1944年10月23日 レイテ海戦


レイテとは、フィリピン中部の都市。
その沖合いで行われた海戦である。

とは、言っても、フィリピンの周り全てや、台湾まで広域に渡る海戦だったわけではあるが・・・。

この戦いは、日本軍の水上艦艇を全て動員したものであり、フィリピン上陸を阻止するための作戦でもある。

しかし、この時代のメイン戦力は航空機である。
が、先のマリアナにて空母を失った日本海軍に残された正規空母は「瑞鶴」ただ1艦。

他に、軽空母の「瑞鳳」「千歳」「千代田」の共に、搭載機数30機ほどのものである。

にも、関わらず、航空機不足から、この空母4隻に割り振られた飛行機は100機少し。
だが、これで充分ではないが、この空母部隊の役割は果たせるのである。
なにせ、この空母部隊は敵艦を航空機で撃沈するのが、役割ではないのだから・・・。

では、一体、一番重要な空母は一体なにをするのか?
それは、囮となり、アメリカ空母部隊の攻撃を一身に受けると同時に台湾近くまで誘い込むことである。
誘い込んだら、その隙に、戦艦「大和」などが、フィリピンに上陸する敵上陸部隊・輸送船を叩き潰す作戦なのである。

この海戦を、順を追って解説していきます。
だが、少しややっこしいのと、わたくしの頼りない文章で理解出来るかは謎ではあるが。。。

この作戦の主力部隊は、栗田中将率いる 戦艦「大和」 と同型艦の「武蔵」 後に
ビキニ環礁水爆実験の的となり、しかも爆心地から500mしか離れていないにも関わらず2度の
爆発にも、少しの傷しか負わなかった戦艦「長門」などの戦艦・重巡洋艦部隊。

これが、フィリピン攻撃のメインではあるが、例によって潜水艦の攻撃を受け、
重巡洋艦2隻が沈没、1隻も大破し、戦場離脱というハメに陥る。

その後栗田艦隊は、敵空母機の攻撃を受け、「武蔵」が的となり、爆弾27発、魚雷23本を受け、シブヤン海に没する。

ちなみに、通常の戦艦ならば、魚雷は10本も受ければ沈没します。

参考までに数値を上げると、基準排水量、つまり、船の体重は
戦艦は35000トン 重巡洋艦10000トン 軽巡洋艦5000トン 駆逐艦 1300トン
大和・武蔵は70000トン近くあるものです。
さらにおまけで、翔鶴・瑞鶴レベルは27000トン

他の艦も被害を受け、反転し、全艦戦場離脱を図る。


別ルートからレイテ湾を目指す「西村艦隊」はスリガオ海峡からの突破を目指す。
この艦隊は、旧式戦艦「扶桑」「山城」重巡洋艦「最上」駆逐艦4隻からなる艦隊である。

このスリガオ海峡は、幅が狭く、縦1列にならないと進めないのである。
ここにいる、アメリカ軍は、魚雷艇や駆逐艦の小艦艇が多く点在。

最初のころは、西村艦隊も魚雷をかわし、敵艦を撃沈などするが、
次第に敵の密度が濃くなると同時に魚雷の数も多くなり、
戦艦「扶桑」・駆逐艦3隻が沈没。

戦力を半減させながらも、なおも突撃し、今度はアメリカ旧式戦艦のレーダー射撃の前に
駆逐艦1隻を除き全滅。

その後、この西村艦隊の後続部隊である「志摩艦隊」は、西村艦隊の全滅を目の当たりにし
反転、退避。

残る囮部隊の小沢艦隊の空母4隻は敵発見と同時に、航空機を発艦させ、アメリカ軍の
主力部隊の「ハルゼー提督」の空母軍に攻撃を仕掛ける。
この攻撃隊は、攻撃後は空母には帰らず、陸上基地に着陸する。

なぜならば、囮の空母部隊は、必ず敵に撃沈されるのが目に見えているからである。

この攻撃隊は、日本軍の空母から飛び立った最後の攻撃隊である。
今後、自衛隊が空母を所有し、どこかを攻撃をすれば別ではあるが。。。

この攻撃により、アメリカ軍は、少しの被害を受けると同時に、
日本空母を躍起になって捜索する。

そうです、このときには、空母が主力であるわけなので、空母を沈めれば勝利なのである。

小沢部隊は、その後やっと敵の策敵機に発見される。
すると、ハルゼー提督は、主力を小沢艦隊目指し、北上する。
と、同時に小沢艦隊も反転し、敵主力をフィリピンから遠ざける。

作戦は成功し、予定通り、小沢艦隊は空襲を受ける。

この時、艦隊上空の防空戦闘機は18機。
そうです、この18機が日本空母から最後に飛び立った航空機であり、
また、敵に立ち向かう最後の姿なのである。(もちろん、陸上基地からの攻撃は終戦まで続く)

