーズンのアンコーナとの開幕戦でルイコスタやリバウドなどのビックネームを抑えて、スタメンデビューを飾る。その後は完全に両ビックネームをベンチに追いやり(うち一人は退団)そのポジションを不動のものとした。そして、1年目にスクデットを獲得し、完全にミランの中心選手となり、アンチェロッティ&ミラニスタからの完全な信頼を勝ちとった。そんな今ではミランのアイドルとなったカカーの特徴は従来のブラジル人にありがちなテクニックに固執したプレーとはかけ離れ(かといって他のブラジル人選手と比べて、とりわけ足元のテクニックが低い訳ではない。むしろ現在のブラジル人の中でもテクニックは上位)、ブラジル人には珍しいヨーロッパ的なプレースタイルを実践できるというところにある。間違いなく今後のミランを背負って立つ若者であると私は確信している(最も応援している選手の一人)。チーム内でのあだ名は「リッキー」。

20 Clarence SEEDORF 【クラレンス・セードルフ】
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 オランダ・エールディビジ
1回 スペイン・リーガエスパニョーラ
3回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
1回 インターコンチネンタルカップ
シーズン 個人タイトル
2002 UEFAベストイレブン[UEFA選出]

生年月日: 1976.4.1
身長: 176 cm
体重: 76 kg
国籍: オランダ
出身: スリナム、パラマリボ
経歴:
92-95 アヤックス(オランダ)95-96 サンプドリア
96-99 レアル・マドリード(スペイン)
99-02 インテル02-現 ミラン

スリナム生まれのセードルフは、1994年、18歳のときルクセンブルク戦で代表デビューを果たし、その後も若いながら代表でのポジションを不動のものとし、オランダの中心選手として活躍。クラブチームでも若くしてスペインの強豪R・マドリーへ移籍し、代表&クラブ共に最高の時を過ごした。マドリーでも当然の如く主力としてチームのチャンピオンズリーグ優勝に貢献。その後、チーム内の問題からインテルへ移籍することになる。しかしイタリアでは不慣れなためか(はたまたインテルだからか)、局面局面では活躍するも、R・マドリー時代のような絶対的な活躍は出来ず、出場機会も徐々に減っていってしまう。心機一転の意味で2002年にココとのトレードでライバルのミランに加入する。その後、ミランで以前の輝きを徐々に取り戻し、攻守両面を考えなければならないという難しい役割を課せられるも、見事にその大役をこなし、ミランでのチャンピオンズリーグ制覇に大きく貢献した(史上初の異なる3クラブでCLリーグを3回(アヤックス、Rマドリー、ミラン)制覇した記録を樹立)。

27 Sergi Claudio Dos Santos "SERGINHO" 【セルジオ・クラウディオ・ドス・サントス “セルジーニョ”
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
生年月日: 1971.6.27
身長: 181 cm
体重: 75 kg
国籍: ブラジル
出身: ブラジル、ニロポリス
経歴:
93 ヴィトリア・バイーア(ブラジル)94 フラメンゴ(ブラジル)
95 クルゼイロ(ブラジル)
96-98 サンパウロ(ブラジル)99-現 ミラン

ブラジルの名門フラメンゴやクルゼイロ、サンパウロを渡り歩いた後、1999年に940万ユーロ(約12億8,800万円)でミランに移籍。移籍当初は言葉や習慣の違いなど様々な問題で活躍することはできなかった。そんなセルジーニョだが、チェザーレ・マルディーニが臨時で監督を務めた2000-01シーズンの後半から、徐々に環境やチームにも慣れ、本来の実力を発揮し始める。マルディーニには主に左ウイングとして起用され、その期待に見事に応えてみせた。2001-02シーズンに入ってからも好調を維持し、ミランのUEFAカップ準決勝進出に貢献した。アンチェロッティ体制後も、数少ないサイドアタッカーとして様々な局面で重宝され、重要な場面でも多く投入されている。最近では以前では考えられなかったサイドバックもやることもしばしば。

Gennaro IVAN GATTUSO 【ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ “リーノ”
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 スコットランド・プレミアリーグ
1回 スコットランド・カップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ

生年月日: 1978.1.9
身長: 177 cm
体重: 77 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、コセンツァ
経歴:
94-96 ペルージャ(B)96-97 ペルージャ
97-99 レンジャーズ(スコットランド)
98-99 サレルニターナ
99-現 ミラン


