H26 GWツーリング(4/26〜4/27)!
今年も、GW早々のツーリング!
新東名高速道路は、初めて走ったが、直線が気持ちよい!
名古屋インターを降りてから、恒例の地図無しで、名古屋城まで走る。
しかし〜〜〜名古屋インターを降りたら、道路看板は、名古屋駅、名古屋城の案内は無く
どこを走っているのか、まったく解らなり、i
potの繋がるマクドナルドを探し、そこでやっと現在地がわかり
方向だけは確認できた。
そして、何とか名古屋駅までたどり着き、そこから名古屋城へ!
名古屋城 本丸御殿 (復元中)
かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物で、現在、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と言われていました。
内部は、現在 復元進行中だったのですが、半分くらい出来ていて、裸足ではいけないとか、手持ちは預けたり、慎重でした。
名古屋城本丸御殿は、狩野貞信や狩野探幽など日本画史上最大の画派「狩野派」の絵師たちにより、部屋ごとに異なる題材で床の間絵、襖絵などが描かれ、絢爛豪華に彩られていました。戦災により本丸御殿は失われましたが、取り外すことができた襖絵や天井板絵などは焼失を免れ、今も大切に保管されています。そのうちの1,047面が国の重要文化財の指定を受けています
書院造で復元としても、凄く鮮やかで、匠素晴らしい!
加藤 清正!
清正が天守閣の石垣を担当して、天守閣の石垣で一番大きい石を清正石!
清洲城!
この清洲城は、戦国史の色々な場面で登場してきます。
信長が桶狭間の戦いに出陣したのも清洲城からです。
信長と徳川家康との同盟が結ばれたのも、この城です。
本能寺の変で信長がたおれ、後継ぎをめぐって清洲会議が行われたのも、この清洲城です。
本城跡は、五条川を挟んで、対岸側だったそうです。
パワースポット!
熱田神宮!
熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社(※)に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿し、宝物館には信仰の歴史を物語るものとして、皇室を初め全国の崇敬者から寄せられた6千余点もの奉納品が収蔵展示されております。境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられております。
また、桶狭間の今川義元を討つ前に、熱田神宮に着いた信長は、右筆(ゆうひつ)の武井夕庵に『この戦いは多勢に無勢、苦しい戦いとなる。熱田大神の力を借りて、是非勝利したい』という趣旨の願文を作らせ、御神前に跪いて、集結した兵達の前でこの願文を読み上げ戦勝を祈願しました。そして桶狭間に着く前に、雨が降り、奇襲をかけ、今川義元を討つ!
信長塀(のぶながべい)
永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の時、当神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。
土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして有名です。
本日の宿泊所!
のんび〜り・ゆった〜り 湯〜トピア宝!
5時以降に入れば990円
深夜料金 1840円
合計 2830円
ゆっくり、休憩して、飲んで、寝て、安い!
名古屋名物は、いろいろ有るが、
名古屋名物の一つ、どてめし!
八町味噌で、肉も柔らかく、美味かったなあ〜
さあ〜朝早起きをして、国道23号線(バイパス)から国道1号線を使って、掛川まで!
何十キロメートルと信号の無い国道で、ガソリンが心配になるほど、気持ちよく走れる。
掛川城!
室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。
戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。
現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。
掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設です。
掛川城御殿は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿しては、京都二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物です。
その後、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建物として、昭和四十七年から五十年まで保存修理が実施され、
昭和五十五年一月二十六日、国の重要文化財に指定されました。
御前崎 海鮮 なぶら市場!
掛川から太平洋沿いの国道150号で帰ろうと、走って御前崎で昼飯休憩!
看板が出て来たので、とりあえずの休憩場所だったけれど、
海鮮品の安さに、四輪ならば、かなりの海鮮を買っていった事になるのが間違え無しで
御前崎のかつおなど、安くて、買って行きたかったなあ。
御前崎のかつお丼!
500円!
早い、美味い、安い!
帰り道で、小山城入り口ってあったから、行ってしまった。
知らなかった城だけど、行っちゃうのがツーリング!
現在、能満寺山公園となっている場所は戦国時代に武田氏の平山城が築かれていました。永禄11(1568)年、武田信玄は遠江をおさえる第一歩として、この地に砦を築きました。その後、元亀2(1571)年、城郭を備えて新たな名前を付けたのが「小山城」です。 城を攻めようとする徳川家康との激しい戦いが、何度もこの地で繰りかえされましたが、敗北を悟った武田方は自ら城に火をかけ、甲州へ落ちていきました。 現在、三重堀などの遺跡や「展望台小山城」内の武田氏ゆかりの品々が、当時の面影を偲ばせています。
内部は博物館になっていて、鑑定付の日本刀など、数多くの展示品があり、有名な城で無くても、楽しめるのが、城めぐり!
そして静岡インターから東名高速道路で帰宅する!
総走行距離 900km!
さあ〜〜今度は、何処へ〜〜〜〜〜