このアメリカ軍の第一波攻撃により、空母「千歳」は爆弾を7発受け、沈没。
瑞鶴は、爆弾数発と、魚雷1本を受け、速力が23ノットまで低下。

一方、防空戦闘機隊は、12機までその数を減らす。

第2波攻撃隊が間もなく襲来し、瑞鶴・千代田・瑞鳳の3空母もかなりの被害を受ける。
この攻撃隊が去ったのち、防空戦闘機隊は、燃料切れのため、駆逐艦「初月」の側に
着水し、救助される。

で、最後の第3波攻撃隊の攻撃を受け、ついに、最後の正規空母にして、最大の強運艦であり、
武勲艦の瑞鶴は、魚雷7本を受け、波間に没する。
瑞鳳・千代田も撃沈される。

が、この時、小沢艦隊は、主力の「栗田艦隊」へ無線を発する。

敵艦隊の誘き出しに成功した  と。

このとき、誰もが、作戦の成功を疑いもなく思い、フィリピンの敵上陸部隊に対して、
大和などの戦艦・重巡洋艦部隊が敵を殲滅してくれると信じたことだろう・・・


この時、栗田艦隊は、激しいスコールの中におり、暗中模索状態で航行していた。
そして、スコールを出ると、な・なんとそこには、アメリカ空母部隊が!!!

この空母部隊は、ハルゼー提督の空母部隊ではなく、護衛空母軍。
つまりは、正規空母を補助する役目を持つ空母であり、小型なのである。

それを知らない栗田艦隊は猛烈な砲撃を開始する。

敵艦隊は空母を守るために、死に物狂いで捨て身の攻撃をしてくるが、駆逐艦と、戦艦では
勝負は目に見えている。

このとき、初めて、世界最大の戦艦「大和」が駆逐艦を1隻沈める。
そうです!大和は敵艦を1隻しか撃沈していないのです。
おまけで、武蔵は0隻です。

太平洋戦争で、水上艦艇が、空母に対して、砲撃や、雷撃をしたのは、これが最初で最後の出来事なんです。
この戦果は、駆逐艦3隻と空母1隻を撃沈、他の艦船にも被害を与えるも、日本軍は、
救援に着たアメリカ爆撃機の攻撃により、重巡洋艦2隻を失う。

しかし、まだまだ、日本艦艇は健在であり、追撃しているところ、
まさかの、栗田長官の
「追撃止め!集合」の命令。

このとき、大和・長門などの艦艇と、その他の戦艦2隻と重巡洋艦4隻は乱戦の中はぐれていたのです。

が、惜しい戦いではあるが、長官の命令は絶対である。

また、1番の目的はレイテ湾にいる、敵上陸部隊の殲滅である。

が、しかし!!
小沢長官が送った電文は、こともあろうに、栗田長官に届いてなかったのである。
レイテにはアメリカの有力な部隊はおらず、突撃していれば、敵を殲滅出来たであろうに、
栗田艦隊は反転。
後にこの出来事を
「栗田艦隊、謎の反転」
と、称され、語り継がれる。

終戦後、栗田長官は、このことについて、一言も述べず死去されている。

また、この時に、かの有名な
「神風特別攻撃隊」が編成され初攻撃をしている。

関行男大尉率いる特攻機である。
この攻撃は、なんと、小沢艦隊の攻撃機よりも戦果をあげたのである!
わずか、8機の攻撃機で敵空母を1隻撃沈。

この少しの戦力で多大な戦果を挙げたことに喜んだ首脳部は以後、特攻を主戦略へ移行していく。


実は小沢艦隊への攻撃は空襲だけでは済まされてはいなかったのである。
アメリカは水上艦艇による、追撃をしており、小沢艦隊には、空母はおらずとも、空母護衛の
航空戦艦「伊勢」「日向」を筆頭に巡洋艦・駆逐艦も多数配備されていた。

この航空戦艦とは、艦尾1/3ほどが甲板になっており、ここから飛行機を飛ばせるというもので、
空母と戦艦の役割を持った艦である。

アメリカ軍は20隻ほどを持って追撃にあたる。
日本は、伊勢・日向などは、戦場離脱はしていたのだが、小艦艇が瑞鶴乗組員の救助をしていたりと、まだ、戦場に残っている部隊の殲滅である。

それを迎え撃つ日本軍は駆逐艦1隻のみ。
前述で述べた 「初月」である。

この初月は元来、敵艦と戦う駆逐艦ではない。
ではなにか?
それは空母随伴の防空駆逐艦である。
一般的にいうところ、日本の駆逐艦は
主砲に 12,7cm砲x6門 魚雷発射管x8門
初月は主砲に 10cm「広角」砲x8 魚雷発射管x4

アメリカ軍を持ってして、あの駆逐艦には近づくな!と航空隊に厳命された、
「対空能力の優れた駆逐艦である」

この初月は、僚艦を逃がすため、幾たびも魚雷発射態勢をとり、敵艦を回避運動させたりし、
時間稼ぎをし、敵艦の猛砲撃に50分間耐え、味方を逃がす大活躍をした駆逐艦である。



結局、フィリピンも マッカーサー元帥の手に落ち、日本艦隊の活動出来る範囲もなくなり、また、燃料もなくなってしまったのである。





                  豆・太平洋戦記へ