現在のミラニスタから一番慕われているガッちゃんことガッツゥーゾはサレルニターナから1999年にミランに移籍してきたが、プロとしてのキャリアは他のイタリア人選手とは異なる。知っている人は知っていると思うが、イタリアでは花開かず、スコットランドのレンジャースへ渡り、そこでの活躍でイタリアへ戻ってきた、言わば逆輸入選手なのである。こういった選手はイタリアでは大変珍しい。そんなガッちゃんは、イギリスでのサッカー(観客を楽しませることを第一に置くエキサイティングフットボール)を体験したこともあり、イタリアでも同じように熱く、アグレッシブに戦うこと念頭に置きプレーしている。そんな姿勢がたくさんのミラニスタの共感を得た。そしてファンの心を捉えただけでなく、結果として自身が活躍し2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献した(優勝の立役者ピルロが自分の仕事を出来たのも、このガッちゃんがピルロ分まで走ったおかげである)。

21 Andrea PIRLO 【アンドレア・ピルロ】
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
1回 U-21欧州選手権

生年月日: 1979.5.19
身長: 177 cm
体重: 68 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ブレシア
経歴:
94-95 ブレシア95-97 ブレシア(B)97-98 ブレシア
98-99 インテル99-00 レッジーナ00-01 インテル
00-01 ブレシア01-現 ミラン

2001-02シーズン開幕前にライバルのインテルから移籍するも、当時の監督テリムの構想には入っておらず(ルイコスタの加入もあり)試合出場はわずかだった。その後も、テリム政権下ではピルロが試合に出場することは主力の怪我を除けばほとんどなかった。そんなピルロにも転機が訪れる。アンチェロッティの監督就任である。アンチェロッティは非ファンタジスタで有名な監督だったが、当時ミランでは中盤の底を出来る人材が様々な理由からいなかった。そこで何とかして1試合でも多く試合に出場したいと望むピルロは無理だとは感じつつも、自分をそのポジションで使ってはくれませんかとアンチェロッティに直訴した。当然守備に全く期待できないピルロを中盤の底で使うのは守備的なアンチェロッティには思いもつかないことであったが、実際問題、そこのポジションに適任者がいないのもまた事実であったこともあり、ものは試しようと半ば諦め状態で試してみると、これが大当たり。その後はみなさんがご存知の通り。今のミランがこうしてあるのも、ピルロがただ単に試合に出たいがために言った一言から始まった、まさに偶然の賜物であった。

14 Johan VOGEL 【ヨハン・フォーゲル】
獲得回数 チームタイトル
4回 オランダ・エールディビジ
4回 オランダ・カップ
3回 スイス・リーグ

生年月日: 1977.3.8
身長: 177 cm
体重: 71 kg
国籍: スイス
出身: スイス、ジュネーヴ
経歴:
92-99 グラスホッパー(スイス)99-05 PSV(オランダ)
05-現 ミラン

スイスのジュネーブで生まれたフォーゲルは、1995年のギリシャ戦で18歳の時に代表デビューした。スイス代表の大黒柱であり、22歳でキャプテンを務めた。EURO96でも代表入りしたが、その後の2度のワールドカップ本大会や欧州選手権にはチームが進出できなかった。クラブでは、メイランでプレーしていたところを見いだされ、1992-93シーズンにグラスホッパーでプロデビューを飾った(当時16歳)。1994-95、1995-96、1997-98シーズンにスイスリーグ優勝を果たし、チャンピオンズリーグにも2度出場した後、1999年夏にオランダの強豪PSVに移籍。PSVではレギュラーとして、初参戦から2年連続で優勝(2シーズンでリーグ戦に欠場したのはわずか7試合)。2001-02シーズンには、一時アヤックスに優勝を奪われたが、2002年にはUEFAカップでベスト8に進出し、エールディビジとヨーロッパの秀でた存在であり続けた。2002-03シーズン、32試合に出場し、リーグタイトル奪還に貢献し、またも素晴らしいシーズンを過ごした。同年12月にはリーグ戦100試合出場を達成した。2003-04、2004-05の2シーズンともに活躍し(リーグ優勝や、チャンピオンズリーグベスト4)、今シーズン、フリーではあったがミランが獲得した。主に中盤のバックアッパーだがその能力に疑いの余地はないので期待しています。

