H21 高速道路1000円なので、第二弾、安土城ツーリング!

平成21年5月22日〜23日(晴れ、曇り、雨)
前回は前田利家で今回の目的は、織田信長!
滋賀県の安土から長浜経由で総走行距離1050km


朝4時30分にコンビニに集合して、東名高速を走り海老名PA、足柄PAで休憩!
ゆっくり、まったりな走りでここまで!

浜名湖PAでの休憩!
ここで朝食を食べるが、今回の目的は食ではないので、安上がりで済ませる。
そして、この後に高速道路を走っていると、前にパトカーが全開で走っていて、その後ろを走っていると、赤灯が光り、二台のバイクに止まれと!

俺達か〜〜〜〜〜

そして、近くのPAまで一緒に走り、そこで・・・・・・・・・・・・・・

なぜ、パトカーの後ろを走っているんだ〜〜と怒られ・・・・・免許書とナンバーを控えられ・・・いろいろ説教され・・・・・・去っていったおまわりさん・・・・・・・・
結果は、キップは切られなかったがね〜〜〜・・・・・・・・・・・・・

八日市インターで下りて、目指すは安土城跡!
なかなか見つからなく、コンビニで近くにいる人に聞いてみると、観光客はまず、行かないから、看板は無いよって!
俺達には、すげ〜〜〜興味がある所なのにってか、一番の目的になってるのになあ〜〜
しかし、どうにか聞き、近くまで来たけど、解らなくてまた、地元の人に聞いてみると、すぐその山だと!
そこの、道路標識です!

ここが、特別史跡 安土城跡!

でも駐車場だけどね!

行ってみると、意外としっかりしていて、500円の料金場があって、これから良くなっていくのではないかな〜〜
天主跡、ハ見寺仮本堂、三重塔、信長公本廟、本丸跡、ニ王門、など見所満載!

時は戦国、天正4年(1576)、着々と天下統一を進めていた織田信長は、安土に居城を作ることを命じた。
 3年後に完成したのは五層七重の天主閣をいだくまばゆいばかりの城郭だった。
 安土城を見たイエズス会の宣教師は故郷への手紙にこう書き送った。
 「ヨーロッパにもこれほどの城は存在しない」と。
 それから3年後、安土城が本能寺の変に滅んだ信長と命運をともにしようとは誰も予想できなかった。
今そこに、自分がいると思うと、すげ〜〜感動です!

ニ王門
1571年七月甲賀武士山中俊好建立!
重要文化財・3重塔をちょっと下ったところにある。2度の火災にも焼け残ったこの門は往時の威容を十分に伝えてくれる優美な門です

伝前田利家邸跡!その前が羽柴秀吉邸跡です!

ドラマなどで、良く見る光景ですが、ここに来ると、実際身が引き締まります。

安土城天主 信長の館!
原寸大で復元され、1992年のスペイン・セビリア万国博覧会の日本館メイン展示として、安土城天守の最上段5階6階部分が忠実に復元された。

安土駅前の織田信長像。

安土から、近江八幡に到着!
豊臣秀次によって、八幡山下町が開町された。
歴史資料館など、商人魂などを見れる場所もあり、あきんどって言葉などあり、一日見ていても飽きないほど、楽しい所でした!

城下町の面影を残す町並みが保存されている。

また、近江商人のふるさととしの歴史をうかがい知ることもできる。

今夜の宿、ファミリーロッジ 旅籠屋(彦根店)!
素泊まりなのですが、近くには食べ物やなどあり、安上がりにするには、かなり強力な味方でした。
しかも朝はご主人の作った、クロワッサンとコーヒーなど食べる事も出来ます。
それが、無料&朝から作りたてなので美味い事、前日の夜に朝飯用に買った冷やし中華を食べた後のなのに、パンを6個以上食べてしまった!(裏画面有り)

朝起きてみると(4時過ぎ)しんにょは風呂に入っていて、さすが早起き!
そして、外を見ると雨!
ゆっくりしたが、雨は止まず、カッパ装着!

琵琶湖撮影も、こんな景色に!

しかし〜〜〜彦根城に着くと、空は快晴なほどになって、暖かくなってくる。

ちょっと、彦根城知識(現存の国宝4城の一つ)
幕末安政の大獄で有名な彦根藩十三代藩主である大老井伊直弼など、時代と共に幕府の中核となる人物を輩出した徳川家譜代の井伊氏三十五万石の居城である彦根城は、市街地北部の琵琶湖湖畔に望み、今も往時のままの美しい姿を、満々と湛える濠の水面に映し出している。

 関ヶ原合戦に功のあった井伊直政は、慶長6年(1601)徳川家康から近江国石田三成の旧領十八万石を与えられた。

ひこにゃん

彦根藩二代藩主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる"招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクター。

秀吉出世城 長浜城!
長浜は古く今浜と呼ばれ、京極道誉が築城した。 天正元年、織田信長は浅井長政を滅ぼすと、浅井氏の旧領湖北12万石を羽柴秀吉に与えた。
 
 秀吉は、交通の不便な小谷城を廃して、今浜城跡に新城を築き地名も今浜から長浜に改めた。
清洲会議の後、柴田勝豊、山内一豊が城主となった。 

また、歴史博物館で石田三成特集展が開催されており、三成の肖像画などがあって、説明される人など、親切で解りやすかった。

そして、13時頃に吉野家で昼飯を食べ、彦根インターから帰宅する。
足柄PA辺りから雨が降ってきたが、無事家まで!

そして、お決まりのラーメン、まる忠で、お疲れ夕食!