23 Massimo AMBROSINI 【マッシモ・アンブロジーニ】
獲得回数 チームタイトル
3回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
生年月日: 1977.5.29
身長: 182 cm
体重: 72 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ペサロ
経歴:
93-95 チェゼーナ(B)95-97 ミラン97-98 ヴィチェンツァ
98-現 ミラン

1995-96シーズン、カペッロの目に止まりセリエBのチェゼーナから移籍(17才)。当時のミランオールスター軍団の中で、わずかながらも出場し、セリエA優勝を経験するが、当時のミランには居場所は無かった。そこでビチェンツァにレンタルされることになるが、そこで中心的な役割を果たし、ビチェンツァのセリエA残留に貢献する。その活躍から、再びミランに呼び戻され、レギュラーの座をつかみ取り、1998-99シーズンのスクデット獲得に多いに貢献する。しかしその後は、ひざのケガに悩まされ、レギュラーとしての出場機会は限られたものになってしまう。今現在は守備重視での試合の時のセードルフの代わりや、中盤の第一バックアッパーとして主に活躍している。ヘディングが中盤の選手の中では飛びぬけて強いのが特徴。

18 Marek JANKULOVSKI 【マルク・ヤンクロフスキ】
獲得回数 チームタイトル
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生年月日: 1977.5.9
身長: 184 cm
体重: 74 kg
国籍: チェコ
出身: チェコ、オストラヴァ
経歴:
94-00 バニク・オストラヴァ(チェコ)00-01 ナポリ01-02 ナポリ(B)02-05 ウディネーゼ05-現 ミラン

幼少よりサッカーを始め、地元の名門バニク・オストラバにてサッカーキャリアをスタート、1994-95シーズンに1試合ながらトップチームデビューを果たす。1996-97シーズンより主力としてプレー、1999-2000シーズンに8得点を挙げる活躍を見せたことからA代表デビュー、更に活躍の場をイタリアへ移す事となった。移籍したナポリでは当初はサブの1人に過ぎなかったが、チームの開幕3連敗からチャンスを掴み、4節レッチェ戦にてセリエAデビュー、翌節には強烈な左足のミドルシュートを叩き込み、確固たる地位を確立させた。本人の活躍とは裏腹にチームは結局セリエB降格となるが、クラブへの忠誠を示し、残留する事を選び、ここでも抜群の存在感でチームを媚して、あと1歩の所でセリエA復帰というところまでチームを牽引したが、最終的にはA復帰を果たすことはできなかった。残念ではあったが、その高いパフォーマンスが認められセリエAのウディネーゼから声がかかり、より高いところで再び戦いたいと感じていたこともあり、移籍する決意を固めた。ここでもスパレッティ監督の元でサイドアタッカーやサイドバック、サイドハーフと多彩な能力を見せ通算27試合5得点の活躍でリーグ5位躍進、UEFAカップ出場権獲得に貢献した。その後も安定した力でチームを牽引した。2004-05シーズンにはクラブ史上初となるチャンピオンズ・リーグ出場権獲得を果たし、シーズン終了後、ビックチーム:ミランに引き抜かれた。今後、その能力を思う存分に発揮して、ミランに沢山のタイトルをもたらすであろう。
DF
Marcos Evangelista de Morais "CAFU" 【マルコ・エヴァンゲリスタ・デ・モラレス “カフー”
獲得回数 チームタイトル
2回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 ブラジル・全国選手権
2回 ブラジル・州選手権
2回 コッパ・リベルタドーレス・カップ
1回 カップ・ウィナーズ・カップ
1回 UEFAスーパーカップ
2回 インターコンチネンタルカップ
2回 ワールドカップ1994&2002
2回 コッパ・アメリカ
シーズン 個人タイトル
1994 南米年間最優秀選手[エル・パイース誌]
2004 UEFAベストイレブン[UEFA選出]
2005 ワールド・ベスト11[FIFPro選出]

生年月日: 1970.6.7
身長: 176 cm
体重: 74 kg
国籍: ブラジル
出身: ブラジル、サンパウロ
経歴:
88-94 サンパウロ(ブラジル)94-95 サラゴサ(スペイン)
95-97 パルメイラス(ブラジル)97-03 ローマ03-現 ミラン

ブラジル代表と共にワールドカップ3大会連続の決勝を経験した唯一のプレーヤーであり、 偉大なるセレソンブラジレイロのキャプテン。2003-04シーズンに半ば戦力外状態のローマからフリートランスファーで移籍(2年契約)。ローマのファンから余りにも年を取り過ぎていると罵声を食らっていたカフーだが、ミラン移籍後は、彼の特徴である90分間、絶え間なくサイドを行ったり来たり繰り返す往年のプレーが戻り、ミランで見事に復活を果たした。また、カフーは運動量だけの選手ではなくクロスも正確で、このポジションでの攻撃が出来る選手がいなかった当時のミランの問題点を解決した意味でも、その存在はさらに際立ったものとなった。(余談:2003-04シーズン、本来マリノス行きが内定していたのだが、急にドタキャンし、ミランへ行ってしまったために多くの日本のファンから反感をかう。)

Kakha KALADZE 【カハ・カラーゼ】
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
生年月日: 1978.2.27
身長: 186 cm
体重: 76 kg
国籍: グルジア
出身: グルジア、サントレディア
経歴:
93-98 ディナモ・トビリシ(グルジア)
97-00 ディナモ・キエフ(ウクライナ)
00-現 ミラン

2001年に冬のメルカートでウクライナのディナモ・キエフからグルジアサッカー史上最高移籍金1,600万ユーロ(約21億9,200万円)で移籍。主にCBやDHなどが本職で活躍していたが、アンチェロッティ就任と共に左サイドバックへコンバートされ、そのままポジションを獲得した。今ではその能力が世間的にも認められ、2003-04シーズンの前にはドイツの強豪バイエルンからもオファーがあった程である。しかし、有名になれば自ずと弊害も生まれてくる。実弟が誘拐され、今も尚、その安否は不明である。有名になったのはうれしいことであるのだが、こういうことが起こると果たして・・・。とにかく一刻も早い解決を望む。

17 Dario SIMIC 【ダリオ・シミッチ】
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
5回 クロアチア・リーグ
4回 クロアチア・カップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ

生年月日: 1975.11.12
身長: 180 cm
体重: 76 kg
国籍: クロアチア
出身: クロアチア、ザグレブ
経歴:
92-98 ディナモ・ザグレブ(クロアチア)98-02 インテル
02-現 ミラン


2002年にウミト・ダバラとの交換トレードでライバルチームのインテルから移籍。2002-03シーズンにアンチェロッティの下、本来のCBから右サイドバックにコンバートされると、見事にレギュラーの座を獲得した。しかし元来はCBなため、攻撃力をまったくと言っていいほど持ち合わせていない(クロスがヘボ過ぎる)。サイドバックの攻撃参加をアンチェロッティが翌シーズンから求めたこともあって(カフーの加入も影響してか)ポジションを失う格好になってしまった。それでも守備面は大変優れているので、終盤での守備固めや、サイドバックのバックアッパーとして貴重な戦力となっている。

Paolo MALDINI 【パオロ・マルディーニ】
獲得回数 チームタイトル
7回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
5回 イタリア・スーパーカップ
4回 チャンピオンズ・リーグ
4回 UEFAスーパーカップ
2回 インターコンチネンタルカップ
シーズン 個人タイトル
1994 世界年間最優秀選手[WS誌]
1995 世界年間最優秀選手投票2位[FIFA]
2003 欧州年間最優秀選手投票3位[FF誌]
2003 UEFAベストイレブン[UEFA選出]
2003 UEFA会長特別功労賞
2005 ワールド・ベスト11[FIFPro選出]
生年月日: 1968.6.26
身長: 187 cm
体重: 85 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ミラノ
経歴:
84-現 ミラン

1985年1月のウディネーゼ戦でデビュー。その後もずっと活躍を続け、今も尚レギュラーとして活躍するみなさんご存知、バレージと並び賞されるミランのバンディエラ(象徴)。ミランの主力として500試合以上を戦い抜き(ミラン歴代1位)、ミランと共に獲れるすべてのタイトルを獲得してきた。あの強かったミラン黄金期はマルディーニの成長共にあったと言っても過言ではない。後世サッカー史に残る偉大な選手である。ちなみにマルディーニは私がピッポやカカー並(それ以上かも?!)に好きな選手でもある(ミランファンなら当然か)。私の持っているミランユニもマルディーニ・・・(別にどうでもいいですね。はい)。

13 Alessandro NESTA 【アレッサンドロ・ネスタ】
獲得回数 チームタイトル
2回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
3回 コッパ・イタリア
3回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 カップ・ウィナーズ・カップ
2回 UEFAスーパーカップ
シーズン 個人タイトル
2002 UEFAベストイレブン[UEFA選出]
2003 UEFAベストイレブン[UEFA選出]
2004 UEFAベストイレブン[UEFA選出]
2005 ワールド・ベスト11[FIFPro選出]

生年月日: 1976.3.19
身長: 187 cm
体重: 79 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ローマ
経歴:
93-02 ラツィオ02-現 ミラン

生まれてからずっとラツィオ一筋だったが、チームが経済難に陥ったため、チームを助ける形で2002年8月の移籍期限ギリギリに3,020万ユーロ(約41億4,000万円)でミランに移籍した元ラツィオの象徴。キャプテンの移籍はラツィオサポーターの怒りをかった結果となったが、移籍したミランではプレッシャーに負けず以前と同様の輝きを放っている。ネスタは現在、世界最高のCBと称され、スピード、高さ、1対1、カバーリング能力などの守るのに必要なすべての能力を備えている唯一無二なグレイトなDFである。また、エレガントという言葉をよく使われることから守りに美学を感じさせてくれる数少ない選手でもある。

31Jaap STAM 【ヤープ・スタム】
獲得回数 チームタイトル
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
3回 イングランド・プレミアリーグ
1回 イングランド・FAカップ
1回 オランダ・エールディビジ
1回 オランダ・カップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 インターコンチネンタルカップ
シーズン 個人タイトル
1998 UEFA最優秀DF[UEFA選出]
1999 UEFA最優秀DF[UEFA選出]
生年月日: 1972.7.17
身長: 191 cm
体重: 92 kg
国籍: オランダ
出身: オランダ、カムペン
経歴:
92-93 ズヴォレ(オランダ2部)93-94 カンブール(オランダ)
94-95 カンブール(オランダ2部)95-96 ヴィレムII(オランダ)
95-98 PSV(オランダ)98-01 マンチェスター・U(イングランド)
01-04 ラツィオ04-現 ミラン

管理人が最強DFとして真っ先に上げるスタムは、ズボレでプロのキャリアをスタートし、カンブール、ビレムIIと渡り歩いた後、同国の名門PSVアイントホーフェンに加入。その後、1998年にイングランドの超名門マンチェスター・ユナイテッドへ移籍する。1999年には、チャンピオンズリーグ、プレミアシップ、FAカップでトレブル(3冠)を達成したチームの一員として活躍した。その2年後、自ら出版した自伝の中で仲間を批判したことにより、ファーガソンの怒りに触れ、2,680万ユーロ(現在の換算レートで約35億1,100万円)での移籍金でラツィオに放出される。守備の国イタリアでもその怖い顔や屈強な肉体は通用し、ネスタやマルディーに、サムエルなどと共に最強のDFの名を欲しいままにしてきた。そして今シーズン引退の花道にとビックタイトル獲得のため1,050万ユーロ(約13億7,600万円)でミランへ移ってきた。ミランではマルディーニ、ネスタ、カフーと最強ディフェンスラインを形成している。

Alessandro COSTACURTA 【アレッサンドロ・コスタクルタ “ビリー”
獲得回数 チームタイトル
7回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
5回 イタリア・スーパーカップ
4回 チャンピオンズ・リーグ
4回 UEFAスーパーカップ
2回 インターコンチネンタルカップ
生年月日: 1966.4.24
身長: 182 cm
体重: 75 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ヴァレーゼ
経歴:
85-86 ミラン86-87 モンツァ(C1)87-現 ミラン

サッキやカペッロのミラン黄金期をバレージ、タソッティ、マルディーニと共に後ろから支えた偉大なディフェンダー。ミランと共にこれまで数々のタイトルを手にしてきた。ほぼミラン一筋でミランを離れてプレーしたのは1986-87の1シーズンのみ(セリエC1のモンツァで30試合に出場)。今年で38歳になるが今でもその洗練されたDFとして培われた能力をフルに発揮し、ミランディフェンス陣の貴重なバックアッパーとして活躍している。とても守備が安定しているため安心して見てられるセリエに残る数少ない選手。今シーズンがラストになるっぽいので怪我なく頑張って下さいな。
GK
Nelson de Jesus e Silva "DIDA" 【ネルソン・デ・ジーザス・デ・シルバ “ジーダ”
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ
1回 ワールドカップ2002
シーズン 個人タイトル
2005 ワールド・ベスト11[FIFPro選出]
生年月日: 1973.10.7
身長: 195 cm
体重: 85 kg
国籍: ブラジル
出身: ブラジル、バイーア
経歴:
92-93 ヴィトリア・バイーア(ブラジル)
94-98 クルゼイロ(ブラジル)
00 コリンチャンス(ブラジル)
00-01 ミラン
02 コリンチャンス(ブラジル)02-現 ミラン

1999年にスイスのFCルガノから移籍するも、その後コンリンチャンスとミランとを行き来する生活を送る。転機となったのは2002-03シーズン。この年、正ゴールキーパーとなり、チームもチャンピオンズリーグ決勝に進出。PK戦にまで縺れた決勝では3本のPKを止める大活躍をし、今のミランでの確固たる地位を確立した。キーパーの能力面でも以前見られたファンタジー(大ポカ)も減り、名実ともに世界有数のキーパーに成長。もしかしたら歴代ミラン最高GKと言われるかもしれない(ミランは他のビッククラブほど歴代に名GKがいないもので・・・)。蛇足だが、ジーダは某テレビゲームの最新版で、能力値のレスポンス(反応)が99と全選手中、最高値を記録している。

16 Zelico KALAC 【ゼリコ・カラッツ】
獲得回数 チームタイトル
1回 オランダ・カップ

生年月日: 1972.12.16
身長: 202 cm
体重: 95 kg
国籍: オーストラリア
出身: オーストラリア、シドニー
経歴:
94-95 シドニー・U(オーストラリア)95-96 レスター(イングランド)96-98 シドニー・U(オーストラリア)98-02 ローダ(オランダ)
02-04 ペルージャ04-05 ペルージャ(B)05-現 ミラン

シドニー生まれの守護神カラッツは地元のサッカークラブ、シドニー・ユナイテッドで1994-95シーズンにプロデビュー。翌年、ヨーロッパで活躍を夢見ていたカラッツに、イングランドのレスター・シティからオファーを受け移籍にこぎ着ける。。2シーズンレスターで過ごすが結局は試合に出場することはできなかった。その後、オランダのローダJCで4シーズンを過ごし、リーグ戦115試合に出場した。この時、唯一のタイトルであるオランダカップを獲得した。そして2002-03シーズンにイタリアのペルージャへ移籍し、リーグ戦80試合でプレーした。2005-06年、エレフテロプーロスを獲得したミランが、プレシーズンでの同選手のへタレぶりに心配してか、獲得するに至った(3年契約)。セカンドキーパーの座を巡り、そのエレフテロプーロスと争うことになるが、おそらくすでにその決着はついているのではないだろうか。


12 Valerio FIORI 【ヴァレリオ・フィオーリ】
獲得回数 チームタイトル
1回 スクデット(セリエAリーグ優勝)
1回 コッパ・イタリア
1回 イタリア・スーパーカップ
1回 チャンピオンズ・リーグ
1回 UEFAスーパーカップ

生年月日: 1969.4.27
身長: 185 cm
体重: 75 kg
国籍: イタリア
出身: イタリア、ローマ
経歴:
85-86 ロディジャーニ(C2)86-88 ラツィオ(B)
88-93 ラツィオ
93-96 カリアリ96-97 チェゼーナ(B)
97-98 フィオレンティーナ
98-99 ピアチェンツァ99-現 ミラン

1999年の夏にピアチェンツァでの活躍が認められて移籍。主に控えが中心で今現在もサードキーパーということもあり、ほとんど出場の機会は無いが、ベテランGKとしてGK陣をまとめる重要な存在。管理人もフィオーリのプレーをほとんど見たことが(ぶっちゃけ1回も無いかも?)ないが、こういった自分の立場をまっとうできる人間の存在はチームにとって重要なことだと改めて実感されられる。